堀潤氏、NHKに疑念抱き退職決断 無職で借金生活…他者にイライラする日々「疑心暗鬼」

元NHKアナウンサーで、現在はキャスターやジャーナリストとして活躍する堀潤氏が、2013年にNHKを退職して今年でちょうど10年になる。退職した理由や今の思い、さらにNHKを辞めてフリーアナなどに転身し、キャスターなどジャーナリストとしても活躍するケースが目立つ背景を聞いた。

NHK退職から節目の10年を迎えた堀潤氏
NHK退職から節目の10年を迎えた堀潤氏

2013年NHK退職、その後辞めた先輩には「だから言ったじゃないですか」

 元NHKアナウンサーで、現在はキャスターやジャーナリストとして活躍する堀潤氏が、2013年にNHKを退職して今年でちょうど10年になる。退職した理由や今の思い、さらにNHKを辞めてフリーアナなどに転身し、キャスターなどジャーナリストとしても活躍するケースが目立つ背景を聞いた。(取材・文=中野由喜)

 そもそも堀氏はなぜNHKを退職したのか。

「NHKのアナウンサーの初任地は、ほぼ地方局となり、僕は岡山でした。地元の方を取材したら放送後、録画したDVDを持ってお礼の意味を込めてあいさつに行くんです。ある取材でも、おじいちゃん、おばあちゃんが拝むように手を合わせて『ありがとう。形見にするから』と喜んでくれました。あの人たちなら自分たちの取り組みをきちんと伝えてくれるという信頼にNHKは支えられていると感じました。ところが、福島の原発事故後、現地で取材して『これを伝えて』と言われても、局に戻ると、これは止めよう、などと仕分けされることが多かったんです。なぜ仕分けされるのか。僕はいろんな思惑が働いていると感じました。新人時代、手を合わせてくれた岡山の2人の信頼を裏切る気がしました。皆さまのNHKというわりに誰のNHKなのかと当時思いました。ならば『堀さん伝えて』と言われたことを『伝えましょう』といつも言えるような状況に身を置きたいと思いました」

 ここで、近年NHKを辞めてフリーに転身した人への思いを語ってもらった。

「先輩たちには、ひたすら『だから言ったじゃないですか』しかないですけど(笑)。僕が辞めるときは『堀がまた勝手なことやっている。たてついて辞めるのか』という、思想犯を扱う感じだったと思います。僕が辞める際の送別会にはアナウンス室の先輩はほとんど来ませんでした。ニュースセンターの先輩の記者たちが送別会を開いてくれました。その後の10年間で辞められた方は、きっと、自由にものを言うなら離れないといけないと思ったのでしょう。だから言ったじゃないですか(笑)」

 NHK出身者としての心情も紹介してくれた。

「僕はよく自己紹介する時に『フリーのNHKマンです』と言います。実はNHKを退職した気持ちはあまりありません。やっていることはNHK時代の延長線という感じです。『堀さん、これ取材して』の声に『困っていますよね。一緒に考えましょう』ということを続けているだけ。お金の稼ぎ方は違いますが基本的にやっていることはNHK時代と同じです。逆にNHKはこうあるべきだということをやっているつもりです。みんなが伝えてほしいことを愚直に伝えるのが公共放送だと思います。それをやり続けたいのでNHKを出ました。だからフリーのNHK職員です」

 元NHKアナウンサーはキャスターなど民放の報道番組で起用されるケースが多い。ジャーナリストのハートを感じる。

「NHKのアナウンサーは各地方局で働き、取材します。地域の人にしたら、伝えてくれる人がいるというのは大きなこと。今、地方創生、過疎化、高齢化とかというときに、最後のうちの村の祭りを取材に来てくれたなどと本当に感謝されます。映像に残せて良かったと。現場の職員はそうした活動をたたき込まれていると思います。伝えてほしい人の期待に応えたいと思うんです。NHK職員のマインドだと感じます」

 逆にフリーになって大変なことはあるのか。経験者として“将来の後輩”へのアドバイスの意味を込めて聞いた。

「あります。私の場合、ノープランで辞めたので、無職で何の保証もない状態となり、家も借りられませんでした。借金もありました。そのとき、踏ん張れたのは、NHK、公共放送を続けたいという思いがあったからです。それは、伝えてほしい人の期待に応えたいという信念。自分を支えてくれました。もし、その気持ちがないなら、他の仕事に就いた方がいいと思います。お金をもうけたい、名声を得たいとかなら他に自己実現できる現場はあると思います。困っている人がいるなら行って取材して支えたい。そういう思いがあればやっていけるはず。頑張っているのに収入が少ないと思う方はしんどいでしょう。多くの収入を期待しないなら今はYouTube、SNSもありますから」

 家も借りられなかったときはどうしたのか。

「実家にいました。しばらくしたらNHK時代の同僚が都内の自宅の3階をたまたま住めるように改装したからと、貸してくれたんです。ベッドも置けないその屋根裏部屋でしばらく暮らしました。ソファーで寝て洗濯はコインランドリーを利用する生活」

 収入もほぼなく、先行きが不安な生活。メンタルは大丈夫だったのか

「電車に乗り、揺れて人にぶつかって、イラっとしたりしました。経済的に不安になり、先行きが不安だとちょっと肩が触れただけでイラっとすることを知りました。暮らしが安定するとか稼ぐ場があるというのはいかに大切か。それが保証されない社会は不安と疑心暗鬼に満ちてしまうだろうなと感じました。そのときに経済の大切さ、暮らしと生業が成り立っていることの大切さを実感しました」

 この先の生き方も尋ねた。

「奇をてらうことなく、『堀さん、これを伝えて』と言われたら、一緒にやりましょうということを重ねるのみ。こういう時だからこそ、心を揺さぶられることなく、平常心でたんたんと、困っている人の声に『一緒にやりましょう』を静かにやり続けたいです」

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