Mr.マリックの娘・LUNA、素行不良で中学校を強制退学 苦しんだ過去と人生の転機

Mr.マリックの娘でありラッパーとして活躍するLUNA。フジテレビ系「千鳥のクセがスゴいネタGP」ではラップと父のマジックを融合させたネタを披露し、放送後にはさまざまな反響が寄せられている。テレビにて親子共演を果たしているLUNAが「Mr.マリックの娘」としてではなく、歩んできた人生の転機について話を聞いた。

人生の紆余曲折を語ったLUNA【写真:ENCOUNT編集部】
人生の紆余曲折を語ったLUNA【写真:ENCOUNT編集部】

私立の中学は強制退学、公立校ではたらい回しに

 Mr.マリックの娘でありラッパーとして活躍するLUNA。フジテレビ系「千鳥のクセがスゴいネタGP」ではラップと父のマジックを融合させたネタを披露し、放送後にはさまざまな反響が寄せられている。テレビにて親子共演を果たしているLUNAが「Mr.マリックの娘」としてではなく、歩んできた人生の転機について話を聞いた。(取材・文=島田将斗)

“2世”って言われてもいいかな――。学校にも行かなかったやんちゃ少女が挑戦した音楽留学。それは今も大きな支えになっていた。

 自身の子ども時代について「ひどいもん」だと口にする。小学生から教室は父・Mr.マリックの話題で持ちきりに。そのせいもあってか段々と周りに対しても壁を作ってしまった。

 私立の中学に進学するも素行の悪さが理由で強制退学。その後に通う公立校でも「うちにも悪い子いるんで」とたらい回しにされた。気持ちが落ち着くのは夜中の渋谷。法に触れないような“やんちゃ”はしてきた。ようやく転入した学校にも約3か月間ほど行かずに卒業証書だけを取りにいった。

「公園、友だちの家で、とにかく溜まる。日中は学校に行かずにそういうことをしてた。学校行くのがとにかく嫌い。特に先生が嫌いだった。『こいつらなんでこんなにマウント取ってくるの?』みたいな」

 当時の状況を父であるMr.マリックは知らなかった。「パパは何も知らないですね。ママはもう言っても仕方ないという感じになっていたので。ただ暴走族とかそういうのには行かなかったんですよね。そこも縛られるのが嫌なのかな。周りはチームに入っていたけれどそういうのはしなかった」と振り返る。

 道を踏み外さなかった理由は「お父さんが『マリックさん』っていうのもちょっと考えていたのかもしれない」とうなずいた。

 何か理由があってラッパーにたどり着いたわけではない。好きなことが仕事になったという感じだ。

「中学のときからイベントとかパーティーをやっていました。そのときに卒業パーティーでも歌ったり、時代的に高校生からクラブに行けてた時代だった。そういうので自然と。なろうというよりは好きなことをしていってたどり着いた」

 気づいたらラッパー。しかし、アーティストとして自分を認めるのにはまだ早かった。Mr.マリックが父であることを隠していたLUNAには覚悟と自信が必要だった。

「18歳のころ、2世とかがすごい騒がれていたから、またこんな風に言われるのは嫌だなぁって。クラブで歌ってはいたんですが、『アーティストになった』と本格的に思えるまでは時間がかかりました」

一念発起の渡米、本物のやんちゃを知る

 転機が訪れる。やんちゃばかりしていたLUNAに業を煮やした父親に言われた「とにかく夢を見つけろ」。音楽がしたいと告げるとニューヨーク行きの片道チケットを渡されたという。

「自分の好きなアーティストさんがアポロシアターに出ていて、行くならココだとは決めていました。知り合いの宿泊をやっている人がいて、そこは結構ゴスペルのボイストレーニングとかの紹介をしてくれて、イチから音楽を学んでいく生活です」

 3か月という短い時間だったが刺激だけでなく、今後の人生を左右する大きな一歩。学校にあまり行っていなかったLUNAにとっては何かを学ぶ初めての経験だった。

「ニューヨークに行ったらもっとやんちゃがいるし、もっとやばい人いる。日本では見ないような光景しかないからカルチャーショック。でも、みんなポジティブなんですよね」

 渡米して最初に連れていかれたのはとある教会だった。

「『やんちゃをしたらいつかはこうなるよ』って。1番最初に行った教会がドラッグとかで何もできなくなってしまった人が入る教会でした。よだれが垂れているお母さんが震えていて、その方の子どもたちもいる。その子たちがお母さんにご飯をあげるんだけれども、子どもは何も知らない。そういう人がいるなかでゴスペルの歌で回復させていく。病気ではないから心の改善からということで、結構ショックを受けました」

 それからは目まぐるしく毎日が過ぎていく。目指したのは「アポロシアター」。マイケル・ジャクソン、スティーヴィー・ワンダーがかつて出演、全米が注目する「アマチュアナイト」へ出場し、名を上げることだった。

 教会のゴスペル隊に所属し、音楽を鍛える。キリスト教徒に言われた言葉が現在も忘れられないという。

「『なんであなたゴスペルやってるの? あなたは仏教でしょ』って。そのときの討論ができなかったのが1番悔しい。向こうだって遊び半分じゃない。そこをもっと勉強しておけば良かったと思いました。どの宗教でもやっても良いんだけれど、ゴスペルって賛美歌みたいなイメージだから……。ちゃんと答えられないっていうのがつらかった」

 ある意味、この経験が良い薬になった。「日本ではそういう会話って意外にない。そこからゴスペルがなぜ生まれたのか、ブラックミュージックをやるにあたっての歴史を勉強しました。ただただヒップホップが好き、ブラックミュージックが好きってだけじゃ世界の人と会話ができない。それも学んだかな」と遠くを見つめた。

「“2世”って言われてもいいかな」と語ったLUNA【写真:ENCOUNT編集部】
「“2世”って言われてもいいかな」と語ったLUNA【写真:ENCOUNT編集部】

夢のアポロシアターの舞台で待っていたモノ

 夢のアポロシアターの舞台にも立った。1934年に始まった人気イベント「アマチュアナイト」にも参戦。プロへの登竜門とも呼ばれ、スティーヴィー・ワンダー、ジャクソン5、ローリン・ヒルなど多くのスターを輩出した歴史的なショーだ。

 審査員はその場の観客。拍手の大きさによって優勝者が決められる。その一方でパフォーマンスが良くないとブーイング。その声が大きくなるとシアターのキャラクターにほうきで舞台上から掃き出され強制退場となってしまう。アメリカらしい分かりやすい評価方法だ。

 LUNAは300人ほどいるオーディションを勝ち抜き、舞台へ。それだけでなく全米各地から猛者が集まる中、月間4位の好成績をおさめた。「プロの人もいれば、子どももいる。年齢も人種もとにかく何も関係ないんですよ。だからスキルよりも気持ちで伝えていかないといけなかった。英語も発音が甘いなってあるけれど、そんなの関係なかった」と振り返る。

 12歳以下、ゴスペル、ゲスト出演の場合はブーイングはなし。恥ずかしい思いをしないですむ手もあったが、LUNAは真っ向からアメリカに挑んだ。

「全米各地から観光バスとかで応援に来るんです。それをどう盛り上げていくかだから超アウェー。一瞬で出て、ちょっとでもひるんだら速攻ブーイングだから。それに負けないように行くというのがすごい光景ですね」

 もちろん緊張はした。「LUNAって出して英語がネイティブじゃないとかそれだけで落ちそうって周囲に言ってたんだけれど、『大丈夫! そこじゃないから、絶対ひるむな。ステージの1番前まで行って歌え』ってアドバイスされました。そういうちょっとしたことが勇気になりましたね」と口調に熱が帯びた。

 努力も実り月間4位にランクイン。しかし、その次の開催ではブーイングを受けた。

「速攻トイレ行ったよね(笑)。そしたらプロの人が『大丈夫、ローリン・ヒルもブーイング食らってるから』って励ましてくれて。シアターにはいっぱいサインが飾ってあって、マイケルジャクソンからジェームズ・ディーンとかね。みんなここ通ってきてんだよね。もう1回頑張ろうって。ブーイングも拍手もどっちも経験できたのが良かった」

 短くも濃厚な米国修行は終わった。帰国するとレコーディング、1枚の作品作りをスタートさせた。

「20歳になる直前は凝縮した1年間だった。結構自分の中で自信もついたし、“2世”って言われてもいいかなって」

 やんちゃ少女がアーティストへ、やりたかった音楽が生きた軌跡になる。「Mr.マリックの娘」ではなく、LUNAとして人生を歩む。アメリカ留学は大きな財産だった。

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