「子供の声がうるさい!」公園遊びに苦情→撤収…漫画に込めた子育て世代の生きづらさ
「子供の声がうるさい!」。公園への苦情でママ友の実父に救われた話――。日曜日に訪れた友人宅を舞台に、子どもを持つ家族の生きづらさを表わしたショート漫画が話題になっている。長野市では同様の指摘で公園の廃止が決定し、大きな波紋を広げたばかり。作者のらっさむさん(@LASTSAMURAI_11)に投稿の意図を聞いた。
「何で?」とはもう思わない 日曜昼下がりの公園から撤収
「子供の声がうるさい!」。公園への苦情でママ友の実父に救われた話――。日曜日に訪れた友人宅を舞台に、子どもを持つ家族の生きづらさを表わしたショート漫画が話題になっている。長野市では同様の指摘で公園の廃止が決定し、大きな波紋を広げたばかり。作者のらっさむさん(@LASTSAMURAI_11)に投稿の意図を聞いた。(取材・文=水沼一夫)
6枚からなるショート漫画は、らっさむさんが子どもを連れて、ママ友宅を訪れるところから始まる。ママ友宅は窓から見渡せる公園があり、子どもたちがブランコで遊んでいる姿が描写されている。遊具がある子ども向けの公園だ。しかし、2枚目になるとほほ笑ましい光景は一転する。
「ごめん~公園で遊ぶ子どもの声がうるさいって、住民から苦情が…撤収するわ~」
子どもと一緒に付き添っていたママ友の夫が、慌てた様子で帰宅した。時間は日曜日の午後2時だった。昼食を食べた後、外遊びをする時間帯だ。
3枚目に記されているのは作者の複雑な心境だった。
「『何で?』とはもう思わない あらゆる事情の人が同じ場所で暮らし… 近所の保育園は窓も開けられない 私たち自身、それに慣れてしまっていたのかもしれない…」
そこへ登場したのが、ママ友の実父。「公園は子どもの遊ぶ場です」。毅然とした態度に、その場の雰囲気は救われる。
最後の6枚目では、「子どもの声なんて親であっても勘弁してくれ、と思うこともある それでもうれしかったし 心からほっとした…」と結んでいる。
らっさむさんは「つい先日の経験です。最後まで掲載したので、加害者側の気持ちとして読んでいただけますとうれしいです」とツイートした。
長野市では1軒の苦情をきっかけに公園が廃止となった。それは大げさではなく、身近に起こりうること。「加害者」と称したのは、被害者に対する、という意味で使ったというが、重い言葉だ。いったいどんな思いで投稿したのだろうか。らっさむさんは、ENCOUNTの取材に次のように明かした。
――漫画を投稿した意図について教えてください。
「子どもの声が騒音だと問題視されるこれまでの報道では、加害者(被害者の方に対しての意味)の『諦め』のようなものが、あまり伝わってこないなあと感じていました。これは私が個人的に感じていることですが、子どもを生んでから1日の中で『すみません』と言う機会がとても増えたんですね。そして、すみませんを言うことに、だんだん慣れていってしまうんです。
だから、騒音問題に対しても、『家でも騒ぐな、公園でも騒ぐなって、じゃあどこで子どもらしくワッキャワッキャすればいいの?』と思うのに、加害者である自分たちが『いや、それは違う』とは、なかなか言えなくて。諦め癖のようなものかもしれません。『言うという考えに至らない』気がしていて、そうしたことを伝えられる漫画が描ければいいなあ、と思いました」
――改めて当時の状況を教えてください。
「1階の部屋からママたちが子どもを見守りつつ話をしていて、その中の1人のパパともう1人のママが子どもたちについていてくれました。6親子くらいいたと思うので、子どもは7人くらいだったかと。目の前の公園には滑り台やブランコもあり、元気いっぱいの子たちなので、確かにうるさいと感じる人もいたかもしれません。
漫画にもあるように、日曜日の昼下がり、12月なので窓を開けることはあまりないと思いますが、夜勤の人、介護をしている人など、いろいろな方がおられると思います。
苦情を言った近所の人は、近くの交番にへ行き、警察が注意しに来たと言っていました。警察の方も、苦情を言われると行かないわけにいかない部分もあったのだと思います。ただ、そうした様子を見て、子どもたちがどう感じるのかなあ、というのは気になります。
親が怒られると、子どもは自分のせいだと思ってしまう。そういうことが続くと、子どもから『だめって?』などと聞かれることがあって切ないです」
窓を開けることもできない保育園 注意書き多い子どもの遊び場
――漫画の中では、保育園の記述もありました。日ごろ感じる不自由な思いはありますか?
「待機児童問題もあり、新設の保育園が増えているのですが、なかなか周囲の住民の理解が得られないことが多いな、と感じています。例えば、私の子どもが通う保育園の分園では、窓を開けることも夏にプールを外に出すこともできず、本園のプールを間借りしているんですね。同じ保育園であっても、立地によって保育の質が大きく変わってくるんです。
また、最近では公園があっても注意書きばかりということも。『ボール遊びはだめ』『大声を出さない』といった禁止事項の書かれた看板や貼り紙があって、ゆったり遊ばせられる環境にないことも多いです。こうした周囲の目があると、親は、本来言わなくてもいい小言を子どもに言わなくてはならなくなる。本来なら、環境次第で言わなくてもいいことで、子どもを萎縮させてしまうのはなかなか悲しいな、と思います」
――子どもを持つ親とそうでない人々が共生するために必要なこととは。
「正直、加害者である自分たちが『こうしてほしい』とはなかなか言いにくいですよね。私自身、親ではあるけど、自分の子の騒ぐ声をうるさいと感じることもあるし、リモート中に外で子どもが騒ぐ声が聴こえてきたら、イヤホンをつけることもあります。だから、一方的に我慢してほしい、、とは思っていないんです。
ただ、長野市の公園廃止の報道にもあったように、声の大きな人の意見だけを拾い上げて対策してしまうと、すごく偏ってしまうと思うんです。私たち加害者の親って、少なからず自分たちが『他人に迷惑をかけている自覚』があるので、なかなか声を上げられないからです。
じゃあ、どうしたらいいかというと、もっとお互いのことを知る機会があればいいのにな、と思います。例えば、子どもの通う保育園の本園では、近所の人たちとのつながりをすごく大切にしていて、コロナ前までは、園のお祭りの招待状を近隣の方にも出すなど、各行事ごとに子どもたちの様子を書面などで伝えてきていました。
先生たちも忙しいなか頭の下がる思いですが、『まったく情報のない子』ではなくて、子どもってああ、こういうものだったよな…と少しでも、相手の立場を想像できるような情報があれば、もう少し違ってくるのかもしれないですよね。誰だって子ども時代はあったと思うので。
あくまで、相手がお話し合いの舞台に立ってくださるような方であることが前提ですが、そうした歩み寄りをせずに、一気に断絶するような対策をとってしまうと、ますますこうした問題はこじれていくような気がしています」