力士→eスポーツ選手の異色転身 BeenoStorm・Razzyが歩む波瀾万丈のキャリア

プロeスポーツチーム・BeenoStormのPUBG MOBILE部門に所属するRazzyは、元力士という異色のキャリアを持つ。内情を知る機会の少ない相撲部屋での日々、怪我による挫折とeスポーツ選手としての再起など、21歳にして波瀾万丈のキャリアについて聞いた。

元力士のeスポーツ選手・Razzy【写真:ENCOUNT編集部】
元力士のeスポーツ選手・Razzy【写真:ENCOUNT編集部】

厳しい縦社会の中で少年時代を過ごす

 プロeスポーツチーム・BeenoStormのPUBG MOBILE部門に所属するRazzyは、元力士という異色のキャリアを持つ。内情を知る機会の少ない相撲部屋での日々、怪我による挫折とeスポーツ選手としての再起など、21歳にして波瀾万丈のキャリアについて聞いた。(取材・文=片村光博)

 モバイルFPS『PUBG MOBILE』のプロリーグ『PUBG MOBILE JAPAN LEAGUE』で活躍するRazzyは、中学卒業後に相撲部屋で活動していた正真正銘の“元力士”だ。力士→プロゲーマーという前代未聞のキャリアは、どのようにして形成されたのか。

「小学3年生の冬から相撲をやっていました。その相撲教室の先生が厳しくて、当時は『力士にならなきゃダメ』『(力士にならないと)怒られるんじゃないか』という考えがあったんです。中学校を卒業をするときに『お前本当に力士になるのか』と言われて、『あれ? 力士になれじゃないんだ』と思ったというのが正直なところでした。でも、力士は強くなればなるほど稼げますし、家族にも楽をさせたいなという気持ちがあり、『力士になりたい』と思って力士になりました」

 高校には行かず、中学校の卒業式にも出ずに相撲部屋へ。それまで所属した相撲教室、そしてプロして入った相撲部屋では、厳しい縦社会を経験したという。

「僕のいた相撲教室は全国でもちょっと有名なくらい、厳しいところでした。7年間いましたが、そこでの縦社会は先輩・後輩の関係はもちろん、先生が本当に第一。親よりも強いというか、先生の言うことを親が子どもにやらせるくらい、発言権が強かったんです。だから家の休みにも影響力があって、おじいちゃんとおばあちゃんの家に行くことも許されなかったですし、大きな休みは年越しと年末年始くらいでしたね。

 練習は小学生のときに週3で、午後5時から9時までやっていました。小学5年生のときに全国優勝しましたが、稽古がキツすぎて泣くほど嫌でした。ただ、僕は相撲教室でも結構強い方だったので、親から『お前が今辞めたら大変なことになる』と言われて、小5の僕は『あ、じゃあ辞められないんだ』と。そうしたこともあり、辞めずに頑張って中3まで続けました」

 親からのプレッシャーも「子どもながらに感じていました」というRazzy。将来を嘱望され、実際に力士にまでなった中で、相撲の道をあきらめることになるきっかけは、怪我だった。

「小6のときに膝を怪我して手術したんですが、膝は治るのに時間がかかります。膝をかばった相撲を取ってしまった影響もあってか、中学校に入る前の大会で肩の剥離骨折と肩の脱臼をしてしまい、いつの間にか癖付いてしまいました。中学校では、肩が外れてすぐ戻る亜脱臼を何回も繰り返していたんです。先生には『また脱臼しちゃって』と伝えるんですが、休ませてはもらえず、次第に(脱臼したと)言わなくなってしまいました。

 肩の怪我は治りやすく、再発しやすい。相撲部屋に入ったときも本当はまだ休む期間だったんですが、無理して肩を使わない筋トレや四股を踏んだりを毎日、やっていました。ある日、肩が異常に痛くて、『どうしても肩が痛い』と言って、そのときいた大阪の病院で見てもらいました。肩の腱が断裂しているかもしれないと言われたんですが、部屋の人たちからは『そんなことないと思う』みたいな、『ただ休みたいだけだろう』という目で見られていたんです」

 当時、相撲部屋には中学校の先輩が部屋付き親方として所属しており、Razzyは紹介されるような形で入っていた。「それもあって、ほかの兄弟子からは『お前だけ目をかけてもらって……』という見られ方をしていたんです」。周囲から穿った見方をされる中、怪我の悪化と力士としてのキャリアの終わりが訪れてしまう。

相撲の道は閉ざされたが、eスポーツで憧れのプロに【写真:ENCOUNT編集部】
相撲の道は閉ざされたが、eスポーツで憧れのプロに【写真:ENCOUNT編集部】

怪我によってキャリアを断たれゲームと出会う「やるなら本気でやろう」

「怪我について兄弟子たちからは『お前、本当はそんなことないだろ』みたいな視線で見られたり、実際に言われたりしました。いざ東京に帰って、過去にも手術した病院に行ってみたら、腱は断裂していないけど、脱臼しないように入れていた、本来なら骨に溶ける物質が溶け切らずに異物化してしまっていたんです。それを取り除いて、もう1回縫い直すという手術をしたんですが……。中3の後半から部屋に入って、次の6月まで1番も相撲取れないまま。そこでもう、(心が)ポッキリ折れてしまいました」

 当初は「7年やっていた相撲が、いきなりこんな形で終わるんだ」という絶望に襲われた。兄弟子たちもようやく怪我の重さに気付いたが、Razzyにとっての救いにはならなかった。「最初は卑屈になっちゃって、『なんで俺がこんなに不幸な思いしなきゃいけないんだ』と思っていました。誰のせいでもないけど、それがすごく嫌で、誰かのせいにしたくなってしまった」。若くして大きな挫折に直面した中で、新たな道を見出したのがモバイルFPSゲーム『PUBG MOBILE』だった。

「PUBG MOBILEはリリース日(2018年3月)からやっているんです。僕は恭一郎さんというストリーマーの方が大好きなんですが、その方が当時プレイしていたPC版の『PUBG: BATTLEGROUNDS』の大会『PUBG Japan Series』を見て、すごく面白そうだなと思ったんです。そしてモバイル版にもプロチームがあったので、『マジでプロになりたい』と思いながらやっていました。

 当時、競技のトップがどんなものなのかは分かりませんでしたし、目的は漠然とした状態でしたが、やるからには強くなりたいと思っていました。特に惹かれたのが、チーム競技という点です。相撲は個人でやるものだったので、(4人で戦う)PUBG MOBILEのようなチーム競技をやってみたいという思いが強くありました」

 当初はトライアウトを受けることもできない状態だったが、努力を続けた結果、前所属のREJECT ACADEMYの選手から声がかかった。「『やるなら本気でやろう』と思って、競技人生がスタートしましたね」。REJECT ACADEMYを経て、今はBeenoStormの一員として「ずっとなりたかった」というプロ選手生活を送っている。

「(相撲では)勉強とか遊びを、全部捨てた7年間でした。だから最初は悔しくて。でもゲームに出会えました。苦しかった7年間と、プロになってチームメンバーと楽しく過ごした2年では、この2年間の方が格段に楽しいです。楽しいから(相撲を)忘れられそうというのもあるかもしれません。

 最初は相撲を辞めるということを受け入れられなかったんですが、今年22歳になりますし、やっと(気持ちが)和らいできました。プロゲーマーをしているからというのもあるかもしれませんが、『あのときはしょうがなかったんだな』と思えるようになりましたね」

 力士として大成することはかなわなかったが、Razzyはeスポーツ選手としての“セカンドキャリア”を心の底から楽しんでいる。体重は力士時代から40キロほど落ちた140キロ。「今はまたちょっと、ダイエットしています」と語る笑顔は、過去の悔いを振り切り、前を向くポジティブなパワーに満ちあふれている。

□Razzy(ラジー)2001年7月8日、東京都出身。元力士。怪我での引退がきっかけで、15歳からゲームを始める。無名からのスタートだったが、圧倒的な積み重ねと努力で実力をつけ、現在チームで最も成長し続けている選手。BeenoStormの強力なアタッカーが安心して背中を預ける大黒柱。

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