【週末は女子プロレス♯121】志田光、英国8万人の大観衆を前に王者として立つ!

AEW(オール・エリート・レスリング)が8月27日、北米以外で初のビッグマッチ『オール・イン・ロンドン』をイギリスで開催。しかも“サッカーの聖地”と呼ばれるロンドンのウェンブリースタジアムに8万1305人の大観衆を動員した。同所でプロレスが行われるのは、1992年8月29日にWWF(WWE)が『サマースラム』を開催して以来、31年ぶりのこと。会場自体は改修された新スタジアムながら、85年7月におこなわれた『ライブエイド』でのクイーンの伝説的ライブでも多くの人々の記憶に残る会場である。そこに“王者”として立った日本人レスラーが、志田光だ。

インタビューに応じた志田光【写真:新井宏】
インタビューに応じた志田光【写真:新井宏】

AEWが8月27日にビッグマッチ「オール・イン・ロンドン」を開催

 AEW(オール・エリート・レスリング)が8月27日、北米以外で初のビッグマッチ『オール・イン・ロンドン』をイギリスで開催。しかも“サッカーの聖地”と呼ばれるロンドンのウェンブリースタジアムに8万1305人の大観衆を動員した。同所でプロレスが行われるのは、1992年8月29日にWWF(WWE)が『サマースラム』を開催して以来、31年ぶりのこと。会場自体は改修された新スタジアムながら、85年7月におこなわれた『ライブエイド』でのクイーンの伝説的ライブでも多くの人々の記憶に残る会場である。そこに“王者”として立った日本人レスラーが、志田光だ。

 志田は2019年、鳴り物入りで旗揚げしたAEWと契約。20年5月23日にナイラ・ローズを破り第3代AEW女子王座に輝いた。しかし世の中は新型コロナウイルスの脅威に見舞われ、プロレスでも無観客試合が長く続いた。王者となった喜びよりも、先行きの不安が大きかった。そんな状況下で志田はAEW女子をけん引。王座陥落はコロナ後はじめて観客を入れた1年後の大会で、志田は「サンキューシダ!」のコールで報われたと感じたが、同時に、観衆の前でベルトを巻きたいと思ったのもまた、正直な気持ちだった。

 2022年9月、1年3か月ぶりに同王座に挑戦。この年はさらにあと2回挑むも、奪回には至らなかった。それでも、シングルマッチでの白星と内容が評価され、今年8月2日の大会でトニー・ストームに挑戦、ついにタイトル奪回に成功したのである。

「いつでもいけるとは思って準備はしていました。AEW女子は実力が拮抗しているので、誰にでもチャンスはある。私もまたいきたいと思ってたし、今度取るときは絶対にお客さんの前で、というのが目標だったんです。そして今回、ダイレクトにお客さんの声が聞こえて、ファンの祝福を肌で感じて、しかも、『ダイナマイト』のテレビ放送第200回という大きな節目のメインイベントでベルトを取れた。プロレス人生の中でも最高の瞬間だったなって、思いましたね」

 第9代王者となった志田。しかし、最高の瞬間はまだ先にあった。8月9日に初防衛に成功すると、8・27ウェンブリースタジアムへの参戦とタイトルマッチが正式決定。スタジアムのあるイギリスは、志田が海外への憧れを抱いたきっかけの国だ。初の海外遠征も2011年10月のイギリスだった(現地で対戦した外国人選手はのちに全員がWWEで闘っている)。

 そして、WWFが当時の最多動員記録を作ったスタジアムにプロレスが31年ぶりに帰還。スタジアムに近いウェンブリーアリーナでも、かつてはプロレスのビッグマッチが頻繁に開催されていた。たとえば、1981年6月にはサミー・リー(佐山サトル)とマーク・ロコ(ブラック・タイガー)の世界ヘビーミドル級王座決定戦が予定されていたもののサミーの欠場により消滅。このときすでに、佐山は初代タイガーマスクとしてデビューしていたのである。イギリスプロレス史のなかでも、スタジアムとアリーナのあるウェンブリーは重要な場所なのだ。

王者としてリングに上がった志田光【写真:AEW提供】
王者としてリングに上がった志田光【写真:AEW提供】

デビューから15年、8万人観衆も「正直、意外と普通でした」

 志田個人にとってもプロレス史的にも大きな意味のある場所で、しかも王者として試合をする。デビューから15年、なんとドラマチックな巡り合わせだろうか。

 ウィル・オスプレイがクリス・ジェリコを破り故郷に錦を飾り、竹下幸之介が飯伏幸太と組んだケニー・オメガを初フォール、スティングやCMパンクも参戦した歴史的ビッグマッチ。8万人を上回る大観衆の前で、志田は王者としてリングに立った。

「正直言うと、意外と普通でした。もし1年前の私が王者としてウェンブリーに入場するとなったら、すごく大変だったと思うんですよ。ただ今回はすごく余裕を感じていたというか、落ち着いていましたね。ベルトを取ったのが2回目というのもあると思うんですけど、自信がありました。実際、私は私自身を見せるというのもブレずにできたし、AEWに4年間いて、その部分でも成長できたのかなというのを実感しましたね」

 試合は、トニー・ストーム、ブリット・ベイカー、サラヤ(ペイジ)を一度に迎え撃つ4WAYマッチ。最後はサラヤがトニーをフォールして王座が移動した。志田は負けずしてベルトを手放すことになってしまったのである。試合が終わると、サラヤのファミリーがリングに上がり新王者を祝福。サラヤはイギリスのプロレス一家出身。両親、2人の兄ともレスラーで、サラヤが家族を離れWWEで活躍するようになる過程がハリウッドで映画化された。試合後の光景は、ザ・ロック製作の映画『ファイティング・ファミリー』の後日談のようでもあり、『サマースラム』におけるブリティッシュ・ブルドッグ(デイビーボーイ・スミス)vsブレット・ハート、そしてスミスの妻、ブレットの妹であるダイアナのドラマの再来にも見えた。

 そして、志田とサラヤにも知られざる関係がある。サラヤはナイトファミリーの長女で、ブリタニー・ナイトのリングネームでデビュー。志田がアイスリボン時代に初の海外試合としてイギリス遠征をおこなったとき、初代EVE王者ブリタニーも同じリングに上がる予定だった。しかし、WWEと契約し渡米。そのあとで渡英した志田たちとはすれ違いだったのだ。サラヤの渡米が早まらなければ、対戦する可能性もあったのである。

 ブリタニーはペイジと改名し、ロウ初登場でいきなり王座を獲得するインパクト、WWEで文字通りのスーパースターになった。ケガが原因で試合から遠ざかるも、日本人スーパースター、アスカ&カイリ・セイン(KAIRI)のカブキ・ウォリアーズのマネジャーとしても活躍。2022年11月からAEWに参戦し、約5年ぶりにリング復帰を果たしていた。また、志田はサラヤの母サラヤ・ナイトとはアメリカのSHIMMERで試合をしている。

「さすがにサラヤのホームカントリーですからね、ベルトを取ったときの盛り上がりはすごかったです。悔しいけど、負けたなって思いました(苦笑)」

志田光が語る未来とは【写真:新井宏】
志田光が語る未来とは【写真:新井宏】

敗れるも新たな発見「もう一度闘志が沸いてきた」

 2度目の王者時代は短期間で終了してしまった。それでも、志田には達成感があった。無観客時代には難しかったダイレクトでの反応。それをひしひしと感じながらリングに立てた。ある意味、リベンジを達成したからだ。

「“観衆ゼロの王者から志田をもう一回王者へ”みたいな勢いをファンのみなさんからすごく感じたんですよね。そういった意味でもあの大会場、8万人の前でベルト姿を見せられたのは、ひとつ恩返しでもあると思ってます。そこまで連れていってくれたのもファンのみなさんの後押しだと思ってるので、私1人で上がったというよりも、みんなが作ってくれた機会だと思いますね。それだけに、ただ王者として上がるという単純なものではなく、今までのAEWでのキャリアとか、応援してくれたみなさんの思い全てが詰まった一瞬だったと思います」

 思いの詰まった国、大観衆の前で王者として闘う。間違いなくレスラー人生のクライマックスだろう。たとえこれが最後になったとしても、プロレスラーとしては本望かもしれない。ただ、試合に敗れたことで、新たな欲を見つけた自分がいると、志田は言う。

「実際、ウェンブリースタジアムはひとつのゴールだと思ってました。最初は、大会が終わったら引退とか考え始めたりするのかなとも思ってたんですよ。そんなふうにボンヤリと思ってた中でベルトを落としてしまった。これによってもう一度闘志が沸いてきたというか、負けて終われないでしょみたいな感覚になったんですよね。もしあそこで防衛してたら引退を考えてたかもしれない。でも、そこがうまくいかなかったことによってまた新たな闘志が沸いてきて、もっとできるなと思えたので、もう一度ベルトも取りにいきたいです。まだまだ頂点じゃない。これが再スタートの心境ですね」

 幸い、AEWは来年8月25日のウェンブリースタジアム大会を発表。志田にとって次のゴールが設定されたと言っていいだろう。コロナ禍明けで日米を往復する活動もより活発になっている。今月(9月)だけでも、遠藤美月引退試合、AEW参戦、MAKAI公演で日本とアメリカを行ったり来たり。wave10・1新宿に向けて再び来日し、朱崇花を相手にレジーナ王座6度目の防衛戦に臨む。「自分の流れはまだまだ終わっていない」と手応え十分の志田。将来に向けた新たな事業のプランもあるとのこと。世界を駆け巡る志田光から目が離せない。

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