ハライチ岩井勇気の“興味を持たせる話術” ラジオ関係者が絶賛した「リスナーに伝える力」とは

伊集院光、爆笑問題、バナナマンらがパーソナリティーのTBSラジオ『JUNK』(月~金曜深夜1時)の統括プロデューサー・宮嵜守史(みやざき・もりふみ)氏が、エッセー『ラジオじゃないと届かない』(ポプラ社)を書き下ろした。3月22日に発売され、番組の裏側紹介だけでなく、パーソナリティーとの対談でラジオの面白さをひも解く内容が話題になっている。ラジオ生活25年の宮嵜氏に同書でも触れている「番組作りで大切にしてきたこと」を聞いた。

TBSラジオ『JUNK』統括プロデューサー・宮嵜守史氏【写真:ENCOUNT編集部】
TBSラジオ『JUNK』統括プロデューサー・宮嵜守史氏【写真:ENCOUNT編集部】

面白くなるかどうかはパーソナリティー次第

 伊集院光、爆笑問題、バナナマンらがパーソナリティーのTBSラジオ『JUNK』(月~金曜深夜1時)の統括プロデューサー・宮嵜守史(みやざき・もりふみ)氏が、エッセー『ラジオじゃないと届かない』(ポプラ社)を書き下ろした。3月22日に発売され、番組の裏側紹介だけでなく、パーソナリティーとの対談でラジオの面白さをひも解く内容が話題になっている。ラジオ生活25年の宮嵜氏に同書でも触れている「番組作りで大切にしてきたこと」を聞いた。(取材・構成=福嶋剛)

 宮嵜氏は大学2年で、TBSラジオ『こども音楽コンクール』のアルバイトを始めた。当時はテレビっ子のマスコミ志望。就職活動でテレビ局や番組制作会社の入社試験を受けたが、惨敗だった。仕方なく、TBSラジオに残ってADを続けた。そんな時、憧れだった伊集院の番組を担当する機会を得た。

「実家の群馬ではラジオの感度が悪くて、伊集院さんのラジオを聴けなかったんです。大学に入ったら伊集院さんの番組を全部録音していたマニアの友人と出会って、片っ端から聴きまくりました。『何て面白い企画を考える人なんだろう』って憧れの存在でしたね。伊集院さんの番組にADとして入ったのは数回程度でしたが、初めてスタジオに入った時はドキドキが止まらなかったです」

 その後、爆笑問題やアンジャッシュ、カンニング、バカリズムら人気コンビが多数出演した『赤坂お笑いDOJO』(1994年)のADを担当したことでお笑いの世界を知り、駆け出しのディレクターとしては、『極楽とんぼの吠え魂』(2000~06年)を担当した。まだ26歳。フジテレビ系『めちゃ×2イケてるッ!』(1996~2018年)などで人気だった加藤浩次の鋭い眼光に恐怖を感じていたという。

「僕が単純にビビりなんです。お笑い偏差値の低い自分がこの人たちと一緒にできるのかという不安もあって、慣れるまでは一方的に怖がっていました」

 緊張感はあったが、番組を制作する上で遠慮や妥協は一切しなかった。

「ディレクターと放送作家とパーソナリティーは常に一心同体で、極論を言うと『心中するくらい』の気持ちでやっています。だから、誰とやろうが目的を達成するためならパーソナリティーの一方的な考えだけでは進めません。チームとして互いに向き合って番組を作っていくことを心がけました」

 パーソナリティーとの信頼関係を築くために大切なのは、「一喜一憂しないこと」。ディレクター時代に学んだことだという。

「リスナーのみなさんにとっては、それぞれの番組で思い出に残るシーンやゲストとの神回などいろいろとあると思います。でも、制作側はそのトピックで一喜一憂したり、それによってパーソナリティーとの関係性が変わることはないんです。常にリスナー側に立った企画をやり続けていくことで信頼関係がつながっていくんです」

 もう1つ、JUNKの統括プロデューサーとなった今でも大切にしていること。それが「リスナー目線」だ。

「ラジオのディレクターは、パーソナリティーと一番近い場所にいるリスナーだと思っています。常にリスナー目線を持っていないと独りよがりなものを作ってしまう気がするんです。『パーソナリティーのやりたいことを全部やる』というのは、リスナーにとってどうなのか? 一番初めに考えなきゃいけないことなのです。もちろん、全てのリスナーに当てはまることではありませんが、なるべく多くのリスナーの目線に合わせることは『絶対に忘れてはいけない』と思っています」

 20年10月、TBSラジオ『おぎやはぎのメガネびいき』とニッポン放送『ナインティナインのオールナイトニッポン』が局の垣根を越えて、生番組でクロストークが実現した。前代未聞の出来事はネットニュースやSNSでも取り上げられた。

「今までやってきたことをあまり大げさに言いたくないタイプなので、この試みも決して斬新なことをやろうと思った訳ではなくて、単純に自分がリスナーだったら、当時の岡村さんとおぎやはぎがつながって話をしたら、ワクワクするだろうなって。それこそリスナー目線でやったことに過ぎないんです」

制作者として人生で一番大きなガッツポーズをした瞬間

「ラジオにしかない面白さ」について四半世紀にわたってラジオと向き合ってきた宮嵜氏が分かりやすく語った。

「自分たちがどれだけ必死に準備をしても、面白くなるかどうかはパーソナリティー次第です。反対に詰めが甘くて半熟のままの企画でも、パーソナリティー次第でめちゃくちゃ面白くなったりする。そこがテレビとは違うところだと思います」

 これまで数多くのお笑いタレントと交流を続けてきた宮嵜氏は、パーソナリティーとしての素質を持った新たな才能に出会う瞬間が楽しいという。

「昔、ハライチの岩井(勇気)くんが僕にアニメの話をしてくれました。全然、見たことのないアニメでしたが、まるで画が浮かんでくるような説明ですごく見たくなりました。岩井くんは、伝える時の佇まいがすごく良くて、欲をかいていないし、『どうですか』みたいな振り被った話し方もしない。興味のない人たちに興味を持つように伝えられる才能があるんです。『岩井くんがラジオをやったら面白いかも』と思いました」

 宮嵜氏はハライチを『デブッタンテ』(14~16年)のパーソナリティーに起用し、1回目の収録に臨んだ。

「あの場では向いていると思っても、実際に話してみないと分かりませんから。ところが、収録に入ったら岩井くんは『電車の中で酔っぱらいが楽器のコントラバスを人と見間違えた』というエピソードを紹介してくれたんです。話を聴いた瞬間、アニメの話と同じように画が浮かんできて、『毎週聴きたい』と思ってくれるリスナーがたくさん集まると確信しました。『よっしゃあ! これでいけるぞ』って。多分、今まで僕が生きてきた中で一番大きなガッツポーズを心の中でしていました(笑)」

 そんなパーソナリティーとの思い出やラジオの世界を『ラジオじゃないと届かない』にまとめた。

「ちょうどいろんな節目でした。仕事も管理職になって現場を離れ、同じタイミングで父親が亡くなり、重たい気持ちで実家に帰る途中、車の中で『爆笑問題カーボーイ』を聴いていたら、自然に声を出して笑っていたんです。自分は25年間、ずっと作る側にいたので、本当の意味でリスナー側に戻った時、『ああラジオに救われたな』って思いました。そんなラジオの世界をリスナー目線でみなさんに伝えられたらいいなって、そう思って書かせてもらいました」

□宮嵜守史(みやざき・もりふみ) 1976年7月19日、群馬・草津町生まれ。ラジオディレクター、プロデューサー。TBSラジオ『JUNK』統括プロデューサーとして全番組を担当。他に『アルコ&ピースD.C.GARAGE』『ハライチのターン』『マイナビラフターナイト』、綾小路 翔『俺達には土曜日しかない』などと手掛けている。

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