坂本龍一さん、71歳で死去 インスタに生年月日と没年月日、朽ちたピアノの画像
音楽家の坂本龍一(さかもと・りゅういち)さんが3月28日に亡くなったことを2日、所属事務所のエイベックス・ポータルが公式サイトで発表した。71歳だった。また、坂本さんのインスタグラムでは、グレーのバックに「January 17 1952―March 28 2023」と記された黒文字と朽ち果てたピアノのビジュアルをアップ。国内外から追悼コメントが寄せられた。
1月に亡くなった高橋幸宏さん、細野晴臣とのYMOでテクノブーム、日本人初のアカデミー作曲賞を受賞
音楽家の坂本龍一(さかもと・りゅういち)さんが3月28日に亡くなったことを2日、所属事務所のエイベックス・ポータルが公式サイトで発表した。71歳だった。また、坂本さんのインスタグラムでは、グレーのバックに「January 17 1952―March 28 2023」と記された黒文字と朽ち果てたピアノのビジュアルをアップ。国内外から追悼コメントが寄せられた。
同社は坂本さんの晩年を「2020年6月に見つかった癌の治療を受けながらも、体調の良い日は自宅内のスタジオで創作活動をつづけ、最期まで音楽と共にある日々でした」と伝え、「これまで坂本の活動を応援してくださったファンのみなさま、関係者のみなさま、そして病気治癒を目指し最善を尽くしてくださった日米の医療従事者のみなさまに、あらためて深く御礼申し上げます」とした。故人の強い遺志により、葬儀は近親者のみで終えたとし、弔問、香典、供花は辞退。その上で、坂本さんが好んだ一節「Ars longa, vita brevis. 芸術は長く、人生は短し」を紹介した。
東京・中野区生まれの坂本さんは、東京芸術大在学中にスタジオ・ミュージシャンとして活動開始。26歳の1978年2月に細野晴臣(75)、今年1月11日に亡くなった高橋幸宏さん(享年70)とイエロー・マジック・オーケストラ(YMO)を結成した。坂本さんはキーボード及びシンセサイザーを担当し、「教授」の愛称で親しまれた。同グループはシンセサイザーやコンピューターを駆使した音楽で、テクノブームをけん引し、『テクノポリス』『ライディーン』『君に、胸キュン。』などが大ヒット。世界的にも評価され、3人の髪形「テクノカット」も流行させたが、83年に散開(解散)した。
その後、坂本さんは自らも出演した『戦場のメリークリスマス』(83年)、『ラストエンペラー』(88年)などで映画音楽を手掛け、『ラストエンペラー』では、日本人初のアカデミー作曲賞を受賞したほか、ゴールデングローブ賞音楽賞、グラミー賞最優秀オリジナル映画音楽アルバム賞などを受賞した。
プライベートでは、東京芸大2年時の72年に2歳年上の女性と結婚したが離婚。82年2月にシンガー・ソングライターの矢野顕子と結婚し、長女でミュージシャンの坂本美雨と長男をもうけるも、長い別居生活を経て06年夏に離婚している。さらに女性スタッフとの間に男性の子どもがいることも伝えられてきた。健康面では、14年に「中咽頭がん」と診断されるも治療の末に寛解。だが、20年6月には「直腸がん」と診断され、その後は転移したがんの摘出も含めて複数回の手術を受けたという。
また、坂本さんは地雷除去運動や反原発デモにも参加するなど、環境問題、平和を求める活動で声を上げ続けたことでも知られている。亡くなる直前の3月初旬には、東京・明治神宮外苑の再開発に反対し、東京都の小池百合子知事らに「樹々を犠牲にすべきでない」との手紙を送付したことが公になっていた。