品質管理課長はなぜ“素人”なのに55歳で掃除職人に? 「入り口は広いけど甘くない」サバイバル
55歳でサラリーマン生活に区切りを付け、掃除職人に転身した“中年の星”がいる。ハウスクリーニングを自営業で手掛ける「株式会社 ecoハウスサポート」の津田井(つたい)義昭さんだ。「入り口は広いけど、入ってみたら甘くない」。そんな競争激しい業界で、今や「関西最強のプロ」と紹介されるほどの62歳の熱血漢に、紆余曲折の半生を聞いた。
「マイカーを持っていれば準備金は100万円前後」ながら競争激しい業界 大阪を拠点に活動・津田井義昭さん
55歳でサラリーマン生活に区切りを付け、掃除職人に転身した“中年の星”がいる。ハウスクリーニングを自営業で手掛ける「株式会社 ecoハウスサポート」の津田井(つたい)義昭さんだ。「入り口は広いけど、入ってみたら甘くない」。そんな競争激しい業界で、今や「関西最強のプロ」と紹介されるほどの62歳の熱血漢に、紆余曲折の半生を聞いた。(取材・文=吉原知也)
「頭が悪い、イケメンでもない。取り柄のない自分に、何ができるのか。そう考えて思い付いて、飛び込んでみたんですよ。あっ、自分は家事が好きだったなって」
津田井さんは、印象的な元気な声でこう語った。
大阪を拠点に、ドラム式洗濯機・縦型洗濯機クリーニングに特化しており、エアコンクリーニングやハウスクリーニング全般を得意とする。人情豊かなサービスを売りにするハウスクリーニングの個人事業主だ。
もともとは長崎出身。電気科の高校を卒業し、スーパーコンピューターのカスタマーエンジニアとして社会人生活をスタートさせた。入社5年目で、「街のバイク屋」に転職。修理販売に従事し、約20年勤めて店長まで昇格した。その後、卵の配達バイトを経て、前職の金属加工メーカーに再就職。42歳の時だった。辞める前の1年半、品質管理課長の重責を担った。
転機が訪れたのは、55歳の時。定年を本格的に意識する中で人生を振り返り、思うことがあった。「何か人の役に立って、自分の人生の最後に目をつぶりたい。20歳ぐらいの頃からそう思い続けていたんです」。掃除や整頓などの家事は好きで、積極的に取り組んでいた。世のため人のためになる次の職業を考えていた時に、ふと思い付いたのが「掃除」だった。
「実はこの清掃・ハウスクリーニング業界は、中途で独立する人が多いんです。マイカーを持っていれば、準備金は100万円前後で事足ります」。
一方で、「独立・開業してからがシビアだと思います。間口は広いのですが、甘くない世界なんです。お客様に評価されないと、仕事は入ってきません。飯を食えている人はごく一部。途中で諦めて辞めていく人も多く、厳しい世界なんですよ」と業界の実情について明かす。
2016年夏、「背水の陣」で歩み始めた清掃職人の道。最初の半年間は、夜10時から朝6時までギョーザ工場のアルバイトで働きながら、昼間は掃除の仕事に取り組んだ。最初の予約が入ったのは、「2016年7月14日、今でも覚えていますよ。洗濯機の案件でした」。ハウスクリーニングや引越し事業者などのプラットフォーム「くらしのマーケット」に登録し、講習を受け、テレビやYouTubeなどを見て独自に勉強を重ねていた。
洗濯機の分解に苦慮しながらも奮闘するうちに、洗濯機の予約ばかり入ってくるように。持ち前の記憶力とコミュニケーション能力を武器に、研究・勉強を重ね、現場であらゆるメーカー・年式・形式の洗濯機に対応しながら、一生懸命に、丁寧に客と接していった。
約半年後、100台に到達して「分かってきた」。今では「分解できない洗濯機はないです」。自信たっぷりに言い切る。
どうして“敵に塩を送る”ようなことを自ら進んでやるのか
「僕にとって、お客様が先生なんです。口コミ評価から反省点を学ばせていただきました。それに、毎日の仕事で、洗濯機の形式や汚れなどがそれぞれ違いますし、お客様についても性格や雰囲気、感受性などが違います。毎日学ばせてもらっています。言ってみれば、毎日日替わり定食を食べさせてもらっていて、飽きない。楽しくてしょうがないんです。毎日がパラダイスなんですよ」。満面の笑みを浮かべた。
また、くらしのマーケットでは、事業者向けの講師を務めたり、YouTubeチャンネルで“先生”として登場してメソッドを公開したりするなど、後進の育成にも余念がない。特に、洗濯機の分解・清掃の「技術伝承」に力を注いでいる。千葉県の事業者から教えてほしいと頼まれれば“出張講習会”に出向いたり、客側の了解を得た上で、同業者で洗濯機分野の勉強をしたい人について自分の仕事に同席させて教えたり…。
しかし、それぞれが競争にさらされている自営業者なのに、どうして“敵に塩を送る”ようなことを自ら進んでやるのか。そこには、自らの夢の実現への思いが重なっている。
「まず、この業界は担い手が足りないんです。ニーズはたくさんあるのに、それでいて事業者のレベルはまちまちで、技術の底上げが必要です。例えば洗濯機の部品で壊してはいけないものが壊されているケースに遭遇することがあります。そんなことがまかり通っていて、及第点に達していない現状もあります。だからこそ、業界をよりよくしていきたいです。どの仕事も最初は慣れず、ものになるまでに年単位で時間がかかります。自分が教えられる技術やトラブルシューティングは同業者にも伝えていければ。だって、僕だって、ズブの素人から、こうして人に教える立場にさせてもらったんですから」。熱い思いを教えてくれた。
工場ラインの品質管理を受け持った経験から、大事にしていることがある。閑散期にあたる今年1月でも依頼は絶えず、休みは8日間だった。それでも、無理して働かず、基本的には1日2件の予約を限度としている。繁忙期に3件のケースはあるが、「人は疲れていると、どうしてもヒューマンエラーが出ます。散々大変な目に遭ってきましたから。時間に余裕が出れば、心にも余裕が出ます。無理して働きません」。自己管理にもしっかり努めている。
山あり谷ありの人生。ピンチはたくさんあった。でも、「この仕事を辞めたいと思ったことは一度もなかった」。4年前から趣味にしている山登りを通して、人生観がさらに広まっている。「山と仕事、人生は一緒なんですよ。一歩ずつ、半歩でも、歩いていけば、あの山の頂に必ず到達できる。諦めないこと。それが人生です」。
プロが認める職人として、そして、ハウスクリーニング業の未来を考える業界人として、これからも一生懸命をモットーに突き進む。