GS世代に懐かしいポール岡田の挑戦 46年ぶり新曲、75歳で大切にする「2年刻み」

1969年5月から解散時の9月まで、グループサウンズ(GS)の有名バンドのひとつ「ザ・カーナビーツ」の2代目ボーカルを務めたミュージシャンのポール岡田が今年8月、75歳にしてシングル「マツコと踊りたい」と「裸のディナー」をリリースした。新曲シングル盤としては、76年にポール岡田が寺門ユキさんと結成した男女デュオ「パイシス」に荒井由実が書き下した楽曲「恋人と来ないで」以来、46年ぶりのリリースとなる。

若い世代の反応が気になると言うポール岡田
若い世代の反応が気になると言うポール岡田

荒井由実が書き下した76年「恋人と来ないで」以来のニューシングル発売

 1969年5月から解散時の9月まで、グループサウンズ(GS)の有名バンドのひとつ「ザ・カーナビーツ」の2代目ボーカルを務めたミュージシャンのポール岡田が今年8月、75歳にしてシングル「マツコと踊りたい」と「裸のディナー」をリリースした。新曲シングル盤としては、76年にポール岡田が寺門ユキさんと結成した男女デュオ「パイシス」に荒井由実が書き下した楽曲「恋人と来ないで」以来、46年ぶりのリリースとなる。(取材・文=中野由喜)

 69年12月から70年2月まで渋谷・東横劇場で上演された日本初のロック・ミュージカル「ヘアー」に出演した経歴を持ち、70年代後半から、1度は歌うことをやめ、広告業界で、CM企画制作プロデューサーとしての道を歩み、CM音楽の企画プロデューサーとしても、サーカスの「Mr.サマータイム」、山下久美子「赤道小町ドキッ」、Y.M.O.「君に、胸キュン。」など数多くのヒット曲を世に出し、当時の広告業界の音楽部門にも足跡を刻した。同世代のミュージシャンが引退を口にする中、なぜ今、動き始めたのか。

「46年ぶりにこういう機会を頂いて、もちろんラッキーだと思いますし、誇りにも思います。もちろん成功することは難しいことだと思いますが、少しでも夢を感じる限り、やりますとしか言えないですよね」

 70代半ばとなると引退する人もいる。

「僕は、どちらかというとロック系の音が好きですから、ボディー・アクション表現の重要さも意識しています。だから、メンタルだけでなく体力面でも、自分の中で『大丈夫』と思っています。毎日ではないですが走っています」

 新曲を誰に聴いてほしいかとたずねると語気を強めて語った。

「75歳だから聴いてくれる人が同世代中心になるとは、思いたくないんですね。逆にすごく若い人たちに、どう感じてもらえるかに興味があります。とても難しいことだと思いますが、自分のパフォーマンスが、若い世代のアンテナにどう響いていくのか。挑戦です。多分、令和を生きる若者世代は『グループサウンズ』という言葉も、一部の昭和マニア以外は聞いたこともないでしょう。彼らが僕のパフォーマンスを、どのように評価してくれるのか興味があります」

 同世代のアーティストをも勇気づけ、刺激になるのではないだろうか。

「75歳からロック系のレコード業界で再スタートして結果を残すのは、とてつもなく大変なことです。若い時代から継続して活動している海外のトップアーティストなどは別にして、この世代で、これから音楽活動を継続させることも難しい。そして無謀な挑戦というのも分かっています。でも、10代から始めたROCK MUSIC。そして、離れ、還暦過ぎて、音楽再活動に向かいます」

 75歳のミュージシャンの糧は何だろう。

「今でも、新しいものにそれなりのアンテナを張っています。感覚的なものですがファッションから食生活まで、いろんな情報を自分の中にインプットする努力をしています。もちろんまねしようということではないですが、ただ、自分に採り入れたら面白いと思うものがあれば採り入れたいと思います」

 なぜ、そこまで前向きにストイックでいられるのか。

「ひょっとすると音楽活動を続けるのはこの先、2年がめどかもしれない。この2年をすごく大切に生きて行こうと思っています。そうやって2年刻みで自分にラインを引いているんです。2年先までは今と同じ動きができるようにやるべきことをやる。若い頃は先のことを考えることはありませんでした。今は一日、一瞬間を大切にしたい」

 ロックはポール岡田にとっては何か。

「前に進めてくれるエナジーです」

 1度、音楽をやめて広告会社に入ったが、また歌い始めた。どういう事情があったのか。また近況も気になる。

「広告会社から独立して、関連の企画制作会社を設立。2009年に初の自著『HAIR1969 輝きの瞬間』(飛鳥新社)の執筆などにも挑戦しました。そんな時に、ライブに出てみないかと声がかかり、徐々に『やれるかも』と思うように。還暦を過ぎてからです。現在、ポール岡田をメインにしている音楽ユニットは3パターン。アコーステックギターのデュオ、セミアーステックのトリオ、バンド・スタイル(6人)、今回のソロは4パターン目です」

 50代から体形や体重は変わっていないという。アルコールは一滴も飲まず、タバコも約20年前にやめている。人生100年時代にストイックな75歳のアーティストが新たな挑戦を始めた。どんなパフォーマンスを見せてくれるか注目したい。

□ポール岡田 1947年8月13日、滋賀県生まれ。69年5月にGSのバンドのザ・カーナビーツに2代目ボーカルとして加入。だがGSブームの下降もあってグループは加入後5か月で解散。69年から70年にかけて日本初のロック・ミュージカル「ヘアー」に出演。その後、ソロ・デューしたり、小林亜星さんの誘いで数多くのCMソングを歌唱。76年には、男女デュオ「パイシス」を結成し、荒井由実さん書き下ろし作品「恋人と来ないで」を歌唱。その後、音楽活動をやめ、広告企画制作会社に入社。CM企画プロデューサーとして化粧品キャンペーンのCM音楽のプロデュースも手掛け、多くのヒット曲を生み出すキッカケを作った。2010年から音楽ライブを再開。

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