ゴーゴーカレー創業者が語る波瀾万丈 「無理と言われたら燃える」 パチプロ→添乗員、29歳で一念発起
ドロッと濃厚なルーの上にジューシーなカツ、付け合わせの千切りキャベツが食欲をそそる。いわゆる金沢カレーの人気店として知られるのが、『ゴーゴーカレー』だ。創業者の宮森宏和会長は力強い行動力を発揮し、世界進出を果たすなど有名チェーンを一代で築き上げた。同郷の英雄で、米大リーグで活躍した松井秀喜さんのホームランに感激して脱サラ。拡大路線が裏目に出た資金繰り悪化を切り抜け、安定経営を実現させている。IT活用とさらなる海外展開の今後、そして、「ノーベル平和賞」の夢。49歳の名物経営者が歩んできた波瀾万丈の人生に迫った。
宮森宏和会長 同郷の英雄・松井秀喜さんの大リーグホームランに感激して脱サラ 2004年に1号店オープン
ドロッと濃厚なルーの上にジューシーなカツ、付け合わせの千切りキャベツが食欲をそそる。いわゆる金沢カレーの人気店として知られるのが、『ゴーゴーカレー』だ。創業者の宮森宏和会長は力強い行動力を発揮し、世界進出を果たすなど有名チェーンを一代で築き上げた。同郷の英雄で、米大リーグで活躍した松井秀喜さんのホームランに感激して脱サラ。拡大路線が裏目に出た資金繰り悪化を切り抜け、安定経営を実現させている。IT活用とさらなる海外展開の今後、そして、「ノーベル平和賞」の夢。49歳の名物経営者が歩んできた波瀾万丈の人生に迫った。(取材・文=吉原知也)
「無理と言われたら燃える」。これが宮森会長の信念だ。店を立ち上げるまでは紆余曲折があった。農家の長男として生まれ、高校卒業後は就職せずに、パチプロに。「30万円から50万円は稼げたんです。でも世間体を気にする家族から反対されて。パチプロをやっていたのは1年ぐらいでしたね」。たまたま家の近くにあった旅行系の専門学校に通い、地元の旅行会社に就職。バスの添乗員になった。
転機が訪れたのは29歳のとき。2003年4月8日、ヤンキースに移籍したばかりの松井秀喜さんがニューヨークの本拠地開幕戦で満塁ホームランを打ち、世界を驚かせた。「ずっと松井選手のファンで、ニュース映像を見てうれしくて感動でした。それと同時に、負けてられないぞ、そう思ったんです」。心に誓いを立てた。絶対にニューヨークで成功する――。
そこから有言実行で突き進む。同年8月に旅行会社を退職。地元のブランド・金沢カレーでビジネスを、と思い付き、地元の老舗店で修業。先に物件を決めることが条件だったため、大胆にも東京で探し回り、西新宿の地下の物件を契約した。翌04年5月5日にゴーゴーカレー1号店をオープン。テナントが続かずに“いわくつき”と呼ばれた場所からスタートしたが、自信の味が多くの人の胃袋をつかみ、破竹の快進撃。創業から3年後には、念願のニューヨーク出店を成功させた。
一方で、勢い任せの拡大路線の裏で、人材の育成不足などの課題が噴出し、キャッシュフローの財務状況が悪化。13年、銀行に借入金の返済条件の変更を申し出るリスケジュール(リスケ)を行う事態まで陥った。さらに、赤字店舗をたたむことに伴い、これまで一緒に働いてきた仲間約10人のリストラも敢行した。
「税理士さんに相談して、お金の整理をしました。リストラに関しては、とにかく精神的につらかった。話し合いの中で『労基署に行くぞ』と言われたこともあります。でも、組織とは難しいもので、ずっと信じて残ってくれる人もいれば、動揺を感じて去る人もいる。残ってくれた従業員の間で、一度は辞めたけど戻ってきたいという人に対して、『なんで戻るの?』となったこともあったり……。そもそも経営側のこちらが悪いのですが、もうこんな嫌な思いをしたくないし、させたくない。そのためには、しっかり経営していかなければ。そう心に決めました」と顧みる。レトルト事業に注力するなど、懸命の取り組みによって、財務危機は1年で脱することができた。
私生活で悲しい出来事があった。同年、第一子の長女・迦弥(かや)さんを生後55日で亡くした。現在は、その後に生まれた3人の子育てにも全力投球している。
味に絶対の自信「それをAI、ビッグデータに乗せて、もっと広めていきたい」
苦難を乗り越え、気付いたことがある。
「経営については、最初はもっとスピード展開できるイメージで挑戦を始めましたが、自分の実力不足を痛感しました。創業時の勢いで店は出せますが、続けていくには、ちゃんとした戦略、経営力、組織力が必要なんだなと。こうした中で、ちゃんとやっていればお客さんは増えていく。自分が信じておいしいと思ったカレーは間違いじゃない。そのことを実感できています。リピートしてくださるお客さんがいて、大きくなって子どもを連れてきてくださるようになる。その姿を見るとうれしいです。ファンの皆さんの中でコミュニティーができあがって、SNSで盛り上がっていただけることもありがたく思っています」
そのうえで、「松井さんもよくおっしゃっていますが、人間万事塞翁が馬。陰と陽の繰り返しと言いますか、その中で生かされているという感覚で、日々過ごしています」と実感を込める。
コロナ禍をはねのけた経営には、多くの秘訣(ひけつ)がある。その1つが、人材確保。「一緒に働く仲間は自分たちで決める」というスカウト方針のもとで、年齢・性別・国籍・学歴関係なく、バイタリティーのある人材を登用している。「例えば、高卒の従業員であれば、『早く自立しよう』と覚悟を持っていて優秀な人材が多いですよ」と語る。
このほど、自伝的ビジネス書『カレーは世界を元気にします~金沢発!ゴーゴーカレー大躍進の秘密』(光文社刊)を上梓した宮森会長。自身の生み出したカレーチェーンがグローバル企業としてさらなる進化を遂げるために、今年3月に人事についてある決断を実行した。自身は会長に就任し、IT業界から西畑誠新社長を迎え入れた。「フードテック企業」に生まれ変わるために、AI(人工知能)やビッグデータの活用を推し進め、アプリを用いたテーブルで決済まで完了する新システムの導入、デリバリー・テイクアウト専門店の増強などを計画しているという。「味は絶対のものを持っているので、それをAI、ビッグデータに乗せて、もっと広めていきたいです」と強調する。
自身は世界のビジネス市場を舞台に、「0を1にする」海外のルート作りに注力。「会長になって、ある意味楽になりました。こないだはフィリピンルートを作ったし、今度はEU。今年7月にパリでイベント出展を見込んでいるので、EU初出店を目指したいですね」。米国、シンガポール、ブラジル、インドネシアに次ぐ、新規開拓に突き進んでいる。
それに、壮大なプランも。「がんとたたかうカレー」を開発し、食を通した健康増進に寄与する構想だ。カレーを通じて貧困や教育などの社会課題を解決し、ノーベル平和賞の夢を思い描く。
日本のカレーを世界に。すべての原動力がこの思いにある。「3月のWBCで日本チームが優勝して、みんなで喜びを分かち合ったと思います。ノーベル賞を受賞したり、オリンピックでメダルを取ったり、日本人が世界で活躍する姿を見るのはうれしいですよね。それに、石川県民からしたら、金沢カレーが日本全国、海外で有名になるのは本当にうれしいことなんです。だからこそ、日本から世界に出ていきたいです。世界が元気になるカレーを届けたいです」。少年のように目を輝かせた。
□宮森宏和(みやもり・ひろかず)1973年、金沢市生まれ。人気カレーチェーン『ゴーゴーカレー』創業者で、世界展開を成功させた。2014年に「金沢カレー協会」、22年に「日本カレー協議会」を発足、カレー文化の発信にも尽力している。趣味はトライアスロン。