ビートきよし、難病「ネフローゼ症候群」経て…人生を楽しむ今「俺は楽天家なんですよ」

お笑いコンビ・ツービートのビートきよし(73)が、波乱万丈の人生を語った。相方のビートたけし(75)と売れっ子になった後、大金を手にして散財。女性に金を貸した流れでクラブのオーナーになり、約1億円の借金を抱える事態も経験した。以降は、飲食店を開いては閉じるの繰り返し。1年前には難病で苦しむも、克服して今はツイッター、配信を楽しんでいる。深刻に考えることはあっても、「何とかなる」と思えるメンタリティー。その素顔に迫った。

病を克服して20キロ減のビートきよし【写真:ENCOUNT編集部】
病を克服して20キロ減のビートきよし【写真:ENCOUNT編集部】

現金払い「月ウン百万円」の給与を手に「行くぞ!六本木」

 お笑いコンビ・ツービートのビートきよし(73)が、波乱万丈の人生を語った。相方のビートたけし(75)と売れっ子になった後、大金を手にして散財。女性に金を貸した流れでクラブのオーナーになり、約1億円の借金を抱える事態も経験した。以降は、飲食店を開いては閉じるの繰り返し。1年前には難病で苦しむも、克服して今はツイッター、配信を楽しんでいる。深刻に考えることはあっても、「何とかなる」と思えるメンタリティー。その素顔に迫った。(取材・文=ENCOUNTディレクター・柳田通斉)

 きよしは、超多忙だった頃を懐かしそうに話した。フジテレビ系『THE MANZAI』『笑っている場合ですよ』『オレたちひょうきん族』など、数多くの番組に出演していた1980年代のことだ。

「当時はテレビ局も今より金があったんですよ。社員食堂に行っても、『サインでいいか』と言われ、好きなものを食べられた。で、午前3時、4時まで収録して、毎日、タク送(タクシー利用で帰宅)ですよ」

 給与は「月、ウン百万円」だったという。全て現金払いで、大金を手にすると、繁華街へ繰り出していた。

「札束がポケット1つに入らないくらいだから、いろんなところに入れていましたね。それで、『おい、行くぞ』って言って、みんなを連れて六本木に行くんですよ。あの頃、給料が振り込みだったら、貯金できたんですけどね~(笑)」

 使っても使っても金は入ってくるため、「貸して」と言われると、応じていた。

「行きつけの喫茶店で知り合ったクラブ経営の女性と仲良くなって、100万円を貸したんですよ。女性は『1か月で返す』と言っていたけど、期限が来ると『足りない』と言うんで、何だかんだで計400万円を貸しました。結局は『返せない』ってことになったんで、『じゃあ、俺がそのクラブのオーナーになるから』と伝え、自分で経営を始めました。で、お客さんにフルーツを出したりして、1か月後には満卓しました。『これで安心だ』と思っていたら、今度は『ツケが4000万円』と。で、調べたらお客が持ってきたツケ払いの金を従業員がネコババしていたことが分かりました。それで腹を立てていると、債権者を名乗る怖い人たちが店の前に来てね。俺は『金なんて借りてない』と言ったら、その女性が大金を借りていて、怖い人たちから『きよし、お前が店をやっているから貸したんだよ』と言われてしまって……」

馴染みの喫茶店でくつろぐビートきよし【写真:本人提供】
馴染みの喫茶店でくつろぐビートきよし【写真:本人提供】

負わされた借金1億円 「怖い人」の事務所に乗り込んで

 きよしが背負った借金は計1億円。しかも、月1割の利子を求められた。だが、泣き寝入りはしなかった。

「怖い人たちの事務所に1人で乗り込んで、トップに直談判して『金利なしの分割払い』で話をつけました。その後、仕事を頑張って完済ですよ。今では考えられないことですけど、当時はそういうこともありました」

 90年代になると、たけしとの仕事は激減。きよしは俳優業に活路を見いだしたが、もう1つの収入源を確立すべく、懲りずに飲食店経営に挑み続けた。2018年には漫才時の決まり文句に掛け、『よしなさい』という名の焼き肉店を開店。たけしから、『やめなさい!』と書かれたジョークの花輪も届いた。他にも鉄板焼き店など複数の店を持っていたが、いずれも20年までに閉店となっている。その後、横浜でライブハウス(ライブがない時はカラオケパブ)のオープン準備に入ったが、コロナ禍で営業できないまま閉店。続いてカラオケもできるマージャンスナックを開店するも、「徹夜が辛い」と言い出して閉めるに至った。

 そして、21年12月、体に異変が起きた。

「下半身がむくみだして、変な話、あそこも大きくなって、タヌキの置物みたいになってね。それでも、『大丈夫だよ』と言って放っておいたら、仕事先の楽屋で立てなくなってね。それで医者に行ったら、『即、入院』と言われました。決まった仕事があったんで、入院は1月4日になりましたけど」

 医師の診断は「ネフローゼ症候群」。腎臓ではろ過されないはずの血液中のタンパク質(特にアルブミン)が尿に多量に漏れ出し、血液中のタンパク濃度が薄くなることで体がむくむ指定難病だった。

 マネジャーいわく「足なんか戦闘ロボットみたいでした。病院に行くのがもう少し遅れ、むくみが上半身まできて、肺をやられたらアウトでした」。そんな危険な状況だったが、きよしは投薬と利尿剤の投与で回復。約3週間で体重は20キロ落ちたという。

「それからは健康です。1か月1度は通院しています。その度に大量の血を採られるけど、『しっかり、検査してもらっている』と思って納得しています。本当に病院の方々には感謝しています」

命助かり活動再開も、『M-1』は見ず…「どうかと思って」

 助かった命。きよしは残りの人生を楽しむべく、こだわってきた飲食店経営をきっぱりと辞めた。

「だって、いくらやっても金にならないんだもん(笑)。でも、いろんな店をやったよ。名前を貸しただけのもあるけどね」

 高齢者で年金も得ているはずだが、かつてのような「使っても金が入る」という状態ではない。それでも、ツイッター、配信サイトからは、飲食を楽しむ様子が伝わってくる。

「Pocochaなんかには、10万人ぐらいが来るときもあって、ビックリですよ。コメントも面白いしね。まあ、俺は楽天家なんですよ。だまされて、悩んで深刻になったこともあるけど、いつも『まあ、どうにかなるか』だもん。この先もそんな感じだよね」

 マネジャーによると、コメントはさまざまで「本物ですか?」「この人、有名なんですか?」など、存在を疑う内容もあるという。そんな中、東京・新宿武蔵野館で行われた映画『戦場のメリークリスマス 4K修復版』(1983年制作、大島渚監督)上映会トークショーなど、イベント出演の仕事も入ってきている。ただ、毒舌漫才のウエストランドが優勝した『M-1グランプリ』は見ていなかった。

「M-1はプロがプロを審査すること自体、どうかと思ってずっと見ていないよ。漫才コンビにはいろんなスタイルがあるし、視聴者、お客さんにウケることが大事。それでいいんじゃないかな」

 今は気持ちが楽になっているのか、73歳とは思えない若々しさも感じる。相方のたけしが75歳。互いに元気であることを願いつつ、今日も楽しく時を過ごす。

□ビートきよし 本名・兼子二郎。1949年(昭24)12月31日、山形県最上町生まれ。高校卒業後、上京して東京宝映の養成所を経て、浅草のストリップ劇場「ロック座」の幕間芸人となる。その後、同じ浅草のフランス座に移籍し、コメディアンの深見千三郎に師事した。そして、同座でエレベーターボーイから幕間芸人となっていたビートたけしと漫才コンビを組み、2度の改名でツービートに。たけしが速射砲で毒舌を吐き、きよしが「よしなさい」と突っ込むスタイルが受け、「漫才ブーム」をけん引するコンビとなった。ブーム後は個人での活動が主となり、ドラマ、映画、ラジオ番組などに出演。ショー、講演も行っている。2014年4月1日付でオフィス北野へ所属。28年ぶりにたけしと同じ事務所の所属になったが、18年3月に退所して現在は個人事務所のBKプロダクションで活動。21年からは、Pococha(ポコチャ)配信を開始し、同年夏からはふわっち配信を始めた。プライベートでは4人の子供(女1人、男3人)をもうけている。血液型B。

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