【週末は女子プロレス♯98】20歳にしてキャリア10年目 11歳でデビューした“高速爆弾娘”の本音「何度もやめようと」
スターダムの“高速爆弾娘”ハイスピード王者のAZM(あずみ)は、20歳にしてキャリア10年目。練習生時代を加えると、すでに人生の半分以上をプロレスに費やしていることになる。プロレス入りのきっかけになった格闘技も、小学1年生のときに始めたというから驚きだ。
9歳でプロテストに合格したAZM
スターダムの“高速爆弾娘”ハイスピード王者のAZM(あずみ)は、20歳にしてキャリア10年目。練習生時代を加えると、すでに人生の半分以上をプロレスに費やしていることになる。プロレス入りのきっかけになった格闘技も、小学1年生のときに始めたというから驚きだ。
「なにか習いごとをやろうとなって、雑誌の広告で見たシュートボクシングを選んだんですよ。そのときはピアノにするかシュートボクシングにするかで悩みました。シュートボクシングにしたのは、お父さんが格闘技をやっていたからというのもあったと思います」
父が格闘技経験者とはいえ、小1でシュートボクシングを習えるのかと思ってしまうが、偶然にも同い年の女の子が数人ジムにいたという。当時、スターダムがシーザージムを練習場として借りており、そこでAZMは風香と出会った。が、風香から「プロレスやってみない? よかったら今度試合を見にきてよ」と声をかけられるまで、プロレスのプの字も知らなかったという。
ところが、初のプロレス観戦がAZMの人生を変えた。同い年の子がキッズファイターとしてリングに上がっていたのだ。彼女の名前は夢(はるか)。
「夢ちゃん、カッコいい。私もやってみたいと思いました。プロレスを知った日に、プロレスをやろうと思ったんです」
父はすぐに認めてくれたものの、さすがに母親は「危ないから」と心配した。それでも、「長続きしないだろう」「すぐにやめるだろう」と、結局はプロレスの練習に送り出してくれた。そこからシュートボクシングとの掛け持ちが始まった。「小学生としてはけっこう忙しかったと思います」とAZM。すると彼女は、9歳でプロテストに合格する。宝城カイリ(現KAIRI)と同じ、スターダムの3期生だ。
しかしながら、本格デビューには時間を要した。同学年の子に比べて身体が小さかったからだ。キッズファイターとはいえ、ある程度大きくなってからリングに上げるべき。団体の方針により、プロテスト合格から2年越しでデビューすることに。デビュー直前には確認の意味もあり、非公表であらためて実戦形式のテスト(vs風香)を受けた。そして11歳になったばかりの2013年10月6日、新木場でデビュー、リングネームは「あずみ」だった。
ハイスピード王座を11回防衛「歴史を私が動かしました!」
前例があるとはいえ、やはり「小学5年生にプロレスをさせるのはどうなんだ?」との批判も多かった。が、「そういう声から風香さんが守ってくれたので、楽しくプロレスができましたね」。
見る側もあたたかい目で試合を見守った。相手をするレスラーもスタイルを変えて対応した。とはいえ、キッズファイターの肩書きがあるにせよ、そこは大人の世界でもあった。幼心に団体の「ピリピリ感」を感じ取っていた。そこで考えたのが、団体のマスコット的な癒やしとしての存在。「あずみ軍団」は、そんな思いから結成された、ゆるめのユニットだ。
しかし、同年代のスターライト・キッドが入ってきたことにより、「早く大人のレスラーの仲間入りがしたい」との考えが芽生えるようになってくる。年齢不詳の覆面レスラーだからか、キッズ枠ではなかったキッド。しかし、実際には同世代と考えていい。しかも入門時からキッドの動きはAZMを焦らせるに十分だった。そこで決断したのがキッズファイターからの卒業。それを具現化させたのが、紫雷イオが結成したクイーンズクエストへの電撃加入と、HZK(現・葉月)にあやかり、リングネームをAZMとしたことだ。
これが大きな転機となり、AZMはユニット、シングル両戦線において頭角を現す。2か月後には6人タッグ王座のアーティスト・オブ・スターダムを奪取し初戴冠。20年7月には念願のハイスピード王座を獲得した。昨年2月には宿敵キッドから奪回し、現在もベルトをキープ。防衛回数は11回で、“スターダムのアイコン”岩谷麻優が16年に樹立した9回を約6年半ぶりに塗り替えた。
「何年も動かなかった歴史を私が動かしました!」と胸を張るAZM。ハイスピードは、デビュー当初から意識していたタイトルだった。
「こういうレスラーになりたいと考えたときに思い浮かぶのって、夏樹☆たいようさん、紫雷イオさん、岩谷麻優だったり、みんなハイスピードを通ってきた選手なんです。なので、私もそこに名前を刻めるレスラーになりたいってずっと思ってました」
2度の戴冠で通算15度の防衛。これもまた同王座の最多記録。AZMのプロレスがハイスピードと言っても決して過言ではないだろう。しかしながら、ハイスピードはほかのタイトルと違い、体重やキャリアなど明確な数字による規定がない。それだけに特定化が難しい。現代のプロレスはそのほとんどがハイスパートなスタイルだけに、なおさらだ。
「ハイスピードの定義って難しいですよね。私はマジでそれが一生の課題だなって思っています。初見の人にいかにしてこれがハイスピードなんだと思ってもらえるような試合ができるか。そういった意味ではスピードスターと言われた吉野正人さん(DRAGON GATE)の試合がお手本になりましたね」
「いまのスタイルのままで、いろんなことに挑戦していきたい」
ハイスピード王者として君臨する傍ら、最近のAZMは新日本プロレスとスターダムで新設されたIWGP女子王座に初挑戦。新日本4・8両国のリングに上がり、元WWEスーパースターのメルセデス・モネに葉月とともに挑戦した。これは、モネが闘いたい相手として「AZM(エーズィーエム)」の名前を挙げたことがきっかけだった。
「そこで私の名前が出てこなかったら、今回の挑戦はなかったと思いますね。それは、ハイスピード持ってるから(ほかのシングル王座は)いまじゃないっていう私の固定観念があったからなんですよ。その壁を一言でぶち壊してくれたモネには感謝です」
新日本のリングで受けた声援も励みになった。世界のスーパースターと対戦したことで、海外で試合をしたいとの夢も大きく広がった。モネとはノンタイトルでもいいからシングルで再戦したいと思っている。そして次なるステージは、4・23横浜アリーナでのビッグマッチ。女子プロレスが横浜アリーナで大会を開催するのは約20年ぶり。この大舞台にAZMはハイスピード王者として参戦。タイトルマッチではないものの、AZMは駿河メイ(我闘雲舞)と組んでキッド&星来芽依(星月芽依から改名しての復帰戦)組と対戦する。「スーパーハイスピードタッグマッチ」と銘打たれているだけに、AZMありきのカードであることは間違いない。
「大好きな駿河メイちゃんと遂にタッグが組めますよ! 星月芽依ちゃんも帰ってくる。2人(駿河&星来)とも私がハイスピードを防衛した相手でもあり、そこに永遠のライバルのキッドもいる。そのなかでもちろん、私が主役を張らせていただきます!」
ハイスピード戦線に新たな物語が生まれる予感がするタッグマッチ。また、IWGP女子王座挑戦をきっかけに、また別の新展開にも期待している。
「いまのスタイルのままで、いろんなことに挑戦していきたいと思ってます。まだ白いベルト(ワンダー・オブ・スターダム王座)に挑戦したことがないので一度はやってみたいなって。いまの私の実力なら挑戦者として申し分ないと言い切れますから」
今年10月でデビュー10周年。人生の半分以上をプロレスに捧げてきたが、キャリアのクライマックスはまだまだ先にあるだろう。と思いきや、意外なことにAZM本人はすでに何回もプロレスをやめることを考えてきたという。なかなかの衝撃の発言だ。
「中学卒業したらやめようとか、高校卒業したらやめようとか、ずっと思ってましたよ。最近だって、20歳になったらやめようと思ってたんで。でも、楽しいからもうちょっと続けようかなって感じで、いまも続けてます(笑)。私って、いつも短期間のゴールを決めるんですよ。先が長いと、まだ時間あると思っちゃうんで。短い方が全力でがんばれるんです」
プロレススタイルと同様、キャリア設定も全力疾走のハイスピード。ゴールについたところで楽しいと思えるかどうかがカギなのだろう。次のゴールは不明ながら、本人の中ではきっと決まっている。そのときもまた、「プロレスが楽しい!」「まだまだ続けたい!」との気持ちでいてほしいと、切に願う。