【週末は女子プロレス♯81】プロレス、芸能、美容サロン経営の三刀流 赤井沙希「また婚期遅れる」も「これが自分の人生」
元プロボクサー“浪速のロッキー”こと赤井英和の娘としても知られるDDTの赤井沙希。プロレスと芸能の二足の草鞋を履き、今年は美容界にも進出、自身プロデュースによるエステティックサロン「Riviera」を経営している。「プライベートな時間がなくなりましたね。これでまた婚期が遅れてしまいます」と苦笑する赤井だが、「これが自分の人生だなと思いますね」と、すべての活動に意欲的。好きなことすべてを仕事に取り入れ人生を謳歌していると言っていいだろう。なかでも彼女が「これぞ人生」と感じられるプロレスとは、どのようにして出会ったのだろうか。
“浪速のロッキー”のまな娘、DDTの赤井沙希のプロレスとの出会い
元プロボクサー“浪速のロッキー”こと赤井英和の娘としても知られるDDTの赤井沙希。プロレスと芸能の二足の草鞋を履き、今年は美容界にも進出、自身プロデュースによるエステティックサロン「Riviera」を経営している。「プライベートな時間がなくなりましたね。これでまた婚期が遅れてしまいます」と苦笑する赤井だが、「これが自分の人生だなと思いますね」と、すべての活動に意欲的。好きなことすべてを仕事に取り入れ人生を謳歌していると言っていいだろう。なかでも彼女が「これぞ人生」と感じられるプロレスとは、どのようにして出会ったのだろうか。
物心ついたとき、すでに父はボクシングを引退。両親も離婚したため、父と一緒に過ごした記憶はないという。しかし母がトレーナーだったこともあり、ジムにはよく出入りし遊んでいた。それだけに、「格闘技やリングはわりと身近な存在」だった。
中学生の頃、すでに身長が170センチ近くあり、美容室のヘアモデルを「小遣い稼ぎ」のつもりでやっていた。そんななか偶然、地元・京都でスカウトされ、本格的にモデルの活動を開始した。「もともと人前でなにかをすることに興味はなかったんですけど、カメラマンと自分で創っていく世界観や、そこにしかない呼吸みたいなものが楽しかったです」。
そして2009年、K-1のイメージガールに抜擢された。11年にはプロレスを題材にしたドラマ「マッスルガール!」にレスラー役で出演。撮影終了後、DVD発売イベントの一環としてエキシビションマッチでリングに立った。11年6月1日、赤井は志田光と組んで真琴&藤本つかさ組と10分間対戦。しかし、その時点で自分がプロレスラーになるとは夢にも思っていなかった。アイスリボンやJWPの道場で練習していたものの、あくまでも役作りでのトレーニングだったのだ。
その後、「ラジオ新日本プロレス」という番組のアシスタントに選ばれた。「格闘技には理解があるけどプロレスを知らない、これから好きになるかもしれない人を起用したい」との方針から白羽の矢が立てられたのである。
「新日本のお仕事をする上で、ほかの団体もいっぱいあると知りました。ほかの団体と比べて新日本はどうかと言えるようにならないといけないなと思って、いろんな団体を見にいったんですね。そのなかでとくにおもしろいと思ったのがDDT。番組が終わってからも、新日とDDTは会場で見続けました」
そんな頃、高木三四郎から連絡が入る。「きたー!と思いました(笑)」。案の定、プロレスラーにならないかとのスカウトである。
「高木社長って大人げないことしつつも常にアンテナを張ってるイメージがあって、さすが大社長だなと思いましたね。ただ、自分がやる側にまわるとなると、現実味がなかったです」
それでも熟考していくうちに、「なにかを死ぬ気でやり通してみたい」との思いが芽生え始めた。「自分が(番組きっかけで)プロレスを好きになったように、自分がプロレスをやることで一人でもプロレスを好きになるきっかけになればいい」との思いで決断。役作りではない、DDTでの本格トレーニングが始まった。とはいえ、DDTは男子の団体だ。そこに違和感はなかったのだろうか。
「DDTではミックスドタッグマッチとかあったので、そこはあまり考えなかったですね。あとから言われて確かにそうだなって思ったくらい。そういえば、女子団体というのは考えてなかったです(笑)」
練習時には、見るのとやるのとではこれほど違うのかと痛感した。ロープワーク、受け身など、すべてが想像以上にきつかった。「よくプロレスラーはヒザが悪いと言われますけど、自分もヒザをケガしてしまい、こういうことかと実感しました。しかもリングに立ってない状態で、リングまで遠いなって思いましたね」
それでもデビューにこぎ着け、13年8・18両国のビッグマッチで初戦をおこなった(マサ高梨&チェリー&赤井組vs福田洋&志田&世志琥組)。「ほかの競技や仕事、ジャンルにはない特別な感覚」を味わうと、翌14年には女子選手として初めてプロレス大賞・新人賞を受賞。現在もDDTに欠かせないピースであり、来年はデビュー10周年。そのキャリアにおいて、そのスレンダーな体型を常に維持していることは特筆に値する。なかには「プロレスラーなんだから身体をもっと大きくすべき」との声もある。が、あえてそれをしないことで、赤井は唯一無二の個性を確立させているのである。
「プロレスをやるとなったときから、レスラーとして最低限の筋肉はつけるけど、あえて増量はしたくないと言ったんです。そうしたら高木社長も同じ考えで、モデルレスラーとしてスリムな体型をむしろ維持してほしいとおっしゃってくださったんですね」
以来、「強く気高く美しく」をモットーにリングに上がり続けている。最近では東京女子プロレスにも参戦し、アイドルグループSKE48の現役メンバー荒井優希と「令和のAA砲」を結成。4・9後楽園で初タッグを組み、今年7・9大田区では絶対王者に近い存在だった坂崎ユカ&瑞希組を破りプリンセスタッグ王座にも輝いた。これまで3度の防衛に成功し、2人でのタッグなら8戦負けなしだ。
完全予約制美容サロン「Riviera」をオープン「自分の城みたいなものがほしいなと」
戴冠時を思い出すと、「プレッシャーとかすごくて試合後に吐きました」と苦笑した赤井。とはいえ、荒井とのタッグには運命的なものさえ感じている。京都出身、芸能活動との両立、両者とも新人賞受賞者(荒井は21年)など、共通点があまりにも多いのだ。
「それって組んでから知りました(笑)。名前の母音も一緒だし、ふたりとも蹴り系の技をフィニッシュにしてますよね。後付けですけど、組むべきして組んだのかなって(笑)」
赤井は荒井にとってお姉さん的立場なのだろう。「もともと私は2人姉妹の妹の方なので、あまりお姉ちゃん気質じゃないはずなんですけど、あの子がいることで守ってあげたいとか、この子がいるから私はもっと強くならない、変な背中は見せられないなという思いもあります」。と同時に、予想以上に頼もしい妹分だと、試合をするたびに実感している。
「心強いですよ。自分があのキャリアのときだったらできなかったことをできてますよね。最初は不安もあったけど、いろんな意見に惑わされずノビノビやってる。甘えん坊なのに、ハートが強いんですよね」
この年末年始、令和のAA砲には試練のビッグマッチが続く。DDT12・29TDCホールではこのタッグをお披露目、赤井&荒井組vs安納サオリ&川畑梨瑚組が組まれている。荒井が他団体で試合をするのは初めてであり、荒井にとって安納、川畑とも初対戦。だからこそ、赤井にはお姉さん的ファイトで荒井をリードすることが期待される。
「こういう(他団体での)経験も彼女の今後に生きていくと思いますし、私自身、安納選手、川畑選手とも過去にシングルもやってますし、ここ数年でお互いが経験してきたことをぶつけ合って、DDTの年間最後のビッグマッチで優希ちゃんと勝ち名乗りを挙げたいと思いますね」
年が明けて東京女子恒例のイッテンヨン(1月4日)後楽園では、令和のAA砲が海外からの刺客を迎え撃つタッグ王座4度目の防衛戦。10・9TDCで、荒井が初の対外国人(リア・オライリー&ナイトシェイド組)相手にベルトを守ったが、こんどはさらに大型で狂暴と思われる“ウェイストランド・ウォー・パーティー”マックス・ジ・インペイラー&ハイディ・ハウイツァ組だ。ハッキリ言って、クレイジーなチャレンジャー。赤井&荒井組に最大の危機到来と言っていい。
「毎回新しい経験やいろいろな発見をさせてもらってます。(10・9で)海外の方と防衛戦をしてひとつ経験になり、それを活かしてまたひとつ階段を上がったと思うんですけど、次の段差はだいぶ高いなって(苦笑)」
この試練を乗り越えられるかどうかで、23年の令和のAA砲、赤井沙希の10年目が見えてくるだろう。だからこそ、DDT12・29TDC、東京女子1・4後楽園は見逃せない。
「まさか自分が二桁のキャリアになるまでやるとは思ってなかったですね。ここまでホントにあっという間ですけど、まだ経験していないこともたくさんあるし、ほかでは経験できないこともしてると思います。プロレスってほかの競技にはないくらい、その人の生き様、性格、本心が見える。プロレスってホントに人生で、しかもお客さんと一緒に歩いていってる気がするので、そこに自分はやりがいを感じますね」
そんな赤井にとってもうひとつの人生が、美容である。自身のブランドを立ち上げ5月に男女とも使える30代からのスキンケアコスメ「Rivieraパーフェクトオールインワンジェル」を発売。7月には西新宿に完全予約制美容サロン「Riviera」をオープンした。
「もともと美容には興味があったんですけど、芸能のお仕事やプロレスがあるので、次の人生でやるしかないのかなと思っていたんですけど、やれることを(いま)やりたいと思って始めました。だからといってほかの時間を減らすのでもなく。自分の信念『強く気高く美しく』を守りながら自分の城みたいなものがほしいなと思ったんです」
男子の団体にいることもあり、女性はもちろん、美容に抵抗を感じる男性にこそ使ってほしいとも考えている。
「ジェルは美容業界の人に心配されるくらいです(笑)。あれだけの成分入れてあの値段じゃやっていけないでしょって。まずはきっかけにしてほしいと思って作ったんですよ。サロンは、忙しい日常の隠れ家みたいにしたかったんです。30代から50代、それ以上の男性でも、奇麗になることで人生を前向きに過ごしてほしい。そういう思いがあるんです」