原田龍二が“裸俳優”になったワケ 南米の先住民や温泉番組が教えてくれたこと
任侠娯楽映画「虎の流儀~旅の始まりは尾張 東海死闘編~」「虎の流儀~激突! 燃える嵐の関門編~」(辻裕之監督)が9月30日から東京・池袋HUMAXシネマズほかで連続公開されている原田龍二(51)は裸俳優として再ブレーク中だ。ドラマ、映画、旅番組、YouTubeと幅広く活動する原田があえて裸をさらす理由とは?
ドラマ、映画、旅番組、YouTubeと幅広く活動 裸をさらす理由とは
任侠娯楽映画「虎の流儀~旅の始まりは尾張 東海死闘編~」「虎の流儀~激突! 燃える嵐の関門編~」(辻裕之監督)が9月30日から東京・池袋HUMAXシネマズほかで連続公開されている原田龍二(51)は裸俳優として再ブレーク中だ。ドラマ、映画、旅番組、YouTubeと幅広く活動する原田があえて裸をさらす理由とは?(取材・文=平辻哲也)
2019年の大みそか放送の「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!」(日本テレビ系)で見せた意外すぎる裸芸で新境地を開いた原田。
「潔くやりましたけど、裸芸って聞いて、皆さんが頭に思い浮かべるのは、『ガキ使』のアキラ100%だと思うんです。でも、なぜ、その仕事が僕に来たかというと、旅番組で温泉に入るときに、何のてらいもなく裸になっている姿が番組の制作の方の頭にあったと思うんですね」
温泉は原田にたくさんのことを教えてくれた。
「温泉を好きになる、温泉を味わうためには、バスタオルを巻いている場合じゃないと思うんです。バスタオルを巻くっていうのは、撮影向きのことじゃないですか。これも、温泉から学んだことですが、裸で風呂に入っていると、その人が社長さんであるとか、偉くないとかは関係ないじゃないですか。そういう風にフラットに見ることが大事だと思うんです」
最近のキーワードは「人間」。原田が運営するYouTubeチャンネルも「原田龍二の『ニンゲンTV』」(登録者数17.5万人)と題している。「僕は当然、役者でもあるんですけど、その前に人間だと言っているんですよね」。
職業=人間・原田龍二だからこそ、俳優業にこだわらない。
「いろんなことをやることで、俳優としての演技の幅も広がるし、肥やしにもなるのなら、その方がいい。旅番組の旅人としての取り組みも、人間的な魅力にもっているし、全てが栄養になっている気がします。結局、裸芸も、スキャンダルも含めて、いろんなことをやった方が自分のためになるんじゃないかな。だから、裸になるのは、僕にとっては当たり前のことをしただけなんです」
原点は20代の頃に出演した「世界ウルルン滞在記」 先住民のヤノマミ族に出会う
その原点は20代の頃に出演した「世界ウルルン滞在記」。世界の秘境を旅する中、南米の密林で裸のような姿で生活する先住民のヤノマミ族に出会った。
「彼らは言葉の通じない人たちなんですね。そういう人たちと交流するには、物理的に裸になるというより、心を裸にしないとダメだと思ったんです。自分は俳優だから、こんなことを言っちゃダメだよなとか、イメージが崩れるなとかは考えなくなって、この人たちと心を通じ合うためにはどうするかを考えていったんです。そうすることで、俳優という肩書きがどんどんなくなっていき、自分を開放することができたんです」
裸の状態でいること。これが「いつも役作りをしない」ことにもつながっている。
「先入観はいらないと思うんです。こうしなければ、いけないっていうところで既に縛られてしまっている。それを形作っているのが監督や演出家だとしたら、そこに身を委ねる必要があると思うんです。なので、僕から監督に提案したり、衣装に口を出すことはほとんどないです。つまり、専門の人がいるわけだから、その人が用意してくれたものの中で話し合って選ぶべきだと思っているんです」
大事にしているのは今という時間。その中で人間・原田龍二として、やるべきことをやる。それが活動の幅を広げている。
「俳優から飛び出てしまった方が、自分が楽しめるんです。もちろん、俳優は俳優で楽しい世界がありますし、バラエティーはバラエティーで、専門にやっている人たちとの勝負もできる。僕はどんな仕事でもやっていきたい、と思っています」。俳優という枠を取り払った原田がどんな世界を見せてくれるのか今後も注目だ。
□原田龍二(はらだ・りゅうじ)1970年10月26日、東京都出身。第3回「ジュノン・スーパーボーイ・コンテスト」準グランプリを受賞後、俳優デビュー。以降数々のドラマ、映画、CMなどで幅広く活躍。映画「日本一短い『母』への手紙」では、日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞。ドラマ「水戸黄門」の5代目“助さん“としても人気を集めた。2021年からはTOKYO MXの人気番組「バラいろダンディ」に金曜日MCとして出演中。また、YouTubeチャンネル原田龍二の「ニンゲンTV」も好評を博し、22年6月には小説家デビューも果たした。