バリ島で4人の子育て、ベビーシッターは強い味方 サモアで自給自足が原点、“押し付けない”教育法

インドネシア・バリ島で4人の子育てをしながら、日本を行き来して「リジェネラティブ(再生的)」な在り方の追求をミッションに活動する非営利型の一般社団法人と、バリ島のエシカルホテル(環境配慮型ホテル)の運営に奮闘する女性がいる。「Earth Company」代表理事の濱川明日香さんだ。バリ島で世話になっている女性ベビーシッターは4人の子どもの面倒を見てきた“もう一人のお母さん”であり、長年、経済自立などの支援を続けている南太平洋の島国・サモアの一家とは家族同様の交流も。グローバルな仕事と育児の両立、そして、心温かい現地の人々と接する中で見いだした教育観とは。

4人の子育てと仕事の両立にはげむ「Earth Company」代表理事の濱川明日香さん【写真:ENCOUNT編集部】
4人の子育てと仕事の両立にはげむ「Earth Company」代表理事の濱川明日香さん【写真:ENCOUNT編集部】

サモアで気候変動の影響を目の当たりにしたのが原点 第2子妊娠中に国際支援団体を立ち上げ

 インドネシア・バリ島で4人の子育てをしながら、日本を行き来して「リジェネラティブ(再生的)」な在り方の追求をミッションに活動する非営利型の一般社団法人と、バリ島のエシカルホテル(環境配慮型ホテル)の運営に奮闘する女性がいる。「Earth Company」代表理事の濱川明日香さんだ。バリ島で世話になっている女性ベビーシッターは4人の子どもの面倒を見てきた“もう一人のお母さん”であり、長年、経済自立などの支援を続けている南太平洋の島国・サモアの一家とは家族同様の交流も。グローバルな仕事と育児の両立、そして、心温かい現地の人々と接する中で見いだした教育観とは。(取材・文=吉原知也)

「一番下の子が2歳になって、飛行機が無料ではなくなったので、日本に来ること自体が大変になってきました。LCCを使っています。家族6人で直行便だと100万円ぐらいかかっちゃうんですよ。先日は焼き鳥屋さんで食事をしたら、子どもたちが騒いで騒いで、もうカオス状態でした(苦笑)」。

 10歳の長女、8歳の長男、5歳の二女、2歳の三女を育てる濱川さんは、久々の日本帰国と家族の時間の様子を語り、爽やかな笑顔を見せた。

 41歳の濱川さんは行動力のある人生を歩んできた。日本の教育システムになじめず、16歳で海外へ飛び出した。米国の大学に入学・卒業。学生時代に興味を持っていたアジアを巡るバックパッカーの旅に出ようとしたが、両親の大反対を受けて直前に断念。その代わりに、父方の祖父母がハワイで暮らしていたことから関心があったポリネシアへ。フィジー・トンガ・サモアを巡る旅を実現させた。

 サモアではある一家のもとで自給自足生活を経験した。「電気も水も通っておらず、コンロもないので、朝起きたら乾燥したココナッツの殻に火を付けるところから1日が始まります。漁に出て、ブタの命をもらって、タロイモを収穫して……。『生きるって楽しいんだ』と実感したんです」。一方で海面上昇などの気候変動の影響を目の当たりにした。これが現在の活動の原体験となった。気候変動に取り組むにあたり、課題の根源である資本主義の仕組みを知ろうと外資系コンサルに勤務した。その後ハワイ大大学院で気候変動を研究し、そこで夫の知宏さんと出会う。4年後の2012年、国際貢献活動に従事していた知宏さんと結婚、13年に長女を出産。そして14年、知宏さんと共に、アジア・太平洋地域で活躍する社会起業家の後方支援を行う同団体を設立した。当時、知宏さんがNGO(非政府組織)で活動していたバリ島で暮らし始め、日本との“二拠点生活”を続けている。

 長女の妊娠時は、体はどんどん妊婦になっていく一方で「夫は海外にどんどん出張するのに、女性である私は第一線で活躍するキャリアを諦めないといけない」と頭と心が追いつかず、一時はうつ状態に陥ったが、出産が近づくにつれて体と共に頭も心も母親に切り替わり、無事出産。第2子妊娠中に国際支援団体の発足と重なったが、自身を含め、育児中のお母さんたちも活躍できるようフレックス勤務やリモートワークを当時から導入し、持ち前のバイタリティーもあって、なんとか育児と仕事を両立させてきた。

 子育てで一番大変だったこととは。

「10年間、妊娠・出産・授乳を続けて、毎晩2時間に1回は授乳で起こされ、10年夢を見たことがなかったほど寝ていなかったです。毎朝6時には起こされて育児と仕事の1日が始まる繰り返しでしたが、毎日が忙しく充実していて、日中眠くなることはなかったです。また、バリ島の暮らしもようやくパンデミックから元に戻った今、趣味のサーフィンとヨガに没頭する時間を確保しつつ、自分の体の声をより聞くようにして、等身大の自分のリズムやペースを模索しながら事業の運営と育児に取り組んでいます」と話す。

 バリ島ではすっかり現地になじんでおり、オーガニック農家から直接野菜を買い付け、魚も漁師から購入。「スーパーで買うのはオムツとビールぐらい」という。家から学校までは延々と続く田んぼを電動バイクで送り迎え。子どもたちにはiPadなどの電子機器は持たせておらず、大自然の中で遊ぶ日々だという。そして、最大の味方は、20歳で母になり、38歳で祖母になった「子育てのプロ」である、シッターのニョマンさんだ。9年間、濱川さん一家の子どもたちが生まれたときから育児を手伝ってくれており、「ローカルのおばちゃんなのですが、彼女がいなかったら私たちの生活は成り立っていません。うちの子どもたちにとってはニョマンも家族同然で、しょっちゅう泊まりに行っています。ニョマンの家はぼっとん便所で水シャワーが出るようなごく平均的なバリ家屋ですが、楽しそうに過ごしていますよ」とのこと。人のつながりを大事にして、ちょっとおせっかいなインドネシア人の気質は日本人と似ているといい、「まさに“三丁目の夕日”のような雰囲気ですよ」。

 一方で、意外なところで新型コロナウイルス禍と世界情勢の影響を受けている。家賃の高騰化だ。「実は今年に入って5回引っ越しました。バリ島ではパンデミック明けで人流が活発化してきたことに加え、ロシア人を中心に外国人がたくさん流入するようになってきました。大家から更新時に2倍、3倍を要求されるほどの家賃上昇です。いまなんとか見つけた格安物件をリノベーションしています。雨が降ったら、そのまま家中に雨が降るような家だったので(笑)。長い付き合いの現地のデザイナーが工事を進めてくれています」と現地事情を明かす。

濱川明日香さんは“押し付けない”が前提の教育方針で子どもたちに接しているという【写真:本人提供】
濱川明日香さんは“押し付けない”が前提の教育方針で子どもたちに接しているという【写真:本人提供】

「子どもたちには、プラスチックごみの問題や気候変動の問題についてしっかり伝えています」

 実は引っ越しの合間の今年4、5月に濱川さん一家は全員でサモアを訪れていた。過去に6年間通い続け共に暮らしたサモア人ファミリーを、今回14年ぶりに、初めて家族を連れて再訪。濱川さんと同じ名前のAskaという名の子を含む5人の子どもを持つサモアの一家は現地で宿を運営していたが、気候変動による海面上昇の影響で経営が立ち行かなくなった。濱川さんは貧困に陥った彼らの経済面などのサポートを継続してきたが、それは濱川さんらにとっても持続可能ではなく、今回はサモアに直接行き、貧困から脱するための事業再生プロジェクトを手がけた。

 今回、濱川さんの子どもたちにとっても、自給自足の生活を体験することで、命の勉強にもなったようだ。「その日の食事のためにブタを1匹殺して丸焼きにする。その翌日にブタの赤ちゃんが生まれる。生と死が目の前にある暮らしです。それに、ブタ3匹を売ってまで『明日香たちは家族だから一銭も払わせない』と言って毎日心尽くしのおもてなしをしてくれて。そのお金を私たちに使わなければ1か月生計を立てられるのに。うちの子どもたちにそういった事情を伝えました。『だからご飯は残しちゃダメだよ』って」。

 日本に帰ってくるときは公立学校に通って、ランドセルを背負って自分で歩いていく通学を楽しんでいる子どもたち。長男はサーフィンに熱中。長女は濱川さんが経営するバリ島のエシカルホテル事業に興味を持っているという。ただ、両親が取り組んでいることを“押し付けない”というのが教育方針の大前提だ。

 まず両親の環境問題の考えについては「子どもたちには、プラスチックごみの問題や気候変動の問題についてしっかり伝えています。例えば、『いまここで歩かずに、バイクや車に乗る。そうするとその結果はどうなるんだっけ?』と聞くと、『キャシーの国が沈んじゃう』と答えます」という。キャシーとは、支援しているマーシャル諸島の気候変動活動家で、子どもたちもマーシャル諸島には出張について行ったことがあるため、2030年には海面上昇の影響で住めなくなるところが出てくるマーシャル諸島の現状、人々の苦しみや取り組みを理解しているという。その一方で、「親からこれをやれ、というのはNGにしています」と強調する。

 自立した個人として人生を楽しく歩んでほしいという親の願い。「自分がやりたいことを見つけられるぐらい自分を理解して世界を理解して、自分のパッション(情熱)を見つけられたら、それでいい。だから、ダンサーでもシンガーでも何でもいいので、自分のやりたいことをやってほしいです。自分の道を見つけてくれれば。そう願っています」と力を込めた。

□濱川明日香(はまかわ・あすか) 米ボストン大卒、ハワイ大大学院で「太平洋島嶼国における気候変動研究」で修士号取得。2014年、ダライ・ラマ14世から「Unsung Heroes of Compassion(謳われることなき英雄)」受賞。21年、ニューズウィーク誌日本版「世界が尊敬する日本人100」に選出。

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