25歳のダンサーMiyuが世界一になるまで 前澤友作氏“月周回”メンバーで注目度上昇
実業家の前澤友作氏が計画する月周回プロジェクト「dearMoon」に全世界100万人の応募の中から唯一の日本人として選ばれ、バックアップクルーとして参画するダンサーのMiyu。「不可能を可能に」をモットーにダンサーの枠を超えて挑戦を続ける25歳だ。幼少期は引っ込み思案だったと明かす彼女がどのような道をたどり、現在に至ったのか。ENCOUNTの独占インタビューに応じ、ルーツを明かした。
夢は「ダンサーの社会的地位の向上」
実業家の前澤友作氏が計画する月周回プロジェクト「dearMoon」に全世界100万人の応募の中から唯一の日本人として選ばれ、バックアップクルーとして参画するダンサーのMiyu。「不可能を可能に」をモットーにダンサーの枠を超えて挑戦を続ける25歳だ。幼少期は引っ込み思案だったと明かす彼女がどのような道をたどり、現在に至ったのか。ENCOUNTの独占インタビューに応じ、ルーツを明かした。(取材・文=中村彰洋)
幼少期から水泳にテニス、一輪車やサッカーとさまざまな習いごとに挑戦していたMiyuだったが、何一つ続くことはなかった。そんなときに出会ったのがダンスだった。
「8歳ぐらいのときにお祭りで同い年ぐらいの子が踊っていて、それを見て、『私も始めたい』と親にお願いしたのがきっかけでした」
それから現在まで、ダンスへ情熱を注ぎ続けてきた。ダンスの魅力は「人種や性別、言葉も全部関係なく、体1つで心がつながり合えること」。現在まで続けてこられた理由は「目標があったから」と断言する。
「つねに目標を作り、達成したらまた新たに目標を作るということを繰り返してきました。今後もダンスを続けていく中で、永遠に新しい目標ができてくると思うので、一生続いていくと思っています。あとは、単純に楽しいですね(笑)」
インタビュー中もハキハキと笑顔で質問に応じたMiyu。ポジティブな言葉を繰り返す姿が印象的だったが、昔は正反対な性格だった。
「すごいシャイで引っ込み事案でした。何をするにもすごく時間がかかる子で、人より遅れを取ることが多かったです。ダンスでも下の階級にいたり、大会で負けたりしていましたね。でも、だからこそ人よりも練習を繰り返して、目標を達成することで自分にもそういう努力ができるんだと自信がつきました。そこから、性格がガラッと変わりました。高校1年生のときに大会で初めて海外に行ったんですけど、それも性格やダンスを変えてくれた経験でした。海外の人は自分を全力でアピールするんです。それが自分の概念を全部壊してくれました。シャイなままここにいたら、一生活躍できないと思ったことをきっかけにポジティブでオープンマインドな性格になりました」
一方で変わらない部分もある。それは負けず嫌いな点だ。「小さい頃から才能があったわけではなかったので、『負けないぞ! 自分でもできるぞ!』という思いでここまで活動しています」。
ダンスによって性格も人生も大きく変化した。19歳のときに世界大会で優勝し、世界一になるという夢もかなえた。ダンサーとしての地位を確立したMiyuだが、今後も新しい挑戦を続ける。
「ダンサーの社会的地位の向上を目標にしています。今ってダンスが世の中的に見たらすごくはやっている。TikTokで踊ったり、義務教育になったりと広がってはいるんですけど、ダンサーという職業自体は振付師、バックダンサーなど裏で支える仕事が多いんです。なので、ダンサーがアーティストとして1人で輝けるような世界を作りたいです。自分自身が今までやったことがないことに進んで挑戦していきたいし、自分が新しい道を作ることでダンスがもっと世の中に知られて、認められる。社会的地位向上につながるんじゃないかなと思っています。ダンサーの可能性を広げていきたいです」
そんなMiyuの次なる目標は、「ダンサーという肩書きで、俳優さんやモデルさん、お笑い芸人さんと同じ位置に並んでメディアに出演できるようになること」。その先には「世界中の誰もが知ってるダンサーになる」という夢がある。「影響力を持つことで変えられることが増えてくる。ダンスアーティストが輝けるような世の中を作りたいですね」。
「不可能を可能に」――。小さい頃から夢に掲げた“世界一”という目標を達成したとき、胸に刻んだ言葉だった。
「私の夢について、周りの人たちは『無理』と思っていたと思います。それを練習して、練習して、練習して、少しずつ達成してきました。今では昔じゃ考えられないようなことに挑戦できています。『努力さえすれば不可能なことってないな』と思っています。私は25歳でまだまだ若い世代だと思うので、若い人たちにもっと刺激や夢を届けられる存在になりたいんです。なので、この言葉をとても大事にしてます」
これからも新しい道を突き進み、新たな世界を切り拓く。「不可能を可能に」というモットーを体現し続ける。