光秀の子孫・細川珠生さんの心情「反逆者として描かれるのは子どもの頃からすごく嫌」
政治ジャーナリストとして活躍する細川珠生さん。三井住友建設の社外取締役や内閣府男女共同参画会議の民間議員でもあり、活動は多岐にわたるが、明智光秀とその娘・細川ガラシャ(たま)の子孫という顔も持つ。細川さんに女性のキャリアや子孫の心情を聞く企画の第2弾。今回は、光秀とガラシャ、そして細川家にどんな思いを抱き、2人が登場する時代劇をどんな気持ちで見ているのか聞いた。すると子孫ならでは感情を赤裸々に明かしてくれた。
ガラシャへの思いは「細川家を救った人として我が家ではとらえています」
政治ジャーナリストとして活躍する細川珠生さん。三井住友建設の社外取締役や内閣府男女共同参画会議の民間議員でもあり、活動は多岐にわたるが、明智光秀とその娘・細川ガラシャ(たま)の子孫という顔も持つ。細川さんに女性のキャリアや子孫の心情を聞く企画の第2弾。今回は、光秀とガラシャ、そして細川家にどんな思いを抱き、2人が登場する時代劇をどんな気持ちで見ているのか聞いた。すると子孫ならでは感情を赤裸々に明かしてくれた。(取材=中野由喜)
2020年に明智光秀を主人公にしたNHKの大河ドラマ『麒麟がくる』が俳優・長谷川博己で放送され、光秀に注目が集まった。
「光秀を大河ドラマの主人公にしたいと、ゆかりの地の方々が運動をなさっていた頃から誰が演じてくださるのかということはとても気になっていました。知的なイメージの長谷川さんが演じられ、良かったです。我が家では光秀の配役は最大の関心事です(笑)」
これまで多くの時代劇で光秀は裏切り者として描かれ、いいイメージではなかった。
「先祖ですから、裏切り者、反逆者として描かれるのは子どもの頃からすごく嫌でした。『麒麟がくる』では従来とは全く違う描かれ方でしたので、『ようやく、我が家の時代が来た』と思ったくらいでした(笑)」
細川さんの家では、光秀はどのような人物としてとらえられてきたのだろうか。
「我が家では、光秀は信長を倒した『正義の人』と言われ、継承されてきました。信長はあの時代に初めて天下統一、つまり『一国一城の主』にとどまらず、全部の『国』を治めようとした武将で、さらに『世界』にも関心をもった人物。先見性もあり、広く世を見るすごい人だと、私でも(笑)思います。一方で、独裁的であり、暴れん坊の部分も。光秀は信長のすごさを分かりながらも、この人が天下を治めては、この国はどうなるか分からない。このまま信長を生かしておいてはいけないと考えたのだと思います。当時、主君を討つことは許されることではありません。しかし、研究も進み、今は光秀の心情に迫る、いろいろな見方ができるようになりました。それでも、まだほとんどの時代劇で光秀のイメージは謀反人と固定化されて描かれています。そこは我が家との大きなギャップです」
光秀が本能寺の変で信長を討った理由には、怨恨説や自ら天下を治める野望説などさまざまな説がある。細川家に伝わっていることはあるのだろか。
「光秀は自分が長く天下を取ろうとは考えていなかったと思います。世が落ち着いたら光秀の盟友でもある細川藤孝の長男で、たまの夫である忠興の代に受け渡すまでの、自分はいわばワンポイントリリーフだと書かれた書状があります。とにかく信長を倒すことが目的。家臣として散々ディスられてきましたから(笑)、信長に恨みがなかったとも思いませんが、ただ憎いから討ったのではないと考えています」
そんな信長に対する心情を尋ねると、思いがけない言葉と人物の名前が挙がった。
「信長は光秀の敵のように思われていますが、私個人は信長に対しては悪い思いはあまりないんです。むしろ秀吉の方にいい印象がありません。『中国大返し』とか要領がいいですよね。それに最終的には光秀を山崎の合戦で倒し、その秀吉に、細川家も、ことにたまは、父を倒した相手であるにも関わらず、言うことを聞かざるを得なかったわけです。相当な屈辱だったと思います」
細川さんは、光秀の娘・たま(ガラシャ)の直系卑属として、どのような思いを抱いているのだろうか。
「たまは細川家を救った人として我が家ではとらえています。関ケ原の戦いで細川家は東軍につきましたが、西軍の石田三成側の家来が女性や子どもを人質にしようとしました。たまは人質になってしまうと夫・忠興が存分に戦えないと考え、人質にされる前に命を落としました。それにより忠興は精いっぱい戦って東軍の勝利に貢献し、細川家は大名として残ることができたのです。光秀は、そういうたまの父親としても重要な人として言い伝えられています」
もし光秀とたま(ガラシャ)の物語を自身が描くならどんな内容だろう。
「『麒麟がくる』で光秀とたまの父娘関係にスポットを当てていただきましたが、たまと忠興の関係も面白いんです。たまは強いですから、やり返す感じでした。知的好奇心が高く、勉強熱心。父親譲りだと言われています。また、本来、謀反者の娘である嫁のたまは、殺されてもしかるべき時代でしたが、藤孝は、離縁という形はとったものの、細川家の領地である味戸野(現在の京丹後市)に幽閉し、たまを救いました。そこには、光秀の盟友としての深い関係があったことがうかがえます。藤孝が精いっぱい、たまを守ったと私は思っています。常に命の危険がある時代の家族の絆の話。いかがでしょうか」
□細川珠生(ほそかわ・たまお) 1968年東京生まれ。91年聖心女子大卒、同年から92年まで米ペパーダイン大学政治学部留学。現在、聖心女子大大学院人文科学研究科博士課程に在学中。20代よりジャーナリストとして、政治、地方自治や教育などの執筆、講演、メディア活動を行う。Podcast『細川珠生の気になる珠手箱』を公開中。現在、三井住友建設(株)社外取締役、内閣府男女参画会議議員、東京都情報公開・個人情報保護審議会委員、(公財)国家基本問題研究所理事などを務める。故・細川隆一郎氏は父、故・細川隆元氏は大叔父。熊本藩主・細川忠興、たま(ガラシャ)夫妻の長男・忠隆の直系卑属。キリスト教カトリック信者で洗礼名はガラシャ。著書に『私の先祖 明智光秀』、『明智光秀10の謎』(宝島社)、『自治体の挑戦』(学陽書房)などがある。細川隆一郎との父娘関係をつづった『娘のいいぶんがんこ親父にうまく育てられる法』で、第15回日本文芸大賞女流文学新人賞受賞。