SKY-HI、小6で全国模試1位 中学受験で難関校複数合格 早実→早大中退を選んだ理由
アーティスト、社長、プロデューサーのSKY-HI(スカイ・ハイ=36)が、ENCOUNT編集部のインタビューに応じた。現在、「エンターテインメント界の革命児」と注目される36歳は、2005年にAAA(活動休止中)のメンバーとしてデビュー。同時期から都内クラブなどでラッパーとしての活動してきた。一方で高校時代から起業の目標を持ち、20年9月に音楽事務所のBMSGを設立。同年12月からは、私財1億円を投じてボーイズグループ発掘オーディション『THE FIRST』を開催した。デビューした7人組のBE:FIRSTは、昨年のNHK紅白歌合戦に出場。今年2月にスタートした新プロジェクト『D.U.N.K. -DANCE UNIVERSE NEVER KILLED-』は、「幾多のダンス&ボーカルグループが垣根を越えて、日本から世界に発信していく」をコンセプトにしている。その行動力とマインドはどのように形成されたのか。インタビュー「前編」では、小6で全国模試1位になった秀才が、大学を2年で中退を決断するまで流れと思考を紹介する。
インタビュー・前編「有名人になる覚悟があるのなら、辞めちゃうのも良いよね」
アーティスト、社長、プロデューサーのSKY-HI(スカイ・ハイ=36)が、ENCOUNT編集部のインタビューに応じた。現在、「エンターテインメント界の革命児」と注目される36歳は、2005年にAAA(活動休止中)のメンバーとしてデビュー。同時期から都内クラブなどでラッパーとしての活動してきた。一方で高校時代から起業の目標を持ち、20年9月に音楽事務所のBMSGを設立。同年12月からは、私財1億円を投じてボーイズグループ発掘オーディション『THE FIRST』を開催した。デビューした7人組のBE:FIRSTは、昨年のNHK紅白歌合戦に出場。今年2月にスタートした新プロジェクト『D.U.N.K. -DANCE UNIVERSE NEVER KILLED-』は、「幾多のダンス&ボーカルグループが垣根を越えて、日本から世界に発信していく」をコンセプトにしている。その行動力とマインドはどのように形成されたのか。インタビュー「前編」では、小6で全国模試1位になった秀才が、大学を2年で中退を決断するまで流れと思考を紹介する。(取材・近藤加奈子、構成・柳田通斉)
SKY-HIは、最新著書『マネジメントのはなし。』(日経BP刊)で「こと義務教育で学んだことに関しては、ものすごく使うんです」と記している。両親に「勉強をしなさい」と言われてはいないが、1つの選択を機に自主的に勉強するようになったという。
「『中学受験はして欲しい』とは言われていました。で、小学4年生の時に『夏季テストだけでいいから受けて』と言われ、受けてみたらそれが割と楽しかったんです。知らない環境で知らない人たちと知らない問題を解くという行為がです。それとテストを受けると、サイゼリヤでフィレステーキを食べさせてもらえたんですよ。外食って子どもには一大イベントで、値段も当時900円台でサイゼリヤのメニューの中でも最も高い。それがうれしくて、冬季講習と春季講習に少しだけ行くようになり、5年生の始めから本格的に塾に通い始めました。公文式、水泳、ピアノ教室には通っていたし、僕の希望でサッカーにも通わせてくれました。家庭環境にはめちゃくちゃ恵まれていました」
だが、サッカーとの両立は容易ではなく、成績は伸び悩んだ。そして、自分自身で「勉強」を選んだという。
「勉強しないと成績が上がらないことに早い段階で気付きました。当たり前ですが真理です(笑)。そして、『このままじゃ、後悔する』と思い、小学6年生の夏以降はサッカーを辞めました。今考えると、子ども身に二重のタスクは重かったです。勉強を頑張ればサッカーをやる時間を削られるし、サッカーをしたら疲れて勉強なんてしたくないし。悩んだ末にサッカーを辞めようと決意した時、自分からコーチに伝えに行きました。それからは勉強にハマりました」
結果、成績はグンと伸びた。国語の模試では全国1位にもなった。
「満点だったので、1位は僕以外にもたくさんいました。さすがに親は喜んでいましたね。成績が上位だと紙に名前と出身地が載るのですが、『国語が1位だったのに、もう1科目の算数で下がっちゃうのは嫌だな』と思って、算数も頑張っていました。それで2科目でも100位以内にいました。その記憶はあります」
他の名門中に合格も…「大学受験のことを考えることは苦痛」
受験結果は、早稲田実業中、暁星中、東邦大東邦中、市川学園中に合格。ここでの選択に迷いはなく、早大に繋がる早実中に入学した。
「自分で『中学受験を頑張ろう』と思ったのは、姉が大学受験で苦しんでいたのを近くて見ていたからなんです。17~18歳って青春真っ盛りの一番楽しい時期のイメージなのに、勉強漬けで苦しむことを不思議に思っていました。『中学に行ったら楽しい生活が待っている。夢中になれるものと出会える』という根拠のない期待感もあったと思いますし、中学受験が終わる前から大学受験のことを考えることは苦痛でした。その時間を捻出しやすい学校が良いと思う中、学校一覧の本を読んで『校風が自由』と記載があるページにだけ折り目をつけていました。そして、母親が早稲田大学のラグビー部が好き。そういう影響も受けていたと思いますし、早実中を第一志望にしていました」
入学後は思い通り、青春をおう歌したという。音楽に目覚めたのも、この時期だった。
「サッカーを再開しましたが、もう能力が落ちていました。『このレベルじゃ、プロにはなれない』と気付いてからは、ありとあらゆるものに好奇心が止まらない状態が続きました。その中でもドラムが1番で、『サラリーマンになっても、音楽はずっとやろう』と思っていました。高校に進むとヒップホップにめちゃくちゃハマり、自分でビートメークをやり始めました。当時のラッパーやプロデューサーたちを真似して頭は丸刈りにしていました」
高2でAAAのオーディションに合格。芸能活動を兼ねながらも落第することなく、内部進学で志望した早大社会科学部に入学した。だが、グループはメジャーデビューを飾り、想定外の忙しさとなった。
「当時はAAAをやりながら夜はラッパーもやっていて、それで朝、大学にも通うとなると三重生活。これは『さすがに無理だな』と。『履く草鞋(わらじ)は二足までにしよう』と決めました。その時は『戻れるようにはしておいた方がいいかな』と思い、担任にメールで『休学に関してお話したいことが』と送ったんです。ただ、その人が外国の方で『日高さんの“体学”の件に関してですが』、と漢字を打ち間違えて返信がきたんです。それで大学の事務に行って渡されたのが、退学届だったから『間違えていませんか? 僕は休学と言いましたよ』と伝えたら、『大学はやりたいことを決めるためにあるし、やりたいことが決まっているのなら、音楽に専念した方が良いですよ』と言われたんです。続けて『退学しても8年以内だったら簡単な試験でもう1度入れますし、そのテストに受かるくらいの情熱がないなら復学しなくて良いと思う』と言われ、『確かに』ってふに落ちたんです。もう1つ、僕が小学生の頃、『早稲田大学は退学すると良い』みたいなジンクスが聞いたのを思い出し、『有名人になる覚悟があるのなら、辞めちゃうのも良いよね』と思い、2年の終わりにやめました(笑)」
確かに早大には「中退一流、留年二流、卒業三流」の言い伝えがあり、大橋巨泉、タモリ、小室哲哉、堺雅人ら有名人の中退者が多くいる。系属校の中学から「ワセダ」の自由な校風で歩んだSKY-HI。AAAで時代を駆け抜け、20年には高校時代からイメージしていた起業を実現した。インタビュー「後編」では、ビジネスマン、プロデューサーとしての思考に迫る。
□SKY-HI(スカイハイ)本名・日高光啓。1986年12月12日、千葉・市川市生まれ。早稲田大社会科学部中退。2005年、AAAのメンバーとしてデビューし、同時期にSKY-HIとしてソロ活動を開始。以降、ラッパー、トラックメイカー、プロデューサーと幅広く活動。20年にBMSGを設立し、代表取締役CEOに就任。