アントニオ猪木さんの元運転手が告白 交わした言葉の数々、結婚報告には猪木流の祝福
8月3~15日まで、東京・新宿の京王百貨店で「燃える闘魂・アントニオ猪木展」が開催される。同展示会を企画したのが猪木元気工場(IGF)の宇田川強取締役だった。宇田川氏は2005~13年までの約8年間、アントニオ猪木さんの運転手を務めていたこともある。そこで同展示会の見どころと合わせ、猪木さんの隠れたエピソードを聞いた。
アントニオ猪木さんから伝えられた「(辞表を)出しとけ」
8月3~15日まで、東京・新宿の京王百貨店で「燃える闘魂・アントニオ猪木展」が開催される。同展示会を企画したのが猪木元気工場(IGF)の宇田川強取締役だった。宇田川氏は2005~13年までの約8年間、アントニオ猪木さんの運転手を務めていたこともある。そこで同展示会の見どころと合わせ、猪木さんの隠れたエピソードを聞いた。(取材・文=“Show”大谷泰顕)
昨年10月1日、心不全のため、79歳で亡くなった猪木さんだが、そもそも、なぜ宇田川氏が猪木さんと接点を持つことになったのかといえば、宇田川氏が当時、勤めていた新日本プロレスで、猪木付きの運転手になったからだった。05年ごろのことである。当時を思い起こしながら宇田川氏が口を開く。
「その当時は(猪木)会長に付いていくのもそうだし、運転することが日々緊張で、結構、覚えていることと覚えていないことありますね」
とはいえ、新日本プロレスの猪木付き運転手だったはずの宇田川氏は、その後、激動の人生を歩むことになる。
発端は06年6月に日本武道館で企画された、「INOKI GENOME」が延期になったことだった。元々、「INOKI GENOME」とは、「世紀の一戦」と呼ばれた猪木VSモハメッド・アリ戦から30周年を記念して企画されたイベントのはずだったが、これが延期されたことで一気にさまざまな歯車が動き始めた。猪木さんが新日本と袂を分かち、IGFを立ち上げることになったからだ。
「僕が運転していると、なんとなく後部座席で会長がIGFを立ち上げる、という話をされているのかなーとは思っていたんです。実際、『東京スポーツ』さんに『猪木新団体!』みたいな記事が出たりとかして。でも、僕に対しては『来い』とも言われていないし、そんなアプローチもないので、僕はいいってこと(そのまま新日本に残る)なのかなと思っていましたね」
話が動いたのは07年3月19日だった。
「会長からいきなり『(辞表を)出しとけよ』っていう話があって。(辞表を)出したんですけど、実は3月21日に新日本の後楽園ホール大会があったんですね。僕はその大会の直接の担当ってわけじゃなかったけど、それまでの流れもあったので、20日付で辞めてはいたのに、翌日の後楽園には新日本の仕事で現場に行っているんですよ」
現場に着くと、周囲からは「どうせ新団体(IGF)に行くんだろ」といった目線を感じた。
「というのは、その段階で『東スポ』さんに『U氏も合流するとみられる』みたいな記事が出ていたんです。ただ、針のむしろとかそういうことじゃなくて。覚えているのは坂口征二会長(当時)から『どうなってんだ?』って聞かれましたけど、『僕もちょっと分かんないんです』としか答えられなかったですね」
前述通り、約8年間、猪木の運転手を務めた宇田川氏だが、車内での猪木さんはどんな様子だったのか。
「僕はその頃、27、28でしたけど、18歳で運転免許を取ってからそれなりに運転はしているし、埼玉県出身なので、それなりに首都圏での運転はしていた経験はあったから、都内の道は知っているほうだったんです。でも、とにかく(猪木は)道が詳しいんですよ。だから『ここを行ったほうが早い』とかはよく言われましたね」
結婚報告で猪木さんからは「(結婚は)ヤメとけ」の言葉
日々緊張のなかで猪木さんを運転手を務めながら、宇田川氏も時にはとまどうこともあったという。
「僕が一般道を走っていたら、『そこ(高速)に乗れ』と言われたんです。ただ、一区間で降りるんですよ。それでも(一般道よりも)早いだろと。僕らからすると、その一区間のために高速には乗らないじゃないですか。だからちょっと庶民感覚ではなかったですよね。ただ、その一区間だけでも早く進みたいっていうか。だから、かなりせっかちといえばせっかちかもしれないですね」
ちなみに最後に猪木さんの乗るクルマの運転をしたのは、13年夏の参議院銀選挙に出馬し、18年ぶりの当選を果たした直後だった。
「たぶん、議員会館まで何度か運転させてもらったと思います」
その後は専門の運転手にその役割は受け継がれていくことになる。では、宇田川氏が最後に猪木さんと会ったのはいつだったのか。
「(猪木)会長に会ったのは亡くなる亡くなる6日前の9月25日。そのときは手土産にチャンジャを買って行ったんですよ。チヂミも買って行ったのかな。それを部屋に置いて、会長とはあいさつ程度の話をして帰りました。その後、僕自身が体調を崩してしまったから、結局はそれが最後になりましたね」
実は昨年、宇田川氏は結婚をしている。そのため、配偶者になる奥さんと一緒にあいさつがてら、猪木さんに対してその報告をしたことがある。
「そしたら『よかったじゃん』って言いながら、ウチの奥さんに対して『こんなのでいいんですか?』なんて言われちゃいましたけどね(笑)。それでもお祝いにシャンパンを空けてくれて。会長は、もうお酒を飲める感じではなかったけど、それでも口をつけてくれて。ただ後日、僕が一人で伺ったら、半分冗談で『(結婚なんて)ヤメとけ』って言われましたけどね(笑)」
猪木さんは生涯4度の結婚をしているだけに妙な実感がこもっていると思わないでもないが、猪木流の祝いの言葉を直接もらえたことは非常にありがたい話だった。
ところで、冒頭に記載したように、8月3~15日まで東京・新宿の京王百貨店で「燃える闘魂・アントニオ猪木展」が開催される。開催期間中は、猪木さんの生誕80年を記念し、1976年6月26日に日本武道館で「格闘技世界一決定戦」を闘った、プロボクシング世界ヘビー級王者のモハメッド・アリが決戦の翌年、猪木さんへ送った直筆の手紙も公開される。また、猪木さんの直筆の書(道の詩や、猪木語録他)や猪木さんが愛用した「闘魂棒」なども展示されることになっている。
「今回は準備期間も短かったので、そこまで大がかりなことはできませんけど、次回は『大猪木展』なり『超猪木展』というカタチでいろんなことを仕掛けたいと思っています」
そう言って宇田川氏は最後にこう言葉をつないだ。
「開催期間中は会長はここにいますから、ぜひとも多くの方にお越しいただいて、“燃える闘魂”を感じてもらえたらと思っております」