視聴率56.3%『ありがとう』舞台裏 水前寺清子を4度待ち伏せ 「石坂浩二」誕生秘話

歌手・水前寺清子と石井ふく子プロデューサーが、このほど橋田文化財団秋のセミナーで対談し、水前寺が主演し、1972年12月21日の放送で平均世帯視聴率56.3%(ビデオリサーチ調べ)と、日本のドラマ史に残る驚異の数字を記録したTBS系ドラマ『ありがとう』の舞台裏を明かした。2人の出会い、石坂浩二の芸名誕生の経緯、今作の脚本も担当した作家・平岩弓枝さんがドラマの仕事を本格的に始めた背景などさまざまな秘話が明かされた。

対談を行った水前寺清子(左)と石井ふく子プロデューサー【写真:(C)橋田文化財団】
対談を行った水前寺清子(左)と石井ふく子プロデューサー【写真:(C)橋田文化財団】

視聴率56.3%『ありがとう』主演・水前寺清子と石井ふく子プロデューサーが対談

 歌手・水前寺清子と石井ふく子プロデューサーが、このほど橋田文化財団秋のセミナーで対談し、水前寺が主演し、1972年12月21日の放送で平均世帯視聴率56.3%(ビデオリサーチ調べ)と、日本のドラマ史に残る驚異の数字を記録したTBS系ドラマ『ありがとう』の舞台裏を明かした。2人の出会い、石坂浩二の芸名誕生の経緯、今作の脚本も担当した作家・平岩弓枝さんがドラマの仕事を本格的に始めた背景などさまざまな秘話が明かされた。(取材・文=中野由喜)

 水前寺はNHK紅白歌合戦に1965年から86年まで22回連続出場した人気歌手。そんな水前寺をホームドラマの主演に起用しようと石井プロデューサーが水前寺をトイレで待ち伏せして口説いた話はよく知られている。だが回数にちょっと驚く。

 石井プロデューサー「誰も紹介してくれないので、(水前寺のいる)スタジオの時間割を見て、休みの時間にはトイレに行くだろうと思って待っていたの。そこで話を聞いてくださいと言ったら『よく分かりません』と帰られました。でも私はあきらめられませんでした」

 再びトイレで待ち伏せしたが「できませんので」と言われ、3回目もトイレで断られた。水前寺はなぜ芝居の素人にそこまで熱心なのか不思議に思い、石井プロデューサーに尋ねたという。その時の石井プロデューサーの答えは……。

 石井プロデューサー「美人じゃないからいいんだと言いました。そして4回目にトイレで、私はもうこの企画は止めますと言ったんです。そしたら(水前寺は)『ちょっと待ってください』と言ってくれて、レコード会社に怒られたそうですが、出演してくださいました」

 3回断った水前寺は「できないと思いました……当時、歌1本みたいな気持ちでしたから。でも、先生と話してやってみようかなという気持ちが、その時に沸いたのだと思います」。

 歌手活動で多忙な水前寺は「時間的に、やりたくてもできない」状況だった。一方の石井プロデューサーも実は切羽詰まっていた。主役以外のキャストは全員決まっていたのだ。

 石井プロデューサー「主役が決まらないとドラマが始まらないので、すごく冒険をしていました。『主役以外の人は決まっているけど、私の思う通りの主役は他にいない。だからお願いします』と言ったの」

 こうして誕生した『ありがとう』は1970年にスタートした。水前寺の母を山岡久乃さんが、恋の相手を石坂浩二が演じ、母と娘、近所の人々の日常を描いた。現場では、多忙な中、時間をやりくりして撮影に臨む水前寺に石井プロデューサーは驚かされていた。

 石井プロデューサー「忙しいからけいこに来るのは代役の方でした。それでも必ず、きちっとせりふを覚えてきたんです。それでNG出さなかったの。びっくりしました」

 水前寺「皆さんに迷惑をかけないように……少しでも皆さんに気持ちよくやっていただきたい、間違えてはいけないという思いばかりが頭にありました」

 ここで石坂浩二の話題も。石井プロデューサーが仲のいい大空真弓も出演していた石坂の新劇の舞台を見に行ったのが最初の出会い。当時の石坂は武藤兵吉の名で活動していたが石坂の芸名誕生の経緯も明らかに。名付け親は石井プロデューサーだった。

 石井プロデューサー「あの人いいなと思い、大空さんに石坂さんの楽屋に連れて行ってもらいました。私の名刺を渡し、一度、来てくれないかと言って、来てもらったんです。それでドラマに出てもらいたいと言ったら、石坂さんに『武藤兵吉という名前がおじさんみたいな名前だから、何か考えてください。石井さんの石の字が欲しい』と言われました。石は硬いからだめよと言うと『いいんです。僕、石井さんにそう(ドラマに出てと)言っていただいたからやる気になったんです』。じゃあ、石坂という名前はどう? と言い、いろんな『コウジ』を書き、好きな名前をそこから取りなさいと言って石坂浩二が生まれたんです」

 水前寺「恋人役や石坂さんと聞いた時、そんな素敵な人がとルンルン気分になりました。お会いしたら、ざっくばらんで面白くて最高の人だと思いました。(劇中で結婚して)うれしかったです。もしかしたらと考えたり……本当にはならなかったですが、なったら最高なんて思ったりもしました(笑)」

 また、石井プロデューサーは平岩さんの思い出も語ってくれた。作家・平岩さんの原作をもとに別の脚本家が書いた本を平岩さんの自宅に届けた際の会話から2人の付き合いが始まった。脚本家・平岩さん誕生の陰に石井プロデューサーが……。

 石井プロデューサー「脚本を見た平岩さんは『スタジオで一度見たいわ』とおっしゃったんです。私がいつでもご案内しますと言うと、スタジオに来ました。そこでテレビに興味があるか聞くと『すごいあるわよ』と。それでテレビの脚本を書き始めたんです。『テレビ(脚本)の書き方を教えてよ』と言うので2人でホテルにこもってやりました。本格的に書いていただく前に短編をやってもらったりしました」

 一方、芝居の世界でいろんな出会いを経験した水前寺。「幸せだった」と語ると当時のある思いも明かした。

 水前寺「歌は1人。ドラマみたいに周りに優しい人がいっぱいいるのもすてきだなと思ったことも。もし歌がだめだったら石井先生に言ってドラマに出させてもらおうと思ったこともあります(笑)」

 石井プロデューサーはトイレで4回も待ち伏せして水前寺を起用した。振り返って今の思いは。

 石井プロデューサー「あのドラマは水前寺さんじゃなかったらできませんでした。ドラマの1から10まで知らない人がドラマに向かって突進していったという感じ。だから今までと違うドラマができたと思います」

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