父・蟹江敬三さんを“先輩”と呼ぶ理由 長男・一平が追った背中「こんな息子ですいません」

2014年3月に死去した俳優・蟹江敬三さん(享年69)の長男の俳優・蟹江一平(46)が、4月からテレ東BIZ(経済動画サービス)で視聴者できる「ガイアの夜明け20周年配信企画 あの主人公はいま」でナレーションを務めている。「ガイアの夜明け」の過去の放送内容とともに当時番組に登場した企業人の現在の様子も一緒に紹介する配信コンテンツ。父は生前、地上波のテレビ東京系「ガイアの夜明け」(金曜午後10時)のナレーターを番組開始時から務めていた。亡くなる13日前も入院先から収録現場に駆けつけ、生前、最後の仕事となった。一平に父のライフワークだった番組の関連コンテンツに携わる心境や父への思いを聞いた。すると言葉を交わさずとも分かり合う父子愛を感じた。

父のライフワークの関連コンテンツでナレーターを務める蟹江一平【写真:(C)テレビ東京】
父のライフワークの関連コンテンツでナレーターを務める蟹江一平【写真:(C)テレビ東京】

4月から「ガイアの夜明け20周年配信企画 あの主人公はいま」でナレーション

 2014年3月に死去した俳優・蟹江敬三さん(享年69)の長男の俳優・蟹江一平(46)が、4月からテレ東BIZ(経済動画サービス)で視聴者できる「ガイアの夜明け20周年配信企画 あの主人公はいま」でナレーションを務めている。「ガイアの夜明け」の過去の放送内容とともに当時番組に登場した企業人の現在の様子も一緒に紹介する配信コンテンツ。父は生前、地上波のテレビ東京系「ガイアの夜明け」(金曜午後10時)のナレーターを番組開始時から務めていた。亡くなる13日前も入院先から収録現場に駆けつけ、生前、最後の仕事となった。一平に父のライフワークだった番組の関連コンテンツに携わる心境や父への思いを聞いた。すると言葉を交わさずとも分かり合う父子愛を感じた。(取材・文=中野由喜)

「僕は15年から『未来世紀ジパング』のナレーターを4年半務めましたが、ナレーションは難しく、ちょっと感情を込めようと思うとすぐにディレクターに見抜かれてプレーンにと言われます。やってきた今までの仕事で一番ごまかしがきかない、一番逃げられない、一番誰にも頼れない。芝居は共演者にゆだねたりできますが、この仕事は自分一人。その場で声の調子が悪ければ代えがきかない。手汗をかきながらやっています。この配信版には父と言うより先輩の20年前の声があり、その後、現代のVTRに僕の声が重なっていく。見る人が見れば親子的と思ってくださるかと思います。でも僕としては毎回必死です」

 父と同じナレーションの仕事をする感想を聞くと日頃の興味深い父子関係が見えてきた。

「私たち親子には暗黙の了解で決めていたことがあります。無口な父で、日常会話、仕事の話、芝居の話もほぼしたことがありません。父は典型的な『背中を見てくれ』というタイプ。子どもの頃、僕が夏休みの宿題をせず、あの無口な父が俺も一緒にやるからと言ってくれたことがあります。でも、どう教えていいか分からなかったようでシーンとなって時計の音がカチカチ聞こえるだけ。僕は早く遊びたいから1人で宿題をしました。台本の読み方や、もちろん『ガイアの夜明け』の原稿の読み方も聞いたことがありません。今回、こういう幸運な機会を頂き、敬三先輩はこういう感じだったんだと得るものが多いです」

 暗黙の了解は「教えない」「聞かない」ということのようだが絆を感じる。

「才能のある2世の方もいますが、僕は父の才能を全く継いでいません。自分で泥だらけになりながら会得していくしかない。暗黙の了解で言うと生前、共演を1度もしたことがありません。父は僕を青二才と思っていたのかもしれませんが」

蟹江一平は父・敬三さんを「先輩」と呼ぶ【写真:(C)テレビ東京】
蟹江一平は父・敬三さんを「先輩」と呼ぶ【写真:(C)テレビ東京】

 父同様、一平も共演という言葉を父に向けることはなかった。

「ただ亡くなった時、1回ぐらいはカメラの前で対峙してみたかったとほのかに思いました。親子でなく先輩と後輩として目を合わせてせりふを交わした時に自分の中でどんな感情が渦巻くか。負けたくないと思うのか、負けたと思うのか。そんなことを感じてみたいと思いました。後悔がありました」

 ブースで初めて父の声を聞いた時、意外な状態になったことも明かした。

「十数年前のVTRが流れて、突然、父の声が入ってきました。ああ、こんなトーンで先輩は言葉を語っていたんだと思い、抑揚などを冷静に分析した自分がいました。その後、急に過呼吸になったんです。久々のブースでテンションが上がり、久々に父の声を聞き、いろんな久しぶりが重なった影響かと思います。少し休憩し、自分を取り戻して再び仕事に臨みました。今は大丈夫。あくまでもVTRに登場する企業の方が主役。その方を輝かせないといけない。それがナレーターの役目。私情を抜いてやっています」

 父の声の感想を聞くと、技術を磨き続ける父の闘いを知ったという。

「先輩として足元にも及ばない。すべてにおいて一生、手の届かない人。でも、この仕事をするからにはリスペクトを込めつつも負けを認めてはいけない。父の方が良かったと思われたら終わりですから。父のナレーションを聞くと、普段は独特なノイズがかった印象ですが、『ガイアの夜明け』の声はクリーンなハイトーン。普段ローが強めの声色なのに、ハイを強めにして言葉を鮮明にちゃんとお茶の間に届くようにしていました。丁寧にくっきりと言葉を粒立てていた。すごいのは粒立てながらもテンポが変わらない。普通はくっきり伝えようと思うと言葉をゆっくり置きたくなるもの。父は晩年までテンポが変わらず、年を重ねてもトーンも変えず、磨き続ける闘いをしていたのです」

 父を尊敬しているが、あえて先輩と呼ぶ理由が気になる。

「父は亡くなるまで仕事が途切れることがありませんでした。ずっと第一線。多くの人に仕事を一緒にしたいと言われました。父にとって大切だったのは地位や名声、収入でもなく『やってください』『力を貸してください』と人に頼まれて答えることに生きる価値を置いていたと思います。そんな父を私物化してはいけない。こんな息子ですいませんみたいな感じです」

 最後に山本充プロデューサーに2人の声の魅力を聞いた。

「お父さんの方は力強く、それでいて温かみがある。一平さんは優しく、耳にすっと入ってくる。そのコントラストがいい。声質は違いますが、ともに主人公に寄り添う声だと思います」

 父を亡くした翌年、一平を取材したことがある。悲しみを少しも感じさせず、明るく冗舌だった。当時の心境を聞くと「日常生活も本当に無口な人間が役者という武器を手に入れて役になることで多くの人を感動させてきました。役者だけで家族を養ってきました。一人の男の生き方としてかっこいいと思うから」と悲壮感がなかった理由を説明した。続けて「病気が発覚してから亡くなるまで早かった。いつの間にかいなくなった」とポツリ。父への深い愛を感じた。

□蟹江一平(かにえ・いっぺい) 1976年6月8日、東京生まれ。98年4月に劇団青年座に入団。99年にNHKの連続テレビ小説「すずらん」で俳優デビュー。舞台のほか01年の映画「光の雨」、07年「東京タワー~オカンとボクと、時々、オトン~」、09年「劒岳 点の記」などで活躍。ドラマはNHK「どんど晴れ」「陽だまりの樹」など。

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