名コンビへの成長過程で若きパートナーが引退 47歳「孤高のG-SHOCK BODY」星野勘九郎の苦悩
「しばらく時間が欲しい」と“孤高のG-SHOCK BODY”星野勘九郎が頭を抱え込んでいる。
毎週金曜日午後8時更新 柴田惣一のプロレスワンダーランド【連載vol.112】
「しばらく時間が欲しい」と“孤高のG-SHOCK BODY”星野勘九郎が頭を抱え込んでいる。
2021年に結成したチーム「G-SHOCK1010(セントーン)」の盟友・兵頭彰が9月末をもって引退を表明。会見に臨んだ兵頭に、星野は「正直さみしい。社会は大日本プロレスよりも厳しいかも知れないが、頑丈な心と体で頑張ってほしい」とエールを送りながらも、複雑な表情を隠せなかった。
兵頭はキャリア5年目の27歳。ストロングBJからデスマッチに参入。日々、傷を増やしながらも実直に闘ってきた。頑丈な体を持つ兵頭。星野との特訓は名物となっていた。
リングを下りれば、料理が得意で大日本戦士の胃袋を満足させて来た。コロナ禍で時間ができたときに始めた料理が面白くなり、ハマったという。「無限ともいえるたくさんの種類の素材があり、手を加えることによって、いろいろな味や形に変わる。プロレスも同じ」とにっこり。
研究を重ね、レパートリーも増えたが「一番の得意料理は麻婆豆腐」。麻婆豆腐は簡単そうに見えて実は奥が深い。プロ並みの腕前で、その容貌が少し似ていることから「クッキングパパ」とも言われた。
大きな荷物を持っていた女性ファンを手助けするなど、優しい好青年の兵頭。熟女ファンが「死んだ亭主の若い頃みたい」と漏らすと、ちょっと恥ずかしそうに、でも穏やかにほほ笑んだ横顔が忘れられない。
47歳の星野にしてみれば兵頭は息子世代。「俺が期待しすぎていたのが、プレッシャーになってしまったのかな」と反省しきり。突然のこととはいえ、そこはパートナー。「何か悩んでいるということは、分かっていた」と、またまた表情が曇ってしまった。
兵頭はプロレス界とは離れ、一般社会に飛び出していく。「前回のときとは、違う」とポツリ。前回とは「平成極道コンビ」の解散である。
12年にスタートした稲葉雅人とのコンビは、グレート小鹿、大熊元司の「元祖・極道コンビ」を思い起こさせるコスチュームとパフォーマンスで人気を集めた。徐々にメンバーも増え極道ファミリーと呼ばれるまでになっていた。大日本プロレスでも一大勢力にのし上がったが「沖縄で頑張りたい」という稲葉の意向もあって、17年の年頭に解散した。
「あの時は稲葉ともよく話し合った。俺も納得しての結論だった。しかも、稲葉はプロレスを続けている」と振り返る。実際に、20年3月には限定的とはいえ、コンビを復活させている。
今回の兵頭とは事情が違うというわけだ。「俺はG-SHOCK1010にかけていた。俺の考えをすべて分かってくれていたと思っていたが、兵頭には兵頭のやりたいプロレスがあったのかも」と、星野らしくない言葉が続いた。
「22年のレスラー人生でも大きい、いや最大の出来事」(星野)
現在、開催中の最侠タッグリーグ戦のエントリーを引き延ばしてきた。血液の異常な数値の結果を受けて精密検査を受けていた兵頭の復帰を待っていたのだ。結果は大丈夫だったが、兵頭の気持ちがリングから離れてしまった。
谷口裕一とエントリーしたが「今回はお互い、組む相手がいなかった、ということかな。利害の一致」と歯切れが悪い。どうやらこのままチーム存続ということにはなりそうにない。
「俺、47歳です。今回のことは22年のレスラー人生でも大きい、いや最大の出来事。俺もいろいろと考えてしまう」と不穏なことまで口にする星野。出口の見えない迷路にはまり込んでしまった。「迷い道くねくね」状態だ。
兵頭は、横浜ショッピングストリート6人タッグ王座を保持していたとき、ベルトを大事そうにそっと両手で扱っていた。「ベルトは大切なものなので。先人たちの想いがつまっているから、宝物のように扱わないと」と神妙だった。
大日本プロレスでの経験は、兵頭にとってまさに宝物。いろいろな経験を積み、心も体も強くなっただろう。数えきれない思い出を胸に、新しい世界へ旅立つ。
四角いマットは去るが、新たな人生のリングで頑張ってほしい。星野のことは気がかりだろうが、星野もきっと前へ進むハズ。
「ソクラテスもプラトンも、みんな悩んで大きくなった」という歌があったが、そのソクラテスは「簡単すぎる人生に、生きる価値などない」との格言を残している。
時が過ぎれば「お前も頑張っているかー! 俺も頑張っているぞー!」と、叫ぶ星野の姿がきっと見られるはず。
離れていても、お互いの幸せを願う。そんな2人の絆よ、永遠に。