トルコの地震支援、日本のリハビリ室は“神の手”と話題に 被災者にあふれる感謝「あそこに行くと治るから」
地震や災害が起きたとき、どのような支援が必要なのか。医療や食料の供給とともに、柔道整復師の役割を訴えるのが森倫範さんだ。森さんは2月に地震が起きたトルコに、日本の国際緊急援助隊(JDR)の一員として派遣され、ロジスティクス要員(後方支援としての活動が主=ロジ班)として業務をこなした。一方で、柔道整復師の資格を生かし、けが人の対応やリハビリをサポート。大地震の爪痕が残る現地で、森さんが感じたこととは。
柔道整復師の資格を生かし、けが人の対応やリハビリをサポート
地震や災害が起きたとき、どのような支援が必要なのか。医療や食料の供給とともに、柔道整復師の役割を訴えるのが森倫範さんだ。森さんは2月に地震が起きたトルコに、日本の国際緊急援助隊(JDR)の一員として派遣され、ロジスティクス要員(後方支援としての活動が主=ロジ班)として業務をこなした。一方で、柔道整復師の資格を生かし、けが人の対応やリハビリをサポート。大地震の爪痕が残る現地で、森さんが感じたこととは。(取材・文=水沼一夫)
JDRは外務省が主管し、国際協力機構(JICA)に事務局を置くチームだ。トルコには地震発生後、医療チームは計3回、延べ181人(一次隊:75人・二次隊:65人・三次隊41人)が派遣されており、森さんは2月23日からの医療チームの二次隊として派遣された。
向かったのは南東部のガジアンテップ県オウズエリ地区。オウズエリ国立病院が地震の影響で建物の安全性が低下し、診療に影響が出ていた。JDRの隊員たちは職業訓練学校の駐車場に仮設のテント型野外病院を作り、手術室・分べん室や病棟などを大規模展開。被災者の治療にあたった。
隊員は医師、看護師、医療調整員、業務調整員の4つのカテゴリーに分かれ、森さんは医療調整員に加わった。ほかに理学療法士や診療放射線技師、臨床検査技師などが医療資格として登録されていたが、JDRに「柔道整復師」としての資格登録はなく、電気やトイレなどロジスティクスの担当として派遣された。現地のリソースを極力使わない「自己完結型」の支援が求められており、日本から約30台の発電機を持ち込んだ。外来や手術室等多くの医療機器を用いる場所の電源が落ちないように管理し、診療サイトやキャンプサイトの電力を安定供給することが主な仕事だった。ほかにも、トルコの水道水は塩素濃度が高かったため、日本の飲料水の基準に合わせられる浄水装置を使って作られた水の運用など、ロジ班としての役割を担った。
そして森さんは担当業務の合間を見て、柔道整復師としての経験も生かした。リハビリ室でけがや痛みを訴える患者の対応にあたった。外来に訪れる患者は1日85人~100人程度。うち15人ほどがリハビリ室で施術を受けた。JDRに登録されていた理学療法士が1人で対応していたが、混雑時は森さんもサポートした。
「震災から2週間以上経過している状態で、体を動かすことができず、首や腰の痛みを訴える患者が多かったです。また、震災後の片付けをしたときに、手首をひねってしまったり、物が落ちてけがしてしまった方もいました」
即座に命にかかわるような患者は少なかったものの、骨折やけが、筋肉の損傷、体の痛みなど、外来を訪れる患者の症状はさまざまだった。森さんが驚いたのは、現地の日本のリハビリ室の評判だった。「ゴッドハンド、ゴッドハンドと言われていました。『あそこに行くと治るから』と言われましたね」。施術は一次隊のころから好評で、うわさは広がっていた。
森さんも、患者のために工夫をこらした。例えば、膝のじん帯を損傷して歩けなかった女性に対しては、現地にあった段ボール紙とビニールテープを用いて添え木の代わりを作り、包帯でひざを安定させる応急処置を行った。同様の処置により、車いすで来た男性は松葉づえで帰ることができた。「整形外科医も見にきてくれて、こんな方法あるんだなとびっくりしていました。男性は『歩ける!』ってすごく喜んでいました」。滞在した9日間で、直接かかわった患者は約40人。森さんの腕を聞きつけ、帰国日にも飛び込みで3人の患者が訪れるほどだった。
リハビリ室では、現地ボランティアの通訳やスマートフォンのアプリを介し、現地の人々と言葉を交わした。温かみに触れる機会もあった。「治療が終わってよくなったときに、みんな笑顔がいいんですけど、『何が欲しい?』って聞かれます。何かお礼をしたいと思われるんですね。私が『いらないですよ。私たちはこれをやるために来ていますから』と言うと、『あなたたちのためにお祈りをします。これから先あなたたちの未来が明るくなるために神にお祈りします』というふうに、私たちの活動をすごく感謝してくれました。皆さん、JDRがトルコに来てくれたことに『ありがとう』という感謝の気持ちをいろいろな形で表現してくれました。それがとてもうれしかったですね」。上がらない肩が施術によって上がるようになった女性の患者からは、手作りの人形を「おまもり」としてプレゼントされた。
夕食にトルコの名物料理ケバブ 心のこもった地元住民のもてなしに感謝
森さんたちの宿泊場所は、診療サイトから徒歩5分ほどの場所にあった。1人用テントの中に寝袋を重ねて就寝。食事は日本から持参したアルファ米等の災害用非常食だった。一方で、昼食は現地の料理人が好意で作ってくれることもあった。パンやサラダ、スープ、肉、野菜の煮込み、パスタなどが日替わりだった。夕食にトルコの名物料理のケバブでもてなしてくれたこともあったという。「その時は隊員だけでなく、通訳さんや現地の皆さんと食べました。すごくおいしかったです」。当時の写真を見ながら、森さんに笑顔があふれた。
20年前に愛知・名古屋市での台風による水害を目の当たりにしたことをきっかけに、ボランティアとして災害に対する活動をした森さん。JDRにかかわるようになったのは2020年からだった。
今回のトルコ訪問で学んだことはどのようなことだったのだろうか。
「災害で現地の通常の医療システムが崩れてしまうことによって、医療の提供がうまくいかなくなるということを痛感しましたね。医療に関わる人材や、安全な建物はある。だけど通常の診療に用いるための医療資機材がない。そのために普段の医療が提供できない。けがや病気で困っている患者さんはあふれてくる。震源地から離れている場所でも震災の影響はあって、その影響や状況が見逃されると日々の生活に困る方たちがたくさんいることに気づかされました」
建物や橋の崩落、交通網の遮断……。見た目の被害だけでない被災地の現状に、気づかされることがあった。
そして、柔道整復師として果たせる任務がたくさんあることも実感した。
「私たち柔道整復師が災害地に行ったときに役に立てると感じました。今後は1人の柔道整復師としてはもちろん、職能団体から国際協力として何ができるかということを進めたいと思います。いつかJDRの中でも柔道整復師という資格が追加してもらえるように願っています」
柔道整復師というのは日本特有の職業だと森さんは言う。リハビリだけではなく、骨折やけが人の応急処置も担う。そのことが、物資も滞った混乱状態の災害現場で大きな力を発揮するとはっきりと分かった。
資格保有者は全国で7万人以上に上る。今後は災害に対応できるメンバーと連携し、人材を育て、いざというときに貢献できる準備を整えることが森さんの目標になった。
「現地の医療リソースが復旧するまでの間の手助けができるシステムを作りたいと考えています。今回はトルコに行かせていただきましたが、国内の災害でも救助チームと医療チームを結ぶということに可能性を感じています。医療は医師をはじめとする医療従事者が、救助は自衛隊・警察・消防を中心とした救助隊が担っています。その両者の『間』をつなぐためには、まだまだ課題があると思います。
命に関わらなくても骨折などのけがをしている負傷者を医療に届けるまでの間の応急処置で、私たちの仕事が役立てるのではないかと可能性を感じています。痛みで苦しんでいる方が少しでも楽になれるよう、その『間』をより良い形でつなげられればと願っています。(災害現場から)救出された負傷者の患部を固定し、運搬を手伝い、医療現場にバトンをつなぐ。我々の力でもっと救われる人たちが増やせるように、未来につなげられる活動を続けていきたいと思います」と、結んだ。