祖父は甲子園3度優勝の名将 映画界の“攻めダルマ”蔦哲一朗氏が譲れないこと

徳島・池田高を甲子園で春夏合わせて3度優勝に導いた故蔦文也監督の孫で映画監督の蔦哲一朗氏(39)が、フィルムで存在感を示している。2013年、徳島・祖谷地方を舞台に35mmフィルムで撮影した映画『祖谷物語ーおくのひとー』で東京国際映画祭『アジアの未来』部門でスペシャルメンションを授与。今月15日からが短編特集が、東京・シモキタ - エキマエ - シネマ K2で行われている。

蔦哲一朗監督【写真:中山治美】
蔦哲一朗監督【写真:中山治美】

短編特集 東京・シモキタ – エキマエ – シネマ K2で上映中

 徳島・池田高を甲子園で春夏合わせて3度優勝に導いた故蔦文也監督の孫で映画監督の蔦哲一朗氏(39)が、フィルムで存在感を示している。2013年、徳島・祖谷地方を舞台に35mmフィルムで撮影した映画『祖谷物語ーおくのひとー』で東京国際映画祭『アジアの未来』部門でスペシャルメンションを授与。今月15日からが短編特集が、東京・シモキタ – エキマエ – シネマ K2で行われている。(取材・文=中山治美)

 勝負師だった祖父は“攻めダルマ”の異名を持っていたが、蔦監督も強気な姿勢で攻め続けている。デジタルが主流の時代にフィルムにこだわり、特集上映の作品は、モデル・グラビアで活動している奥村美香の日常を捉えつつ、芸能界の片隅に籍を置く女性の悩める心理を映し出す『ミカはヴィーナス』(22年)、演技ワークショップの受講生27人が今まで感じてきたことを赤裸々に明かしつつ、それでもなぜ俳優を目指すのかを自問自答する『ワーク ショップ』(17年)、初実験映画『新宿ステーション界隈の亡霊たち』(23年)の3本。前2作は16mm、後者は8mmフィルムで撮っている。

 蔦監督によると、「2作はワークショップの講師を務めた時、企画の提案を受けて制作したものですが、フィルムで撮らせてもらえるならなんでもやりたい」と二つ返事で快諾したという。ただし、昨今はほぼ全ての劇場がデジタル上映設備しかなく、K2も同じ。今回の上映については、フィルムで撮った作品をデジタルに変換しての上映になるが、蔦監督は「そこは虐げられているなと感じる一方、逆行している感じも楽しい」と言った。

 蔦監督は1984年、徳島・池田町(現三好市)生まれ。祖父は「つたはーん」というゆるキャラにもなった程の有名人だが、野球には目もくれず、学生時代はサッカー部に所属。高卒後は映画監督を目指して東京工芸大芸術学部映像学科に進学した。そこでフィルム撮影技術が専門の矢島仁准教授と出会い、フィルムを自分で現像し、編集する作業のワクワク感を知ってしまったという。

「純粋にデジタルとフィルムを比べた時に、フィルムはノスタルジックさを強調してくれるのが良いです。映画にノスタルジックさは必要だと思うんです」

 現在、編集中の日本・台湾・米国の国際共同製作作品『黒の牛』(24年公開予定)も、35mmフィルムと日本初となる65mmフィルムで撮影。ただ、時代にあらがうかのような制作スタイルは関心を持たれ、主演は台湾の巨匠ツァイ・ミンリャン監督作品の常連俳優であるリー・カンションが務め、舞踊家の田中泯も『祖谷物語―おくのひと―』に続いて参加。さらに今年3月に他界した坂本龍一さんが音楽を担当している。同作は徳島などを舞台に、山間部に暮らす一人の男と一頭の牛の日常をモノクロ映像で描いたもので、“自然と人間の共生”もまた蔦監督が長年追い続けているテーマだ。

 ちなみに今年は、祖父の生誕100年にあたり、地元ではこのほど、蔦監督が撮ったドキュメンタリー映画『蔦監督ー高校野球を変えた男の真実ー』(15年)の記念上映も行われた。蔦監督に「祖父の血を受け継いでいると感じる点は」と尋ねると、「じいちゃんも元々は『小心者』と言われていて、繊細ゆえに、あえて豪快にいこうとしているところは似ているのかも。何より、あの器の大きさには憧れがあります」と言った。祖父が亡くなって22年。“蔦といえば映画監督”と言われるべく、蔦監督はフィルムへのこだわりを続けていく。

次のページへ (2/2) 【写真】映画『黒の牛』撮影中の蔦監督
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