鮎川誠さん「ロック葬」後輩ミュージシャンらが号泣で別れ「とにかく素晴らしい人だった」
1月29日にすい臓がんのため74歳で亡くなった鮎川誠さんの「ロック葬」が4日、東京・世田谷区の「星かげの迎賓館」で行われ、鮎川さんに別れを告げようと多くのミュージシャンが駆けつけた。
後輩・浜崎貴司が思い出語る「去年10月にお元気そうに話をしてくれたんです」
1月29日にすい臓がんのため74歳で亡くなった鮎川誠さんの「ロック葬」が4日、東京・世田谷区の「星かげの迎賓館」で行われ、鮎川さんに別れを告げようと多くのミュージシャンが駆けつけた。
昨年10月28日、ロックバー・レッドシューズの40周年を記念したライブに鮎川さんと同じステージに立った浜崎貴司は弔問を待つ列で涙を浮かべながら鮎川さんとの思い出を語った。
「去年のイベントで久しぶりにお会いできて、最後、お元気そうな姿の鮎川さんとお話ができたんです。それで先に打ち上げを帰るとおっしゃったので、みんなで鮎川さんをお送りしようと言って僕や民生くんと一緒に見送ったんです。それが最後になっちゃいましたね。でもあのときお話ができて『久しぶりに会えてよかった』って言ってもらえたのがとっても心に残っています」
鮎川さんと浜崎は、レコード会社の先輩後輩の間柄だ。
「鮎川さんはやっぱりロックンロールを一生やり遂げたっていうすごみを感じます」
グラムロックバンドのマルコシアス・バンプとして平成元年に活躍し、現在は自身のバンドで活動を続けるアキマツネオは「思い出はいろいろありすぎて、今話すと泣いてしまいます。本当にすごい人、ああいうギタリストはほかにいないんじゃないですかね。……人間的にね、とにかく素晴らしい人だったんです」と大粒の涙を流しながら話した。
また鮎川さん、シーナさんとはプライベートでも長年付き合いのあったレッドシューズのオーナー・門野久志氏も鮎川さんの病状は知らされていなかったという。
「昨年10月にレッドシューズのイベントに出演してくださって。そのあとお会いしたとき、少しお痩せになったと思ったんですが……。最後までロックな人生を貫かれましたね」と静かに語った。
鮎川さんのロック葬は午後4時から始まり、関係者の弔問のあと、一般弔問が行われた。午後5時の開始時点で弔問を待つ一般参列者の列が会場の最寄り駅となった代田橋駅まで延び、多くのファンが鮎川さんに最後の別れを告げた。
午後8時になり一般弔問は締め切られたが、その後もしばらく関係者の弔問が続き、最終的な弔問人数は約4000人を数えた。
告別式は、家族のみで5日に執り行われる。