日本人と日本文化を愛したC・W・ニコルさん、東京五輪で聖火ランナー務めるはずだった
環境保護活動家で作家のC・W・ニコルさんが3日、長野市内の病院で死去。79歳。東京五輪では聖火ランナーを務める予定だったが、かなわなかった。
病に苦しみながらも感謝の言葉を語っていた
環境保護活動家で作家のC・W・ニコルさんが3日、長野市内の病院で死去。79歳。東京五輪では聖火ランナーを務める予定だったが、かなわなかった。
ニコルさんは英国・ウェールズ生まれ。17歳でカナダに渡り、海洋哺乳類の調査研究や野生動物の保護に取り組んでいた。1962年、空手の修行で初来日。69年に再来日し、日本大学で水産学を学んだ。
78年に来日した際は日本の捕鯨に興味をもち、捕鯨基地だった和歌山・太地町に滞在。その経験をもとに87年、青春冒険小説「勇魚」を出版。「勇魚」はベストセラーになった。
80年からは長野・信濃町の黒姫山麓に居を定め、ファンタジー小説「風を見た少年」などを執筆。作家として活動すると同時に、86年には荒れた里山を購入。故郷の再生した森の名にちなんで「アファンの森」と名付け、山林の整備、除草などを実施し、森の生態系の再生活動、調査研究に取り組んだ。自然と日本人、日本文化を愛し、95年には日本国籍を取得。晩年までテレビ出演や講演会を行い、森づくりの必要性を訴えていた。
2016年、直腸がんを発症。東京都内の病院で手術を受けた後、活動に復帰したが、最後は直腸がんで倒れた。自身が病に苦しみながらも、病院に勤務する医師、看護士、スタッフらに感謝の言葉を語っていた。
ニコルさんは亡くなる前日の2日には、東京五輪聖火リレーで長野市内を聖火ランナーとして走る予定だった。東京五輪は延期されたが、ニコルさんの走る姿を見ることはできなくなってしまった。