eスポーツキャスター転身の篠原光アナ、日テレ退社で描く未来「オタクの強みを生かしたい」

28歳で日本テレビアナウンサーからフリーのeスポーツキャスターに転身。2月にこのニュースが流れると、ネット上では「もったいない」の声が相次いだ。だが、当事者の篠原光(しのはら・こう)は今、生き生きとしている。取材をすると、純粋に好きなことに突き進む“オタク”な素顔が見えてきた。

Protagon株式会社と業務委託契約を結んだ篠原光【写真:ENCOUNT編集部】
Protagon株式会社と業務委託契約を結んだ篠原光【写真:ENCOUNT編集部】

eスポーツ実況第一人者・岸大河が代表のProtagonと業務委託契約

 28歳で日本テレビアナウンサーからフリーのeスポーツキャスターに転身。2月にこのニュースが流れると、ネット上では「もったいない」の声が相次いだ。だが、当事者の篠原光(しのはら・こう)は今、生き生きとしている。取材をすると、純粋に好きなことに突き進む“オタク”な素顔が見えてきた。(取材・文=ENCOUNT編集部・柳田通斉)

 篠原は4月から、eスポーツ実況第一人者・岸大河が代表を務めるProtagon株式会社と業務委託契約を結んだ。早速、eスポーツイベントで実況。篠原は「岸さんのお陰です」と、満面の笑みで言った。

「むちゃくちゃ楽しいです。週末に実況の仕事があるのですが、平日はそれに向けた準備でゲームをしています。実況のポイントをつかむことが目的ですが、『これも仕事なんだ~』『何て楽しいんだ!』とうれしくなります」

 篠原は東京で生まれ育ち、高校時代は軽音楽部と柔道部に所属した。幼少から「好きなことをあきらめられないタイプ」で、ゲーム、アニメ、ボーカロイド、邦ロックも楽しんできたという。

「好きなことばかりをやっていました。柔道部に入ったのは、小学時代に習っていて、それを生かすためと顧問の先生が人として好きだったからです」

 一浪して明治大政治経済学部に入学。1年の終わりには声優の仕事に憧れを抱くようになっていた。だが、その道が険しく、成功者がわずかしかいないことも知っていた。「やっぱり、サラリーマンになるべきか……」。それを口にすると、母親から「声の仕事をあきらめてしまうのは違うと思う」と言われ、「サラリーマンと声の仕事。その交差点にあるのが放送局のアナウンサー」と発想したという。

 その後は約1年をかけ、「アナウンサー職」の意義を考えたという。複数のアナウンススクールに通い、テレビ番組を視聴する中で調べ、「やりたいこと」を見つけた。

日本テレビでは入社1年目から『ZIP!』でスポーツを担当した【写真:ENCOUNT編集部】
日本テレビでは入社1年目から『ZIP!』でスポーツを担当した【写真:ENCOUNT編集部】

「防災」「救命」の意義を感じて志望したアナウンサー職

「2015年の夏、鬼怒川の堤防が決壊した際、NHKの高瀬耕造アナウンサーが救助を待つ人たちに向かって、『あきらめずに待っていてください。手を振り続けてください。必ず助けは来ます!』と呼び掛けていました。あの映像に胸を打たれ、『防災報道をやりたい』と強く思いました。「命を考えるという面では、高2の5月にがんで父を亡くしたこともありました。身近な人の死、はかない命。そういった命を少しでも守れる仕事がしたいと思いました」

 明確な志望動機を持ち、アナウンサー採用試験を受けた。超難関に関わらず、篠原は日本テレビの試験を突破。入社1年目で情報番組『ZIP!』のレギュラーになり、スポーツを担当。2年目からは念願の報道担当になった。

「台風被害にあった民家の家主を取材したり、コロナ禍に入った際は、ダイヤモンドプリンセス号が停泊していた港で取材をしました。『いつかはニュース番組のキャスターを』という思いでした」

 4年目からは、バラエティー番組『ヒルナンデス』のレギュラーになったが、昨年7月8日、安倍晋三元首相が銃撃された際には生放送で緊急対応。ほぼ1人で約2時間、情報を伝え続けた。

「場面替わりの映像、現場からの情報をアナウンスし、これまでの振り返りを入れるなど、報道局員、先輩アナウンサーに支えてもらいながら、何とか状況を伝えられた感じです」

『ヒルナンデス』でのアシスタント役も好評だったが、昨年、岸が実況するeスポーツ配信を見たことが転機のきっかけとなった。

 篠原はパソコンのキーボード音が好きで、ビッグカメラで陳列されたキーボードをたたいて録音したこともあるという。その際、キーボードメーカーのアンバサダーだった岸の等身大パネルを発見。数年後、岸の時に立ち上がり、叫び、泣く実況を見てひきつけられていた。そして、20年春、岸が日本テレビ系eスポーツ番組『eGG』に出演。篠原は出演していなかったが、収録当日、岸と食事の機会に恵まれた。

「憧れの人だったので、思い切り愛を伝えました。そして、ゲーム業界、eスポーツの魅力をさらに感じました。そこから1、2か月のやり取りを経て、僕から『岸さんと一緒に仕事をさせていただくことはできますか』とうかがいました」

 心配もあった。eスポーツのキャスターには、ゲーマーから地位を築いた岸らに加え、元ABCテレビの平岩康佑、元Daiichi-TV(静岡第一テレビ)の柴田将平らがおり、「自分の枠はあるのか」と感じていた。だが、岸と話す中で「このゲーム業界をより大きくし、多くの人に知ってもらいたい」「カバン持ちでいいから、岸さんの元で勉強したい」と強く思うようになった。

岸大河(右)との撮影で笑顔の篠原光【写真:(C)Protagon株式会社】
岸大河(右)との撮影で笑顔の篠原光【写真:(C)Protagon株式会社】

理解してくれた日本テレビ、家族に感謝「臆病にならずに」

 転職の決断は昨年10月。母親は「帰る家はあるのだから、臆病にならずにやれるだけやってきなさい」と賛成してくれたという。

「『(日本テレビ退社は)もったいない』とは思っていたでしょうが、母はそれを口に出す人ではありません。それに出口が私の好きなゲームだから、『応援するしかない』と思ってくれたと感じました」

 日本テレビの上司に意志を伝えた際には、「なぜ」と聞かれたが、「好きなゲームの道に進み、業界を盛り上げたいです」と伝えると、「そこまでの思いがあるなら」と理解をしてくれたという。

 だが、やりたかった「防災」「救命」はどうするのか。篠原は「それもゲームで対応できると信じています」と言った。

「私のアイディアレベルですが、例えばVR、ARを使えば、想像でしか訓練できなかったことが可視化でき、未曽有の事態に備えることができると思っています」

 篠原は「ゲームを使った防災」を実現するべく、今、ゲーム開発者、制作者を訪ねてあいさつもしているという。

「eスポーツやゲームへの思いがある人と一緒に仕事がしたい一心です。実況も大事な仕事ですが、注目されるべきは選手であり、ゲームなので、僕は黒子でいい。とにかく、ゲームは国境を越えてどんな人ともつながることができ、さまざまな魅力、可能性があることを知ってほしい。それが原動力になっています」

 日本テレビでの5年間を聞くと、篠原は「ものすごく充実していました」と言い切った。

「『ヒルナンデス』で共演させていただいた南原(清隆)さんには『支えてくれる人を常に意識しないさい』と言われ、送り出されました。その言葉を胸にゲーム業界を盛り上げ、コンテンツを提供するなどして古巣に恩返しをしたいです」

 そんな篠原は自身のことを「オタク」と称した。高校時代から、電子掲示板サイトの2ちゃんねるにアニメの感想を書き込むなどしてきた。そして、日本テレビにいた5年間を踏まえ、「インターネットが好きなオタクがアナウンサーを経て、ネットの世界に戻ってきたという感覚です。今後も好きなことにまい進できるオタクの強みを生かしたいです」と言葉に力を込めた。

 28歳から始まったセカンドキャリア。篠原の目は希望に満ちている。

□篠原光(しのはら・こう)1994年11月26日、東京・杉並区生まれ。明治大政治経済学部卒。2018年4月、日本テレビにアナウンサーとして入社。同期は市来玲奈アナ、岩田絵里奈アナ、弘竜太郎アナで、篠原アナは1年目から『ZIP!』のレギュラーに。21年4月には『ヒルナンデス』のアシスタントに就任。176センチ。血液型B。

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