「私にしかできない役目でした」 STU48矢野帆夏が江田島市広報大使として故郷で“最後のステージ”

瀬戸内7県を拠点とするアイドルグループ「STU48」の1期生で、広島・江田島市初の広報大使を務める矢野帆夏が9月4日、広島・小用みなと公園で開催された「ETAJIMA イマナビフェスタ in みなとオアシスえたじま」に出演。9月23日に卒業を控えるなか、江田島市広報大使として最後となるステージに立った。

「STU48」矢野帆夏は江田島市広報大使として3年間を駆け抜けた【写真:小田智史】
「STU48」矢野帆夏は江田島市広報大使として3年間を駆け抜けた【写真:小田智史】

「ETAJIMA イマナビフェスタ」で楽曲4曲と江田島トークを披露

 瀬戸内7県を拠点とするアイドルグループ「STU48」の1期生で、広島・江田島市初の広報大使を務める矢野帆夏が9月4日、広島・小用みなと公園で開催された「ETAJIMA イマナビフェスタ in みなとオアシスえたじま」に出演。9月23日に卒業を控えるなか、江田島市広報大使として最後となるステージに立った。

 今回のイベントは、江田島市企画部企画振興課・江田島市地域おこし協力隊のプロモーション推進員を務める牛尾奈緒子さんが、「コロナ禍で地域の交流の場がなかったので、江田島に来てもらい、どんな島か体感していただきたい」との思いを込めて企画・発案。広報大使の矢野の出演に関して、「やはり、市に広報大使がいるのといないのとでは、全然違うと思います。3年間、広報大使の仕事に真摯に取り組んでくださって、『矢野帆夏』という名前も江田島市内で浸透していきました。今では応援している島民の方も多いです。快く引き受けてくださって、ステージに立ってくださいました」と感謝の言葉を述べた。

 江田島市の明岳周作市長も駆けつけたスペシャルステージでは、今年1月15日にコロナ禍で無念の中止となった「乗って江田島航路スタンプラリー2021特別乗船イベント第2弾」で披露する予定だった「365日の紙飛行機」(AKB48)を、江田島市企画部企画振興課の小西俊介氏と二胡奏者の海谷真貴子さんのユニット「イソラムジカ」とのコラボで歌唱。さらに、「青春の影」(チューリップ)、「未来へ」(Kiroro)、アンコールで「瀬戸内の声」(STU48)と、矢野自身がセレクトした楽曲を故郷の海をバックに歌った。

スペシャルステージの最後には、花束と江田島市産のオリーブ冠が贈られた【写真:小田智史】
スペシャルステージの最後には、花束と江田島市産のオリーブ冠が贈られた【写真:小田智史】

 2018年11月からラジオ番組『イブニングストリーム』で共演する“戦友”のMC山本修治氏も、司会として緊急参戦し、2人で江田島トークを展開。矢野は江田島の魅力について、「美味しいご飯、綺麗な景色はもちろんですけど、一番は人の温かさが私は大好き。5歳まで住んでいたので、江田島の方々が育ててくださったと思っています」と改めて語った。

 2019年9月30日に就任し、3年間務めてきた江田島市広報大使も、STU48メンバーとしての活動最終日となる9月23日をもって満了。初代広報大使として、熱い思いを注いできた日々を、矢野は「お仕事というよりも、私が江田島に住んでいたり、足を運んだときに感じたことをみなさんに伝えるというか、ここがオススメと言ったときに、ちゃんと行ってくれて、ファンの方が同じような気持ちになってくれるのがうれしかったです。STU48の活動で感じる楽しみとはまた違った関係になれました。ファンの方、STU48、江田島のつながりは、私にしかできないお仕事、役目じゃないのかなって。自分が広報大使の仕事をしているときは、自信を持って、みなさんの前に立てていました。広報大使になれて本当に良かったです」と振り返った。

 最後に、「江田島の方々に感謝しながら、卒業したあともいろんなことを頑張りたいと思います」と誓った矢野。感謝の気持ちを込めて、会場に足を運んだファン・島民に向けて江田島市広報大使の名刺配りとお見送りを行い、広報大使として“最後の仕事”を終えた。

 初代広報大使の矢野を通じてつながった“江田島ファミリー”の絆は、これからも続いていく。

「イブニングストリーム」MCの山本修治氏(右)が司会として登場【写真:小田智史】
「イブニングストリーム」MCの山本修治氏(右)が司会として登場【写真:小田智史】

“戦友”が見た江田島市広報大使・矢野帆夏の印象は?

■山本修治(『イブニングストリーム』MC/ラジオパーソナリティー・ナレーター)

「実は、矢野ちゃんがラジオ以外で歌を歌っている姿は、今まで見たことがなかったんです。絶対に1回は見ておきたいと思っていたので、今回、『ETAJIMA イマナビフェスタ』でいい機会をいただきました。『青春の影』は、高音の魅力を十分に出し切って最高の出来栄えでした。ライブ後、明岳市長も『歌を聴いていて涙が出る』とおっしゃっていました。

 矢野ちゃんのファンの方々と一緒に見れたのもうれしかったです。矢野ちゃんのファンの方々は、ラジオの時と同じ印象。いつも、すごく丁寧にメールのお便りをくださるんですが、矢野ちゃんを中心にした“一つのチーム”だなと感じました。こういう機会がもっと早くあったら、と思いましたね。

 江田島への思いは、矢野ちゃんがラジオの最中にポロっと言ったんです。『自分が生まれた江田島に恩返しがしたい』って。僕も『それは叶えないといけない』と思いました。そこから、30分も経たずに話が動いていった感じなので驚きです(笑)。江田島の方々に愛されて、いい形になったし、本当に良かったと思います。

 矢野ちゃんについて気づいたことですが、記憶力が凄いですね。一度会った人は忘れない。どんな些細な特徴も覚えていて、『髪型が前と違いますね』『カラー変えましたか』とか。ファンの方々も全て覚えているようです。恐るべし矢野ちゃん(笑)。歌詞やリズム、振付もこんな感じで自分のものにしているのでしょうね。アーティストになるべく才能、タレント性を持って生まれたんだなと思います。

 卒業に関しては、いつかこういう日が来るだろうと思っていました。まずは残りのラジオ3回分を全うしよう、それだけです。いや、敢えて言うなら、最後の放送の時にでも、『卒業するのを辞める』と言ったら、おもしろいだろうなと思っています(笑)。もし、そういうことがあっても、僕はいいと考えています。気持ちの変化なんて、誰にだってあるもの(笑)。自分の人生は、自分で自由に決めていいものですから。自分に素直に生きてほしいと思いますし、どんな道に進んでも応援していきたいです」

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