教師辞めた20代女性、校長から初日に「妊娠しないで」 パワハラ横行 体重8キロ減、うつ病に
教員不足が深刻な問題となっている。長時間労働や残業代が出ないなどのブラックな職場が敬遠され、年々受験者数が減っているだけではない。教職に憧れ、せっかく夢をかなえても、想像以上の過酷な現実にメンタルを壊したり、退職する若者が後を絶たない。20代の女性は小学校の教員を7年間務めたものの、うつ病を発症し、1年の休職期間を挟んで今年3月に退職した。女性が見た、教育現場とは。
ブラックだけでない教育現場の異常 先輩教師による陰湿ないじめも
教員不足が深刻な問題となっている。長時間労働や残業代が出ないなどのブラックな職場が敬遠され、年々受験者数が減っているだけではない。教職に憧れ、せっかく夢をかなえても、想像以上の過酷な現実にメンタルを壊したり、退職する若者が後を絶たない。20代の女性は小学校の教員を7年間務めたものの、うつ病を発症し、1年の休職期間を挟んで今年3月に退職した。女性が見た、教育現場とは。(取材・文=水沼一夫)
女性は大学卒業後の2016年4月、地方の小学校に赴任した。小学校、中学校の時に出会った恩師に憧れ、自分も子どもの成長に携わることができる仕事に就きたいと思い、教員を目指した。子どもが大好きだったことも理由だ。「今の方が圧倒的にブラックの部分が公になっている印象があります」と、教員の働き方が今ほど問題視されていない時代だった。
教員試験に合格したときは高揚した。「率直にうれしかったし、やっと教員になれた、長く続けていくんだろうなという気持ちでした。まさか辞めるとか、体調崩すとかそんなことは本当に全く考えていなかったですね」。いきなり担任を任され、勤務時間は1日14時間~16時間ほど。帰宅するのは「9時とか10時ぐらい」で、持ち帰りの仕事もあった。それでも、「実際に働き始めたばかりのときは、大変さより、子どもがかわいいという気持ちのほうが大きかったし、当時はまだ独身ということもあって、仕事に全力を注げる環境だったから、楽しさがありました」と、意に介さなかった。
通算4校を歴任している。3年目からは学校で日付が変わることも増えた。「なんだかんだ夜の12時回るとか、そういう働き方になってしまったのが3年目で、そこら辺からやっぱり仕事量と給料が見合ってないな、ちょっと苦しいなって思い始めました」。そして、6年目に赴任した学校で人生が暗転した。
女性は結婚を機に、採用試験を受け直し、別の県の学校に異動したばかりだった。着任する直前に、担任するクラスの変更を告げられ、初めて担任する学年の5年生を受け持つことになった。任されたクラスは、先生の誰もが敬遠するクラスだった。
「そのクラスは誰も持ちたがらない、いわゆる問題児がたくさんのクラスだったんですね。元々、ベテランの先生が持つ予定だったクラスで、その方がちょっと子育てが忙しいから大変なポジションを任せられるのは今は無理ということでパスされてしまい、別の先生にお願いしたところその先生もちょっと妊娠を考えたいから無理ということで、何の情報も知らない私のところに回ってきたという状況でした」。そのうえ、校長からは「高学年担任だから、宿泊学習があるから妊娠しないでね」と初日に通告された。ハラスメントとして受け取られてもおかしくない言葉を、学校のトップが堂々と口にする。女性は大きな不安を募らせた。
実際に教壇に立つと、授業どころではなかった。「クラスは40人いるんですけれども、脱走癖のある子が数人いて、授業中に突然脱走してしまったり、いなくなってしまう。他に落ち着きのない子たちも複数人いました。高学年だから補助の先生もつかないので、全部1人で見ないといけませんでした」。
ひどいときは生徒が校舎の外に飛び出し、ファミレスの前まで追いかけることもあった。「追いかけるしかないので、まず授業が進まない。戻ってきてもなかなか授業に切り替えられないというのがよく起こっていました」。小学校だけに、国語、算数、理科、社会、家庭科、体育、図工の授業を1人で受け持った。学級をまとめるだけでも大変なのに、教科主任や地域のボランティア業務も回され、多忙を極めた。
さらに最もこたえたのは、職場の同僚たちの態度だった。ひたすら責め立てられ、心をえぐられた。2人の教諭からパワハラを受けた。
「授業の進め方は地域によって違って、黒板の書き方やノートの使い方も決められていたりするんですけど、私はそういうのが全く分かっていなくて、前の県のやり方で授業をしてしまったりすると、『え、全然違う! なんで分からないの?』みたいな感じで、子どもの前で怒鳴られたりとか、私が授業していると急にベテランの先生が、『もう先生の授業は分かんないから私がやるから』と言って乗っ取ったりとか、そういうのが頻繁にありました」
業務に忙殺されなければ、相談しても親身になってくれる同僚もいたかもしれない。しかし、「みんながみんなそれぞれ精いっぱいだから、誰かを助けることはできない」と、業務量の多さが妨げた。女性は疲弊し、次第に心身を壊していく。11月ごろからは食べ物を食べても嘔吐(おうと)するようになり、頭痛やめまいに悩まされる。「横にはなるんですけど、眠っているっていう意識がない」と、睡眠障害も発症した。
「布団に入って横になるときに、もう明日が来るのが怖いっていうのが常にあった。全部1人でやらなきゃならない。もう誰も助けてくれない。なんなら攻撃されるっていう怖さが常にあって、毎日寝るときにこのまま朝が来なければいいのにと思っていました。で、朝出勤するときは、ああ行きたくない行きたくない行きたくないっていうのがずっと続いていました」
パワハラ教師は今も現職 学校側「そういった事実は認められません」
3月に入り、学習内容をなんとか終わらせるまで踏ん張った。しかし、体は限界を迎えていた。体重は8キロも減った。「ある日本当に起き上がれなくなって、立ち上がれなくなってしまって、もう自分で電話をすることもできないくらいになっていて、最終的には夫に学校に行けないですって電話をしてもらって、お休みしたという感じです」。その日、人生で初めて心療内科を受診。うつ病と診断された。「あなたの症状は普通じゃないからもう働かなくていいんだよ」。医師から諭されたが、それでも、「終業式の日までは何とか働けるようになりませんか」と、訴える自分がいた。「そのとき運転も結構もうろうとしちゃっていたので、『もう本当に命に関わるよ』っていうことを言われて、ああ休まないといけないんだっていう感じでした」。事実上のギブアップだった。
翌日から休職期間が始まった。しかし、学校側は、自宅での作業を要請。通知表の作成やクラス編成の資料作りなど、1か月にわたって働き続けた。ようやく年度が替わると、「4月からの3か月間は、もう家のことすらできず、ほぼほぼ寝たきり状態でした」。もう頑張らなくていいと、肩の荷を下ろした。
休職から3か月がたつと、少しずつ散歩ができるようになったが、「学校の近くの地域に行ったりすると、体がこわばったり、パワハラをしてきた人と同世代ぐらいの女性の方に会ったりすると、過呼吸になったりという症状がまだ出ました」。恐怖心が植えつけられ、復職することは困難だった。
学校側にはパワハラ被害を訴えたが、聞き入れてもらえなかった。
「夫を通して校長に伝えたんですけれども、私がパワハラを受けた現場を見ていたスタッフは全員、その会議にいないようにされていました。だから、『そういった事実は認められません』みたいな感じで言われて、結局終わってしまった感じです」
女性は「引っ越したばかりで、仕事に全力を注げる環境ではなく、自分の力不足のところもあった」と自戒しながらも、学校側の対応には納得のいかない様子だ。悪質な言動や嫌がらせ行為はあらゆる場面で行われていた。「私が分からないことを聞きに行っても無視される、職員室で怒鳴られる。最終的には靴箱にゴミを入れられるとか、そういったことがありました」。まるで子どものいじめ。教師とは何なのか、考えさせられた。
女性は転職を決意する。「このまま教員を続けて、また体を壊して治してっていうのをやるのはもう無理だなって思いました」。4月からは教育関係の会社で働いている。現在体調は落ち着いており、近々最後の診察を受ける予定だ。「自分の中ではだいぶ良くなったので、そこで先生に、もう大丈夫って言われたら終わりだなという感じです」。1年以上に及んだ闘病生活に、ようやく出口が見えてきた。
パワハラをした教諭2人は今も同じ学校に勤務している。職場のブラックぶりは報道されても、教員同士のパワハラはあまり報じられない。「やっぱり結構大変なことになってしまうからもみ消してるっていうのも、大きいんじゃないかなと思います」。保守的で閉鎖的な職場による負の部分を危惧している。
教師を辞めたことに、こみ上げる思いは。
「仕事の本質だけで見れば天職だなって思えるぐらい素晴らしい仕事だと思っていたので、辞めたいとは全く思わなかったんですけれども、やっぱり労働環境とか、周りを取り巻く環境がどうしても、人間らしい生活を送ることができなくて、辞めざるを得ないっていう状況で……。本当に働き方改革とか先生に対する理解が進んで、環境が良くなるんだったらば、続けたいですけれども、今は少なくともやれる状況じゃないなっていうのが本心ですね」
できれば一生の仕事にしたかった。だが、後悔はしていない。女性は現状を憂いつつも、教育現場の改善を願っている。