芸歴2年目でレギュラー獲得の大阪時代→東京進出で一変 なすなかにしの暗黒時代「全部が孤独」

2008年に大阪から東京進出した松竹芸能所属のお笑いコンビ・なすなかにし。那須晃行と中西茂樹、いとこでもある2人が見せるロケは世間から多くの支持を得ている。年間300本弱のロケをこなし、「おじさん芸人」としてメディアに引っ張りだこの2人に、決して簡単ではなかった東京進出や漫才について話を聞いた。

いとこでもあるなすなかにしの2人が暗黒時代を振り返った【写真:ENCOUNT編集部】
いとこでもあるなすなかにしの2人が暗黒時代を振り返った【写真:ENCOUNT編集部】

大阪で成功も東京進出最初の仕事は「ライブ2本」

 2008年に大阪から東京進出した松竹芸能所属のお笑いコンビ・なすなかにし。那須晃行と中西茂樹、いとこでもある2人が見せるロケは世間から多くの支持を得ている。年間300本弱のロケをこなし、「おじさん芸人」としてメディアに引っ張りだこの2人に、決して簡単ではなかった東京進出や漫才について話を聞いた。(取材・文=島田将斗)

「簡単な世界やな」と思っていた芸能界。しかし、その考えは東京進出で一変した。

 いまは関東での仕事のイメージも定着してきているが、元は大阪芸人のなすなかにし。芸歴2年目でレギュラー番組もあったという超新星。「調子に乗っていた」と振り返る声は低い。

 テレビの他にも劇場での漫才やショーなどたくさんの仕事をこなしていたが、東京に来て1日目で現実を突き付けられた。

「1番最初に東京のマネジャーにあいさつに行って、見せられたスケジュールがライブ2本。『大阪の実績とかはこっちじゃ関係ないですから』って言われて……。でもそのときも僕は調子に乗ってたので『なんでないねん』みたいなのはありましたね」(中西)

 一方の那須は、中西とは対照的だった。「1人になるとめちゃくちゃネガティブ思考になっちゃって。ボーっとして『どうしようかな』って思いながら過ごしてました。ある朝、鏡で自分を見たら髪の毛が真っ白になっていて。『こんな白髪増えてたんや』ってそこでもネガティブに……」と遠くを見つめた。

 さらに追いうちをかける出来事が那須を襲う。当時付き合っていた同棲中の彼女が、家具を持って出ていってしまった。何もない部屋で段ボールをしきながら寝転んだ。

「当時はプライドみたいなものがあったから、誰にも相談できなかった。先輩方にもしゃべらずでもう全部が孤独でした」(那須)

 なすなかにしの“冬の時代”。コンビ仲の良さが唯一の救いだった。

「すごい腐っていたんですよね……。ただ相方と仲が良いのがあったので、2人でいられる時間が救い。それで1度また家に帰るとネガティブになるという日々でした」(那須)

 そんな暗黒時代でも「解散」の2文字が2人の頭によぎることは決してなかった。

「『もうやめようか』みたいな話をしたことはなかったです。どこかで『何とかなるやろ』ってありました。しんどかったですけど、やめたいっていうのはなかった。いつかは何とかなるやろって感じでパチンコ屋に行って、次当たったら仕事増えるみたいなのをしてました」(中西)

 何も仕事がない時代が伸びきっていた2人の鼻を折った。

「『大したことなかったやん、俺ら』『なにを偉そうにしてんねん』ってなったんです。気付かされてガラッと変わりましたね。自分たちが偉いわけじゃない。ロケにしてもカメラさんがいて、ディレクターさんがいて、皆さんがいるから成立してるい。皆さんと一緒にやるんだって」(那須)

 意識が変わると、好転していく。最初の転機は『ウチのガヤがすみません!』(日本テレビ系)への出演だった。

「東京で最初にロケ行かせていただいたのが『ウチガヤ』さん。他の芸人さんといっぱい接するようになったのもそこが初めてやったかもしれんな」(中西)

「あまりしゃべったことがなかったんですよ、他の芸人さんと。芸人さんとの交流にもこれまで時間を割いていなかったんです。自分たちのことだけをやっていた感じ。ところが、『ウチガヤ』で他の芸人さんと同じ楽屋に入るようになって、“楽しい”と思える人が増えていきました」(那須)

ボケをたくさん挟んだ中西茂樹もラジオ前にはこの表情【写真:ENCOUNT編集部】
ボケをたくさん挟んだ中西茂樹もラジオ前にはこの表情【写真:ENCOUNT編集部】

「自分たちの土台、芯を作ってくれたのが大阪」

 同じ芸能界。東京、大阪のフィールドの違いは何なのか。「お客さんの反応も違います。関西弁こてこてやったのもありますけど、最初は漫才もウケなかった」(中西)と言及する。

 東京は仕事の種類が多い。なすなかにしの大阪時代は、基本的に劇場とテレビの仕事がほとんどだったが、東京では、ほかにもイベントMCやネット配信もあった。東京はなすなかにしにとって、「気づけなかった自分たちの良さ」に気づく場所だった。

「いろんなジャンルのお仕事があるので、『これ得意やったんや』『これは苦手だ』と気づけましたね」(那須)

 東京進出することだけが正解というわけではない。2つの場所を体験してるからこそ大阪の良さも分かる。

「いまでも大阪のお仕事に行かせてもらっています。ネタ番組は圧倒的に大阪の方が多いですし、賞レースを大事にされている感じがありますよね。若手はネタを見せる機会が多いですし。自分たちの土台、芯を作ってくれたのが大阪です」(中西)

ラジオ収録にのぞむ那須晃行、ラジオはなすなかにしにとって重要な部分だ【写真:ENCOUNT編集部】
ラジオ収録にのぞむ那須晃行、ラジオはなすなかにしにとって重要な部分だ【写真:ENCOUNT編集部】

 今年9月には単独ライブも控えている。土台である漫才は2人にとってどんなものなのか。

「1番相方と近づける場所じゃないですかね。楽しい時間。僕、本当にネタを書けないんですよ。これだけ忙しくなってきてるのに相方はすごいなと。その相方のやりたいことを知れる場所ですよね」(那須)

 中西は思わず「そのネタがスベるから問題ですよね。それで相方をスベらせたりすることもあるので、すみませんって感じです」とすかさず照れ隠しした。

 小さいときから一緒にいる2人の漫才はテンポの良い正統派。那須いわく「小さいころから楽しかったこと」と当時からの延長線のような感覚だ。

「小さいときから2人で遊んでいて、『こんなんしたら面白いやん』とか『こんなんやろうや』のノリでそのままきてる感じです」(中西)

 ケンカもほぼしたことがない。強いて言うなら中西が那須を兄と取り合ったときと回顧した。自身の未来をどうなってるか想像し、「70歳くらいで舞台上で浣腸とかしたい」(中西)、「小さいときと変わらずにいたいですよね」(那須)と笑う。

 いまは漫才の練習はほとんどしていない。ライブ当日に何度か合わせる。「おじさん芸人」ならではと自虐した。

「M-1とか力を入れて臨むものがなくなったからですよね。そうじゃなくて自分たちが楽しいと思えることをやろうよって。練習しすぎてうまくいかなかったことが多いので、自分のなかではそんないらんってなってますね」(那須)

 中西の場合、時間をかけて作ったネタほど「ダメ」だという。漫才の作り方が変わってきたと明かす。

「昔はガチっとしたネタを作っていたのですが、いまは余白が多くなっているかも。それが自分らを出せていい。練習とかそこまでいる世界じゃないのかなと考えたりしますね」

 これまで「なすなかと22」というマンスリーライブを行ってきていたが、「単独」という文言が付くのは久しぶりだ。

「すごい楽しみなんですけど、埋まらないんちゃうかなお客さん(笑)。単独って入って力が入ることはないんですけど、今までのマンスリーライブとは違うことをやった方がいいなと思っています」(那須)

「自分たちが楽しいもの」とは何なのか。それぞれの「楽しい」の定義を口にした。

「何かを思いついたときですね。そのときは周りのことを考えてないんですよね。自分1人で考えているときに思いつくので、それをみんなで共有できたら楽しいですね」(中西)

「同じベクトルに向かっている人と過ごしている時間ですね。チームでロケをしているときとか、若手で頑張って売れようとしている子たちと一緒にいる時間ですね」(那須)

 しんどい、きつかった時代を経験したから今がある。大阪と東京、2つの場所で生き抜いて気づいた自分たちの「楽しさ」。なすなかにしの漫才の円熟味は今後も磨きがかかりそうだ。

■なすなかにし公演情報
7/28(金)「なすなかと22 #19」ゲスト未定@新宿バティオス
8/12(土)「なすなかと22 #20」ゲスト未定@心斎橋角座
8/25(金)「なすなかと22 #21」ゲスト未定@新宿バティオス
9/18(祝月)「なすなかにし単独ライブ~なすなかと22 Final~」ゲスト笑福亭鶴瓶@草月ホール
■ラジオGERA「なすなかにしのおじさんではございません!」
https://twitter.com/ojigoza_gera

■冠レギュラー番組「なすなかにしのバズっちゃ!!」(TUT)
https://www.tulip-tv.co.jp/programs/program_details.html?pgid=276

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