自慢は“東京シングルナンバー” 10年放置のダットサン、梅林で発見から名作映画に出演するまで
梅林の中で見つけた車は、少年時代に心を弾ませたサンタカラーのダットサンだった。10年ほど放置されていた車の所有権を手に入れるために奔走。憧れのハンドルを握ってから40年以上、苦楽を共にしてきた愛車とは、東京の下町を舞台にした映画『ALWAYS「三丁目の夕日」』(山崎貴監督)に出演するなど思い出がいっぱいだ。
僕も愛車もまだまだ現役 全国を周りたい
梅林の中で見つけた車は、少年時代に心を弾ませたサンタカラーのダットサンだった。10年ほど放置されていた車の所有権を手に入れるために奔走。憧れのハンドルを握ってから40年以上、苦楽を共にしてきた愛車とは、東京の下町を舞台にした映画『ALWAYS「三丁目の夕日」』(山崎貴監督)に出演するなど思い出がいっぱいだ。(取材・文=西村綾乃)
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遠目からも目立つ愛らしいデザイン。オーナーの小山和彦さんが大切にしているのは、1958年式の「ダットサン1000 210型J特別仕様車」だ。
「小学校4、5年生の頃、タクシー会社を経営していた社長が出勤するときに乗っていたのが、ダットサンでした。通学途中に横をすり抜けて行く赤と白、2トーンのカラーがまぶしくて、少年時代の憧れでした」
東京都にある某市で職員をしていた小山さんは、27歳になったある日、運命の再会を果たした。
「梅林の中で『放置されている古い車がある』と聞いて見に行きました。かけられていた布団をあげたら、土地名が入っていないナンバーが見えました。すぐに『タクシー会社の社長の車と同じだ!』と気が付きました。持ち主を調べたら車関係のお仕事をされていた方でしたが、亡くなられた後でした」
オーナーを亡くした車は、10年ほどエンジンをかけられることもなく、放置されていたのだそう。奥さんに「譲ってほしい」とお願いをしてからが大変だった。
「付いていたナンバーを維持したいと、多摩にある陸運局に相談に行きました。職員の方から『3年分の税金が納められていない』と聞き、すぐ10万円ほどを納め、以前の持ち主の車検証を発行してもらいました。前の持ち主の一家は静岡にお住まいだったので、出向いて20万円を支払い譲渡書をいただいて、32歳か33歳のときに、晴れてオーナーになることができました」
手に入れた車はサビだらけ。整備ができる人を探し回った。
「車を見てくれる人が見つからなくて、最後は修理屋をしていた親戚のおじさんを頼りました。バラせるものはバラして、自分で直せるものは直して。当時と同じ塗装を再現しました。給料4か月分は使ったでしょうか。車のエンジンがかかったときはうれしかったですね」
1番の自慢は地名が入っていない、東京シングルナンバーと珍重されるナンバープレートだ。
「オーナーが変わったりすると、ナンバーを取り替えることが多いけれど、1958年に新車登録されたときと同じナンバーを守っています。タクシー会社の社長と同じナンバープレートのダットサンに乗りたかった。京都府は『京』、茨城なら『茨』とか、ナンバーの横に地名が入るんだけど、東京は入らなかったんです。世田谷とか人気のご地名のナンバーが注目されたりもしたけど、当時は“入っていないこと”で首都の車だっていうことが分かった。粋ですよね」
特別仕様車だった車には、ほかにも魅力がいっぱいある。
「ラジオは真空管。だから、エンジンをかけても15秒くらいは音が出ない。ざらざらした音は味わいがあります。ヘッドライトの真ん中が、へこんでいるもの猫の目みたいでかわいいでしょう」
40年間を共にした愛車とは、妻と一緒に2年をかけて北海道を巡ったり、北陸、東北を走るなど、あちこち出向いた。中でも所属する「全日本ダットサン会」の名刺の裏に映画のシーンを切り取った写真を印刷するほど、うれしかったのは映画『ALWAYS「三丁目の夕日」』への出演だ。
「僕たちが出演しているのは、続編の『ALWAYS 続・三丁目の夕日』(2007年)と、3作目の『ALWAYS 三丁目の夕日’64』(12年)。『劇用車として出演してほしい』と依頼をいただき、晴海で撮影をしました。うれしくて、うれしくて、有頂天でした。出演シーンは3場面ほどでしたが、丸1日かかりました。名刺の裏側に載せたシーンは、東京タワーに向かう道を走行しているところ。『夕暮れの風景を撮りたい』と監督に言われて、午後5時まで待って撮影をしました。大切な思い出になりました。僕も愛車もまだまだ元気。愛車に奥さんを乗せて、全国を回りたい」と夢を教えてくれた。