「燃える闘魂」アントニオ猪木さんは永遠なり 思い出は尽きず追悼の声が続く
10月1日に亡くなったアントニオ猪木さん。宗派にもよるが、多くは亡くなった日を一日目と数えるので、今日7日が初七日にあたる。
毎週金曜日午後8時更新 柴田惣一のプロレスワンダーランド【連載vol.114】
10月1日に亡くなったアントニオ猪木さん。宗派にもよるが、多くは亡くなった日を一日目と数えるので、今日7日が初七日にあたる。
「毎週金曜午後8時更新 プロレスワンダーランド」という本コラム。かつて金曜8時の新日本プロレス中継「ワールドプロレスリング」に、猪木さんがいた。闘いのワンダーランドの中心に猪木さん。そう思うだけで泣けて来る。「猪木ショック」は収まらない。
猪木さんのまな弟子たちも悲痛な思いを明かしている。弔問した木戸修さんは、新日本プロレスの旗揚げにも参加。長らく猪木と行動を共にし、確かなテクニックを持つ、ストロングスタイルの継承者の一人でもある。
「猪木さんは、すべてにおいてスケールの違う特別な人だった。思い出は尽きない。みんな、いくつになっても猪木さんの前に出ると直立不動になってしまう。安らかなお顔だったが、亡くなったなんて自分はまだ信じられない。今にも起き出して『元気ですかー!』というような気がして。だけど猪木さんは小さくなられていた。残念だけど、いつかこの時は来る。ゆっくり休んで下さい」とコメント。寡黙な木戸さんだが、師匠の猪木さんへの思いは熱い。
まな弟子はもちろん、猪木さんに人生を狂わされた、いや、導かれた人は多い。テーマ曲「炎のファイター」を繰り返し聞き涙する者、嘆き悲しみガックリ落ち込んでしまった者……あるいは涙を隠し、猪木さんのおかげでプロレスが好きになった、生きがいができた、数々の名勝負をありがとうと感謝の念で一杯の者。改めてその偉大さをかみしめている。
猪木さんは今ごろ、どこにいるのだろう。三途の川は渡っただろうか。2007年に亡くなった師「プロレスの神様」カール・ゴッチさんのお墓を日本に建立した猪木さん。没後10年の17年の命日に、東京・南千住の回向院で行われた納骨式の際、弔辞を読んだが冒頭は何と「元気ですかー!」だった。
「元気ですかー! と言っても、もう10年前に亡くなっている訳でね……」と続けたが、厳粛な法事の場ではあったが、一瞬で空気が和んだのをハッキリ覚えている。それは決して不謹慎ではなく、緊張で張りつめた雰囲気をやわらげたのだ。猪木さんにしかできないことだった。
きっと三途の川の鬼たちにも「元気ですかー!」と明るく語りかけているだろう。
「元気ですかー! 元気があれば何でもできる!」は単純明快な言葉だが、実は奥が深い。
元気とは身体の健康だけではなく、心の持ち方でもある。心身ともに元気が一番。当たり前のように思えたが、年を重ねるごとに身を持って実感するようになった。
また、常識を超えたアイデアマンであり、スケールの大きな人だった。
昭和50年代に「そのうちコンピュータで世界中と話ができるようになる」と口にしていた。携帯、スマホどころか、パソコンも普及していない時代。電子メールという概念もなかった。当時は、一体何を言っているのかわからなかったが、今こうしてネット記事を書いている。何とも感慨深いものがある。
猪木さんは先見の明があったというか、先取りしすぎたのだろうか。
販売を手がけたタバスコもマテ茶も、ひまわりナッツも早すぎたのかも知れない。激辛ブームは後年だし、健康ブームもかなり後になってからだ。
「うーん。時代が俺について来られないのかもな。フフッ」と笑っていた。
ゴッチさんの納骨式後、精進落としの席で「悲しんでばかりではいられない。あなたが残したものを我々がしっかりと引き継いで行く」という趣旨のあいさつをしたが、今まさに、弟子たちが、後輩のレスラーたちがそう思っているはず。
団体は違えども、偉大なレジェンドである猪木さんを知らないレスラーはいない。
ファイトスタイルはさまざまだが、その心の中にはファイティングスピリット、つまりは「闘魂」がある。
団体も増え、レスラーも多くなったが、リング上は闘いだ。それぞれの闘魂を燃やしてほしい。
きっと猪木さんは遠い空から星の窓を開けて、プロレスラー、ファン、プロレス界を見守っている。