4男4女を育てる“名古屋のビッグダディ”の知られざる壮絶過去 月収1300万円からの転落

大家族といえば、いつの時代も注目されるのは家計を陰で支える母の節約術だが、大黒柱の父が社長として食いぶちを稼ぎ、その“爆買い”が度々話題となる一家がいる。リバイバルビジョン株式会社代表取締役にして、4男4女を育てる“名古屋のビッグダディ”こと穂苅万博氏に、幸せな家庭を築くまでの波瀾万丈の半生を聞いた。

現在は「SMI」エージェントとして世界トップレベルのセールスを続ける穂苅氏【写真:ENCOUNT編集部】
現在は「SMI」エージェントとして世界トップレベルのセールスを続ける穂苅氏【写真:ENCOUNT編集部】

ネットワークビジネスで失敗、新事業では月収1300万円もすぐさま自転車操業に

 大家族といえば、いつの時代も注目されるのは家計を陰で支える母の節約術だが、大黒柱の父が社長として食いぶちを稼ぎ、その“爆買い”が度々話題となる一家がいる。リバイバルビジョン株式会社代表取締役にして、4男4女を育てる“名古屋のビッグダディ”こと穂苅万博氏に、幸せな家庭を築くまでの波瀾万丈の半生を聞いた。(取材・文=佐藤佑輔)

 北海道出身の穂苅氏が、高校を中退し初めて上京したのは17歳のとき。時代はバブル真っただ中、10代にして電気工事の仕事で年収600万円を稼ぐと、20歳からはネットワークビジネスの世界へと足を踏み込んだ。

「尾崎豊や長渕剛世代で、大人に歯向かって東京にいくのがかっこいいんだと憧れがあった。『北の国から』の純が設定上同い年で、シリーズ続編で北海道から東京へ行く純の姿を見て、そこに自分を投影していた部分もあったかな。電気工事士として3年働いて独立したころ、ネットワークビジネスで月収何百万も稼げるという話があって、とにかくビッグになりたくて飛び込んだんです」

 販売員として契約した先は、後にマルチ商法が社会問題化し、社長以下経営陣が逮捕された大手企業。そこでさまざまな商品を売り、最高月収は130万円に達したが、当時は悪いことをしているという認識はみじんもなかったという。

「ありとあらゆる商品がそろっていて、ポイントがついてお得。むしろ卸売業者の中間マージンを省く社会貢献だとすら思っていた。段々雲行きが怪しくなってきたころには、自分の下に2000人規模の販売組織ができていて……。上層部が捕まってようやく目が覚めて、罪悪感から親に借金して顧客への返済に明け暮れました」

 誰かの片棒を担いでいたら自分が加害者になることもあり得るという苦い経験から、24歳で成長期だった携帯電話の販売代理店を立ち上げ。当時はNTTドコモ、au前身の日本移動通信、ソフトバンク前身のデジタルホンなどが価格競争による覇権争いを繰り広げる時代で、立ち上げ当初こそ月収1300万円に達した契約報酬はあっという間に下落し、すぐさま自転車操業を強いられた。

「通信料金が月10万円という時代。とにかく金をばら撒いて、どこがシェアを握るかで必死だった。最初は契約1件で8万円あった報酬が、翌月には1万円、そのうち1000円まで下がっていった。それでも、オフィスを構えて会社を経営しているという承認欲求から逃れられなくてね。固定費で赤字はどんどん膨らむのに、なかなか会社を畳む決断ができなかった」

自死を企てるも直前で命拾い、昼夜を問わず働いて3年で2300万円を返済

 闇金やサラ金にも手を出し、連日借金取りの恐怖に怯える日々。そのころ妻・かおりさんと間には長男の博人さんがいたが、追い詰められた穂苅氏は度々自死を企てるまでに憔悴(しょうすい)していた。

「神楽坂の事務所に連れていかれて、夕方までに何が何でも200万円工面してこいと言われて、どうやって銀行を襲うか、それともお金を持ってそうな人を脅そうかとか、もうそんな思考回路。独立した仲間に頭を下げたけど門前払いで、そのまま当てつけにそのビルから飛び降りてやろうと非常階段でタバコを吸ってたら、以前お世話になった社長からたまたま電話があって、そのときは何とかお金を用意してもらえることになった。

 2回目は岡崎の自宅で、女房は長男を連れて実家に帰っちゃってて、借金取りが怖くて電気もつけず真っ暗な部屋にいたとき。もう何にもなくなっちゃったと、マンションの5階の部屋から飛ぼうとしたら、虫の知らせというのかな、急に女房が帰ってきてね。3回目は名古屋駅のホームから電車に飛び込もうとしたとき、急に田舎の親から『変なこと考えるなよ』と電話がかかってきて……。

 偶然3回も命拾いしたら、何か目には見えない大きな力を感じて、途端に怖くなっちゃってね。自分は生かされているんだ、一度死んだと思えばどうとでもなると、それでようやく吹っ切れることができた」

 裁判の末、会社は実質的に倒産。6000万円あった借金の大部分は免責となり、2300万円の個人負債が残った。一時は離婚したかおりさんとも復縁。26歳の穂苅氏は営業仕事と夜間のコンビニバイト、かおりさんは競輪場のアルバイトとスナックを掛け持ちし、昼夜を問わず働いて約3年で全額を完済した。

 このころに出会ったのが、米国発の能力開発プログラム「SMI(サクセスモティベーションインターナショナルリミテッド)」。自身が何度も目標を達成してきた経験から、SMIプログラムの国内販売代行を始めるも、最初はなかなか思うように売れなかったという。そうするうちにトヨタ自動車の新事業部から高待遇で声がかかり、一からIT事業に従事。世界のトヨタの「KAIZEN(改善)」メソッドを間近に見て、あらためてSMIの可能性を感じたという。

「トヨタはひたすら業務改善をやり続けることで生産性を上げて世界一になりましたが、考え方の習慣を変えて改善マインドを育てる、まさにそれこそがSMIの本質なんです。トヨタに残ろうかとも悩んだんですが、世界のトヨタもできていないことがSMIならできるかもしれないとモティベーターとしての道を選びました」

 2003年、32歳で2年余り勤めたトヨタを離れてSMIの国内エージェントに就任。都合22回の転職の末にたどり着いた天職では、長きにわたって世界トップレベルのセールスを続けている。トヨタで同じ部署だった仲間は現在世界を舞台に活躍しているが、今でも交流が絶えないという。

 私生活では妻・かおりさんとの間に4男4女と8人の子宝に恵まれた穂苅氏。どん底の時代を支えてくれた妻への感謝の思いとともに、この先も一家の大黒柱として走り続けるつもりだ。

□穂苅万博(ほかり・かずひろ) 1970年8月3日、北海道出身。高校中退後、18歳で上京、電気工事士を経て20歳でネットワークビジネスの販売員を始める。24歳のとき携帯電話の販売代理店を起業するも、経営不振により2年あまりで廃業。その後営業職などを経て、32歳で能力開発プログラム「SMI」の国内エージェントに就任。以来世界トップレベルのセールスを続ける。私生活では4男4女を育てる10人家族の父。

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