堀ちえみ 87年電撃引退の理由「アイドルを続けると人間として成長できない」 忙し過ぎた芸能生活
昨年デビュー40周年を迎えた歌手で女優の堀ちえみが8日、『堀ちえみ 40周年アニバーサリー CD/DVD-BOX』を発売した。82年3月に『潮風の少女/メルシ・ボク』(両A面)でアイドル歌手としてデビュー以来、ポニーキャニオンから発売された全楽曲と映像商品を網羅しており、40年以上にわたって自身を支えてくれたファンへの素敵な贈り物となっている。15日にはデビュー40周年記念ライブを東京で、4月7日には大阪で開催しファンに元気な姿を披露する。舌がんや食道がんの大手術と過酷なリハビリを乗り越えてステージに帰ってくる堀。東京・六本木の同社でデビュー当時の思い出を聞くと、当初はハプニングの連続だったことを打ち明けた。3回連載で今回は第1回。
デビュー40周年記念ライブ 泣くとリハビリが水の泡「歌えなくなる」
昨年デビュー40周年を迎えた歌手で女優の堀ちえみが8日、『堀ちえみ 40周年アニバーサリー CD/DVD-BOX』を発売した。82年3月に『潮風の少女/メルシ・ボク』(両A面)でアイドル歌手としてデビュー以来、ポニーキャニオンから発売された全楽曲と映像商品を網羅しており、40年以上にわたって自身を支えてくれたファンへの素敵な贈り物となっている。15日にはデビュー40周年記念ライブを東京で、4月7日には大阪で開催しファンに元気な姿を披露する。舌がんや食道がんの大手術と過酷なリハビリを乗り越えてステージに帰ってくる堀。東京・六本木の同社でデビュー当時の思い出を聞くと、当初はハプニングの連続だったことを打ち明けた。3回連載で今回は第1回。(取材・文=鄭孝俊)
――『40周年記念 CD/DVD-BOX』はアイドル人生の集大成と言えますね。
「今まで支えていただいたファンの方々へのお礼をうんと込めて作りました。高音質リマスター復刻のCD13枚にDVD1枚が収められています。今回初めて私が制作に参加しアルバムのパッケージもたくさんの候補の中から選びました。デビュー時は私が選ぶことはなかったのでとてもうれしかったですね。アルバムのジャケットの質感が良くてツルツル。高級感があります」
――デビュー時の思い出を聞かせてください。
「ポニーキャニオンの一口坂スタジオで行われた『潮風の少女』の収録にはオーケストラの演奏がありました。まだ15歳の私のためにこんなにたくさんのミュージシャンの方が集まって素敵な音楽を奏でてくださっているんだって思ったら感動して、頑張って歌わないといけない、名前を残さないと申し訳ないっていうプレッシャーでその日はすごく震えが来たのを覚えています」
※82年3月に『潮風の少女/メルシ・ボク』でデビュー。当時のキャッチフレーズは「GOOD FRIEND」。代表曲としては83年『さよならの物語』、84年『クレイジーラブ/愛のランナー』、85年『リ・ボ・ン』など。同期には小泉今日子、松本伊代、早見優、石川秀美、三田寛子、シブがき隊、中森明菜らがおり「花の82年組」と呼ばれた。84年末の『第35回NHK紅白歌合戦』に『東京Sugar Town』で初出場を果たした。
――デビュー後に発表した『少女』(82年5月21日発売)、『夢日記』(同11月21日)、『風のささやき』(83年6月21日)、この3枚のアルバムのジャケットは溌溂(はつらつ)な少女の面影が残っていますね。
「張り切っていたのは確かですが、実は撮影が大変でした。『少女』のジャケットは洋服も白、持っているお花も白、風船も白、置いてある小物も全部白で、スタッフさんが白のペンキとスプレーで全部真っ白にしていました。スタジオ中にシンナーの匂いが充満して呼吸がつらくなったのを覚えています。今思えば大変危険な撮影でしたね(笑)。一方、2作目の『夢日記』は私が白い洋服で背景はピンク一色。さすがに『少女』の撮影で懲りたのか、ペンキでピンクに染めることはなかったですけど、『写真の中に鳩を入れよう』ということになって。その鳩が興奮してピンクの風船を割ってしまい飛んで行ってしまいました。問題は3作目の『風のささやき』です。私は白い洋服を着ていて青の背景の中に白い紙の風車を並べるという構図。この風車を回して撮るというのが至難の技でした。監督は『風車を全部回したい』と言って大きな扇風機を何台も用意してぶわっーと風をあてたら、私の髪の毛がぐちゃぐちゃになって、『これはダメだな』と。あの時代はそんなハプニングがたくさんありました(笑)」
――4作目の『雪のコンチェルト』は少し大人っぽいイメージを出しています。
「このあたりからやっと普通の撮影になりました(笑)。ジャケットはTBS系ドラマ『スチュワーデス物語』(83年)の収録を途中で終えて夜中に別荘地の暖路の前で撮影しました。本当に寒い日でしたね。当時はこういうふわふわのモヘアセーターが流行っていました。今はシャギーニットと呼ぶようで今年流行していますよ」
――デビュー後は歌手活動とドラマ、映画への出演と大活躍でしたが、どちらが楽しかったですか?
「『スチュワーデス物語』の終了後、1年は歌手活動に専念しました。歌手としてデビューしたので歌手としての活動を優先したいと思いました。ただ、85年に映画『潮騒』やフジテレビ系『スタア誕生』、86年に同じくフジ系『花嫁衣裳は誰が着る』などドラマに復帰しました。当時は『歌だけのアイドルはダメだ』と言われていて、コントもできて、バラエティーやクイズ番組にも出演して、司会やライブ、写真集の撮影、ミュージカルもやって、というように何でもこなさなければいけなかったです。1枚のシングル、1枚のアルバムを発売するのに莫大な時間とお金と労力がかかり簡単に作品を出すということができなかった時代です。そのコストを捻出するためにアイドルはあらゆる仕事をしなければいけなかった。80年代のアイドルとしては仕方がなかったと思いますが、その後、アイドルからの脱皮ができるのか、アーティストの方向へ進めるのか、ずいぶん悩みました」
――それが87年3月の電撃引退発表につながったのでしょうか?
「事務所がもっていきたい方向と、自分がやっていきたい方向はどうしても違ってきてしまう。そういった食い違いはありましたし、そこにプラスして忙しかったというのもありました。このまま芸能界にいて自分が人間として成長できなかったらどうしよう、とまで考えました。20歳の誕生日を迎えたその年に芸能界を引退することを発表したのもそういう事情があったからです。大阪に帰省していた際、妹と夏祭りに出かけて金魚すくいをしていたところある週刊誌にキャッチされたことがあります。『病気療養中に深刻な表情を浮かべる堀ちえみ』みたいな見出しでしたが、私はただ目の前の金魚すくいに真剣になっていただけでした。もう妹と大爆笑しましたね(笑)。私は隠れるようなことはしなかったし変装して街を歩くこともしなかった。隠れるとかえって人は追いかけてくるものですから。今も平気で近所のスーパーに出かけたりしていますよ」
――15日と4月7日に開催するデビュー40周年記念ライブへの意気込みを聞かせてください。
「しゃべることができなかった状態、もっと言えば命が本当に危ない状態から救っていただいて、やっと歌えるようになりました。1人でここまで来られたのではなく家族の支えと、医療従事者の皆さん、言語聴覚士、ボイストレーナーの先生方、スタッフの皆さんへの感謝の気持ちを忘れてはいけないと思っています。『花の82年組』と呼ばれた同期の仲間の励ましも頂いて頑張って来られた。支えてくれたファンの皆さんへの感謝の気持ちを込めて歌わないといけないと思っています。いちばんは私が楽しんで歌うことですが、ファンの方々がハッピーな気持ちになってくれたらいいなと。『あのまま終わらなかったよ』って伝えたいです」
――感激の涙が込み上げそうですね。
「いや、自分は泣かないようにしないといけない。泣いちゃうともう鼻とか詰まったら立て直して歌うのに非常に時間がかかるので。手術の影響もありますし、泣いちゃうと声が出なくなる。せっかく今まで4年近くリハビリで頑張ってきたものがすべて水の泡になるというか。泣かない方法を何か考えないといけませんね(笑)」
□堀ちえみ (ほり・ちえみ) 1967年2月15日、大阪府堺市出身。81年に開催された『第6回ホリプロタレントスカウトキャラバン』に優勝して芸能界入りし、82年3月『潮風の少女』でデビュー。83年に出演したTBS系連続ドラマ『スチュワーデス物語』が日本中で大ヒットし、アイドルとして歌やドラマで活躍。17年にデビュー35周年を迎え東京・品川ステラボールで35周年アニバーサリーライブを開催した。19年2月に口腔がん、4月に食道がんの手術を受けリハビリを続けていた。20年に芸能活動を再開。現在、7児の母となり舌がん手術の影響は残るものの、テレビ出演の他、教育や食育にまつわるトークショー、音楽活動と幅広く活動中。血液型B。趣味・特技は子育て、料理、読書、旅行。