怒髪天・増子直純が自衛隊、ロックバンドを経て個性派俳優に 吉川晃司が後押し「絶対にやった方がいい」

結成39年目の4人組ロックバンド・怒髪天がニューアルバム『more-AA-janaica』(モウ エエジャナイカ)をリリースした。パンクロックの精神とユーモアに満ちた彼らの音楽は、渡辺美里やスガシカオをはじめ、多くのミュージシャンからリスペクトされている。バンドの中心メンバーで、ゲームマニア、ヘドラコレクター、役者業など多彩な顔も持つ増子直純は56歳。あらためてバンドへの思いを聞いた。

デビューから現在までを語った増子直純【写真:ENCOUNT編集部】
デビューから現在までを語った増子直純【写真:ENCOUNT編集部】

今年57歳の増子直純「老害を笑えない歳になってきた」

 結成39年目の4人組ロックバンド・怒髪天がニューアルバム『more-AA-janaica』(モウ エエジャナイカ)をリリースした。パンクロックの精神とユーモアに満ちた彼らの音楽は、渡辺美里やスガシカオをはじめ、多くのミュージシャンからリスペクトされている。バンドの中心メンバーで、ゲームマニア、ヘドラコレクター、役者業など多彩な顔も持つ増子直純は56歳。あらためてバンドへの思いを聞いた。(取材・文=福嶋剛)

 札幌で育った増子は、『札付きの悪ガキ』で知られていたという。高校生になって怒髪天を結成するが、卒業と同時に父親の勧め(半ば強制的)で航空自衛隊に入隊。2年間の厳しい訓練を経て更生を期待されていたが、破天荒さに磨きがかかり、現在のメンバーでの怒髪天を本格始動するに至った。メンバーはボーカルの増子、ギターの上原子友康、ドラムの坂詰克彦、ベースの清水泰次。4人で東京へ進出した。あれから39年。増子は4月23日で57歳になるが、本人の中にある“怒り”はマグマのごとく煮えたぎっていた。

「この前、矢沢永吉さんの著書『成り上がり』を読み返したんですよ。矢沢さんと比較なんかしたら怒られちゃいますけど、怒りの方向は同じなんだなって感じました。そもそも、怒髪天というバンド名の由来からして俺たちの原動力は怒りなんです。『負けねえぞ』とか、『もっといい曲を作ってやるぞ』とか、俺たちの怒りを360度あらゆる方向に常にぶちまけることがエネルギーになっているんです」

 そんな中年たちの怒りが最高潮に達し、制作されたのが『more-AA-janaica』だという。

「街を歩いていてもテレビを見ていてもみんな毎日言いたいことってたくさんあるでしょ? 俺たちはその山ほどある怒りを燃料にして曲を作っているから創作意欲が途絶えたことが1度もないんです。もう1つ、怒りと同じくらい大事にしているのがユーモアなんです。若い人たちは知らないかもしれないけれど、俺たち怒髪天が大好きな『ハナ肇とクレージーキャッツ』というバンドが昔いて、難しい顔して怒るんじゃなくて笑いを込めて世相を斬るような名曲をたくさん世の中に残したんです。彼らのやってきたことは俺たちのルーツの1つでもあるんです」

 アルバム1曲目の『令和(狂)哀歌~れいわくれいじぃ~』は、まさに怒りとユーモアが混ざり合った曲。大先輩へのオマージュが込められている。

「もし、令和の時代にクレージーキャッツのみなさんが活躍していたら、『きっと黙ってねえだろうな』って。ニュースを見ていても、『俺たちの生活はこれからどうなるんだ』って昔よりもそう思うことも多いじゃないですか。そんなことをSNSに投稿すると『タレントやミュージシャンが政治を語るな』とか『代替案を用意しろ』とかね。正義に毒された人たちの総攻撃ですよ。だいたい『ロックバンドにコンプライアンスなんか求めるな』って言いたいんですよ。無責任に発言して、それをまっとうするのがロックなんだから。そんな思いを曲にしたのが『令和(狂)哀歌~れいわくれいじぃ~』です」

 2曲目の『OUT 老 GUYS』(アウト・ロウ・ガイズ)は、『老害』と呼ばれる側に立った歌だ。

「よく『器が大きい』とか『小さい』って言うでしょ? 俺は『器が小さくて何が悪いんだ』って思うんですよ。この前、荻窪の西友に買い物に行って1人で袋詰めしていたら向こうから、おばさんが、買い物かごをワザと人にぶつけながらワァワァ大声で怒鳴りちらして近付いて来て、俺にもぶつかったんです。それで頭にきた俺は、そのおばさんよりさらにでかい声で『なにすんだよ!』って怒鳴ったんですよ。そしたら、俺を見ていた若者たちが『大人げないよね~』って、言葉を残して店を出て行った。そんな超リアルな体験を、ちょっとラテン入ったメタルサウンドで曲にして。俺が好きな漫画で『ジジメタルジャケット』(泉昌之氏著)っていう足腰ガクガクのおじいちゃんたちが、『メタルバンドをやる』っていう物語なんですが、俺も今年57なんで、ちょっと笑えなくなってきたんですよ(笑)」

 年齢を重ねても普遍的なこともあれば、変化が求められるもある。5曲目の『たからもの』は、怒髪天にとって新たな挑戦になった。

「昔はその瞬間の感情を爆発させることがベストで上手く歌うことはカッコ悪いと思っていたんだけど、ここ10年くらいで『でき上がった曲を最高の形で届けることが一番大切なんだ』って思うようになってね。『たからもの』は、歌で聴かせるというかハートの部分を大切に歌ったんです。年齢を重ねて自分たちのチャンネルの数が増えていった。そんな感じですかね」

 楽曲名にかけ、増子自身の『たからもの』をと聞くと、「怒髪天というバンドですね」と即答した。1991年にメジャーデビューするも結果を出せず、96年にバンドは一時活動休止となり、以降の3年間、増子は肉体労働や包丁の実演販売、雑貨屋の店長など職を転々としながら、自分に合う仕事を探し続けた。

「俺は『戻る』っていうことが嫌いなんですよ。生きるってことは前に進まないと意味がないんでね。だから、地元に戻るなんて考えはなかった。あとガキの頃から、『とりあえずやってみよう精神』はあったんで、いろんな仕事をやってみた。」

 バンド休止中、メンバーがたびたび怒髪天を再開しようと声をかけたが、増子は一向に首を縦に振らなかった。だが、清水と上原子から「遊びでいいから」と説得され、渋々とスタジオに入ってみた。すると、結成当時のワクワク感がよみがえってきたという。

「俺は全くやる気がなかったんです。でも、『趣味ならいいか』と思ってスタジオに入ったんです。坂さん(=坂詰)なんて、バンド界隈からすっかり離れてとび職をがっつりやってたから、ドラムが全然たたけなくなってたけど、4人で音出したら楽しかったんですよ。『俺がやりたかったことってバンドじゃなくて、怒髪天だったんだ』って気が付いたんです。演奏が上手いとか下手とか関係ないの。『幸せってこういうことだな』って思ったし、『これからちゃんと怒髪天をやろう』と思いました」

新作を引っ提げて5月から全国ツアーが始まる【写真:ENCOUNT編集部】
新作を引っ提げて5月から全国ツアーが始まる【写真:ENCOUNT編集部】

後輩バンドにアドバイスなんか絶対しない

 2009年頃からメディア露出が増え、遅咲きのブレークを果たした怒髪天は結成30周年を迎えた14年、ロックの聖地である日本武道館で初めて単独公演を行った。

「最高のご褒美でしたよ。なんだかんだで、『長年やってきてよかったな』と素直にそう思いました。『自分が生きている証』っていうと大げさなんだけど、その筆頭にくるような出来事が武道館ライブでした。その分、昔みたいに『嫌になったら明日にでも辞めれば良いや』っていうことができなくなった。それだけ、背負うものも増えたんです」

 増子の挑戦は続いた。16年、宮藤官九郎作・演出のオリジナルロックオペラ『サンバイザー兄弟』で永山瑛太とダブル主演で初舞台に挑戦。19年のNHK大河ドラマ『いだてん~東京オリムピック噺~』では、黒澤明監督の役を演じた。

「役者の話がきたとき、最初に相談したのは吉川晃司さんで『基礎をたたき込まれた役者と違い、音楽をやっている人間じゃないとできない表現もあるから絶対にやった方がいい』って後押ししてくれたんです。やってみると、『自分じゃないものを演じることが、こんなに面白いんだ』って新鮮に感じました。今、公開中の映画『GOLDFISH』(太秦=パイプライン、3月31日公開)に出演しているんだけど、俺がバンドを始めるきっかけとなった『亜無亜危異』がモデルの物語で。俺はベーシストの役なんだけど、実際に知ってる人がモデルの演技はなかなか難しかったです。」

 現在は、親子ほど差のある若いバンドとの対バンも楽しみの1つだという。

「去年の年末に『おとぼけビ~バ~』という女の子4人組のバンドと対バンしたんだけど、演奏も上手いし、しゃれっけもあるし攻撃的だし、もう最高だったね。やっぱり、『すげ~な』って思うものに年齢なんか関係ないですよ。俺たちは『先輩だから』といってアドバイスなんか絶対にしないです。自分で転んで経験しないとわからない世界だし、1つだけあるとしたら『歯だけは大切にしろよ』です(笑)。後からすごい金かかるからね」

 楽屋でのすごし方も変わらない。ライブ前でもバンド仲間と冗談を言い合ったまま、『それじゃあ』と言って舞台に上がる。

「俺たちは“試し斬り”って言うんですよ。楽屋で受けた話をライブのMCで話すんです。俺たちの楽屋はいつもうるさいですよ(笑)」

 4人で活動できる喜び……。増子はそれを噛みつつ、怒りながら、ステージを重ねていく。

□怒髪天(どはつてん) 1984年、札幌で結成。88年から現在の増子直純(ボーカル)、上原子友康(ギター)、清水泰次(ベース)、坂詰克彦(ドラム)で本格的な活動を始める。91年、クラウンレコードからアルバム『怒髪天』(タイトル題字/北島三郎氏)でメジャーデビュー。しかし、上京後の数日で事務所が倒産するなど、前途多難な状況が続いた。96年から約3年間は活動を休止し、99年、清水の呼びかけで再始動。2004年、テイチクインペリアルレコードでメジャー復帰。14年1月には、初の日本武道館ワンマン公演を満員御礼にした。今年3月、アルバム『more-AA-janaica』をリリース。5月10日から全国ツアーがスタート。

怒髪天 公式HP:http://dohatsuten.jp/

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