仙女・橋本千紘インタビュー前編 強くなるきっかけを教えてくれた新崎人生の一言
伝説の女子プロレス団体「GAEA JAPAN」(ガイア・ジャパン)が、4月15日に東京・後楽園ホールで「GAEAISM -Decade of quarter century-」の開催を発表。一夜限りの復活を果たす。この日のメインは長与千種の一番弟子である彩羽匠(いろは・たくみ)と、里村明衣子の一番弟子である橋本千紘(はしもと・ちひろ)が対戦する。以前当サイトにて掲載したセンダイガールズプロレスリング(仙女)の里村明衣子選手へのインタビューに続き、今回はメインイベントに出場する橋本千紘選手にインタビュー。前編はGAEA JAPANへの思いとプロレスラーになるきっかけを聞いた。
GAEA JAPANに憧れてレスラーを目指す
伝説の女子プロレス団体「GAEA JAPAN」(ガイア・ジャパン)が、4月15日に東京・後楽園ホールで「GAEAISM -Decade of quarter century-」の開催を発表。一夜限りの復活を果たす。この日のメインは長与千種の一番弟子である彩羽匠(いろは・たくみ)と、里村明衣子の一番弟子である橋本千紘(はしもと・ちひろ)が対戦する。以前当サイトにて掲載したセンダイガールズプロレスリング(仙女)の里村明衣子選手へのインタビューに続き、今回はメインイベントに出場する橋本千紘選手にインタビュー。前編はGAEA JAPANへの思いとプロレスラーになるきっかけを聞いた。
――橋本選手はGAEA JAPANを見てレスラーになろうと決心したそうですね。
「そうなんです。小学生の時にGAORA(CS・ケーブル)で放送されていた『G-PANIC』(GAEA JAPANの番組)を毎週録画をしてました」
――GAEA JAPANで何が最も記憶に残っていますか。
「印象に残っているのは里村さんと浜田文子(はまだ・あやこ)選手のシングルマッチで、女子プロレスを見て初めて“カッコいいな”っていう感情が沸いて、自分も“カッコいいと思う方”じゃなくて“思われる方”になりたい、というのがきっかけですかね。そう思ったのは小学校の高学年の時だったと思います」
――05年に解散になった時は?
「(当時は)12歳ですか。その時の記憶は「GAEAに入りたかったのに無くなっちゃうんだ……」って、凄いショックでした。しばらく経ってプロレスラーになりたいって時に仙女が旗揚げして。だったら自分は里村さんがいる仙女に行こうと思いました」
――仙女旗揚げ前、他団体でレスラーになろうとかいう気持ちはなかったですか。
「ならなかったですね」
――GAEAがあれば、当然行ってましたよね。
「そうですね、行ってたと思います」
――仙女の入門テストを受けた時はどうでしたか。
「とても怖かったです。選手が並んでてその中でやるのにかなり緊張した記憶があるんですけど、全メニューをその時こなせたと思います」
――自信があった?
「自信というか『プロレス界ってどういうものなのか』、という意識もなかったので、『とりあえず出来ればいいのかな』と思いながら自分自身やってました」
――合格になった時の気持ちを覚えていますか。
「覚えてますね。合格と言われてとても嬉しかったです。でも、その後はあまり記憶にないですね」
――合格して当然なところがあった?
「そうですね。自分は合格するものだと思って受けていたんで」