“ミス学習院”松宮なつ「こんな生活になるなんて…」 米歌手が着目、錦織圭も絶賛 「趣味」がまさかの展開
人生はどう転ぶか分からない。学習院大学に在学中、「ミス学習院」に輝き、芸能界に進んだものの、現在は画家として高い評価を受けているのが女優の松宮なつだ。技術を誰かに学んだことはなく、趣味で描いていた絵がたまたま著名人の目に留まり、個展を開くまでに至った。その才能は、男子テニスの錦織圭も絶賛するほど。2度目の個展『なつの涼風展 2nd solo exhibition』(17日開幕、東京・東急プラザ渋谷フラクス内3階アマルガムアートギャラリー)を開催する松宮に、激変した人生について聞いた。
『教場』出演女優、一時は“引退”悩むも…趣味が評価されて多方面で活躍
人生はどう転ぶか分からない。学習院大学に在学中、「ミス学習院」に輝き、芸能界に進んだものの、現在は画家として高い評価を受けているのが女優の松宮なつだ。技術を誰かに学んだことはなく、趣味で描いていた絵がたまたま著名人の目に留まり、個展を開くまでに至った。その才能は、男子テニスの錦織圭も絶賛するほど。2度目の個展『なつの涼風展 2nd solo exhibition』(17日開幕、東京・東急プラザ渋谷フラクス内3階アマルガムアートギャラリー)を開催する松宮に、激変した人生について聞いた。(取材・文=水沼一夫)
松宮はフジテレビ系ドラマ『教場』などに出演する一方で、画家としても活躍の幅を広げている。
芸能界入りしたのは、ミス学習院がきっかけだった。
「大学3年の終わりにミスコンに出たんです。同じクラスの子が私の前の代でミスコンに出ていて、その子が推薦してくれました。就活を始める時期だったんですけど、ミスを取ることができて、そこでスカウトしてもらいました」
ドレスや着物を着たり、ゲストとして来場した俳優の杉浦太陽とトークをする審査を通過。就活ではクリエーティブな仕事に就こうと考えていたが、思い切って、別の道に進んだ。
とはいえ、卒業後は順風満帆とはいかなかった。
「本当にお仕事がなくなっちゃって、他の子たちがみんな就職してお給料もらって、親孝行したりとかしているの見ると、すごく不安というか、落ち込んでいた時期がありました」
大学の同期は続々と大企業に就職していた。仕事はリポーターやバラエティー番組のアシスタントMCなどタレント活動が中心。所属事務所がかわるタイミングでは、「引退」の文字もよぎった。「1回本当にゼロみたいになっちゃったときに、すごく悩みました。これどうしたらいいのか、この道を選んでよかったのかって……」。
それでも松宮は仕事を続ける決心をした。そして、転機が訪れる。2018年に米歌手、オースティン・マホーンのアフターライブのメインビジュアルに油絵の作品が起用された。マホーンはブルゾンちえみのネタ「35億」のバックミュージックの歌手として知られる。
松宮は当時、画廊でアルバイトを始めており、自身の絵をたまたま預けていた。「そのときに偶然私の知らないところで絵を(マホーン関係者に)見せていたらしくて、『これライブでちょっと使いたい』という話をもらって、使ってもらいました」と、幸運をたぐり寄せた。
人前に初めて作品を出し、松宮の意識は変わった。「本当にうれしかったのと、何となく自信もついたというのもあって、もっといい作品を作って、自分の作品が自己満足だけじゃなく、人にいい影響を与えられるようになったらいいなって思うようになりました」
錦織圭夫妻が“お忍び”観覧 「絵を描いてほしい」披露宴でも展示
その後、松宮の絵は次第に注目を集める。数年前から公募展に応募し、審査に通るなど実力をつけた。自宅とは別にアトリエを借り、絵具にまみれた生活を送る。昨年開いた初の個展では、展示した作品17点が3日目で完売した。企業からの注文や画商から声がけされる機会も増えた。「本格的に画家として活動を始めたのが去年なんです」という言葉がウソのような快進撃を続けている。
絵の特徴はほとんどにワニの絵が入ること。幼い頃、小さなワニに追いかけられる夢を見たことから意識し、絵の中にも取り入れるようになった。絵に描かれた見知らぬ世界をワニが旅するというテーマになっている。
そして、早くから松宮の絵に目をつけていた人物がいる。テニスの錦織夫妻だ。
「もう8年前ぐらいの仲なので、圭さんとも奥さんとも長い友達みたいな感じです。私が展示したり、絵を描くたびに見に来てくださったり、かわいいかわいいって言ってくれています。去年の年末に結婚式があったんですけど、そこで絵を描いてほしいって言われて披露宴用に描いた絵を結婚式に展示してもらいました。披露宴の間にも紹介してくれて本当にうれしかったです。すごく気に入ってくださってて、今もおうちに飾ってもらっています」
絵は誰かに教えられたわけではない。両親は教師だが、美術の先生ではない。ただ、子どもの頃は漫画家を目指したほど絵を描くことが好きだった。
「大人になってからもずっと趣味では描いていて、油絵も家で描いてたんですけど、せっかく描いてるから人に見てもらおうかなと思って、ちょっとずつ応募していって、もっと本格的にできるんじゃないかって思い始めて、やっと個展を開催したっていう感じです」
小学校のときはこんなエピソードも。
「自分で描いた漫画をホチキスで留めて、学校の本棚に置いてたんです。みんな読んでくれて、『そろそろ新しいの出た?』ってなっていました。一番ウケが良かったのは漫画にクラスメート全員出演させたときです。みんな喜んでくれて、保護者会でもコピーして持って帰ってもらったりして、すごくうれしかった記憶があります」
部活はテニスやオーケストラだった。大学受験の際、美大を意識したものの、周りの大人からの助言もあって諦めた。「美大に進まなかったということは、もう絵の仕事はできないんだろうな」。画家として遅咲きの裏にはこんな事情もあった。
「こんな生活になるなんて…」 想像もしない道 新たな夢に向かって
2度目の個展には約20点の絵を展示する。大きなものは完成まで1か月半を要するため、毎日が多忙だ。
「朝起きて絵を描いて、力尽きるまで描いてお風呂入って寝てます。ずっとです」
油絵を描くときは、「ETE PIN」(エテピン)の名を使う。仏語で「夏」と「松」を意味する。「理由は語呂が良かったのと、アーティスト名は性別と国籍が分からないようにしたかった。世界中の人に見てもらいたい気持ちがあったので、いつか海外でも展示ができたらいいなと思っています」と、大きな夢を抱いている。
今後は「絵本を作りたいと思っていて、物語を考えています。それを実現したいな」。一方、女優としても、「代表作って言えるような作品に出たい」と意欲的だ。
油絵は、色使いが独特で、「見ていて明るくなる」「わくわくする」「日本人の感覚っぽくない」などの評がある。「元々漫画家志望だったのもあるんですけど、写実的に描くよりも、自分の持ち味を生かした描き方をしたくて、絵を描くときはあんまり物を見ないようにしています。自分の頭の中にあるイメージをそのまま描きたいので、不思議な感じなんですけど、夢の中の映像みたいなのを描くようにしていますね」
画家として手応えをつかみ、階段を駆け上がっている。「こんな生活になるなんて大学時代には全く想像していなかったです」と、驚きを込める。
芸能界に入って苦労したことも、今では前向きに受け止められるようになった。「あのときのことを思い出すと、幸せだなって思いますね。一時期はミス学習院とかもういい、と思っていたときもあるんですけど、絵も描いて女優業もやっていると、『あ、学習院だったんだ』って話が膨らむことも多いので、今はありがたいなって思っています」
個展についたタイトル「涼風」は暑い時期だからこそ、ぴったりだ。
「涼風って本来は8月の季語なんですけど、暑いからこそ、涼しい風を感じられるという意味があるらしくて、それがすごくいいなって思って。普段せわしない世の中ですけど、この展覧会を見ていただくことで、何となく心が穏やかになったり、何か心地よく、楽しいなって思ってもらえたらありがたいです。老若男女楽しいでいただけたらいいなと思っています」と、松宮は来場を心待ちにした。