「本当に消えたい…」不動産トラブルで絶望の経営者はなぜ“V字回復”できたのか

ビジネスパートナーの予期せぬ過失で人生のどん底をさまようも、その経験を糧に復活を遂げた経営者がいる。飲食店を手がける株式会社Omnibusの新澤聖樹(にいざわ・きよき)代表は初の横丁プロデュースでトラブルに巻き込まれ、人生初の裁判を経験した。一時期は、「病みすぎて消えたかった」と絶望の淵にいたが、その後は6か所の横丁作りにかかわるほどひっぱりだこに。なぜ這い上がれたのだろうか。(取材・文=水沼一夫)

飲食店プロデュースを行うOmnibusの新澤聖樹代表【写真:ENCOUNT編集部】
飲食店プロデュースを行うOmnibusの新澤聖樹代表【写真:ENCOUNT編集部】

横丁オープン直前 突然届いた内容証明にぼう然

 ビジネスパートナーの予期せぬ過失で人生のどん底をさまようも、その経験を糧に復活を遂げた経営者がいる。飲食店を手がける株式会社Omnibusの新澤聖樹(にいざわ・きよき)代表は初の横丁プロデュースでトラブルに巻き込まれ、人生初の裁判を経験した。一時期は、「病みすぎて消えたかった」と絶望の淵にいたが、その後は6か所の横丁作りにかかわるほどひっぱりだこに。なぜ這い上がれたのだろうか。(取材・文=水沼一夫)

 新澤さんに思わぬ逆風が吹いたのは、2017年のことだった。横浜市内に、自ら手がけた初の横丁がいよいよオープンという矢先、建物を持つ大家から一通の内容証明が届いた。それは、新澤さんの不動産契約に不備があり、テナントに「また貸し」しているのではないかという指摘だった。

 横丁には新澤さんが声をかけた9店の飲食店が入っていた。オープンまで2~3日というタイミングで、寝耳に水の展開だった。新澤さんはテナント誘致のため、半年がかりで建物を改修。大家も見に来ていた。「ボロボロだった建物が価値があるものになってから、『出てけ』と言われたような状態でした」

 問題視する点があるならば、これまで何度も話し合うチャンスはあった。何より、また貸しを含む契約についてはすべて不動産屋に相談しており、穴がないよう、すべてを滞りなく進めていたはずだった。

「また貸しがダメなことはなんとなく分かっていたので、どうやったら横丁というのは成り立つんですかって不動産屋に相談をしていたら、『業務委託契約書というのがあるからそれでやればできるんだよ。知らないの?』みたいな感じで言われたので、『いや全く知らないのでその辺はプロがお願いします』ということで進めていたんですけど…」

 しかし、信用していた不動産屋はすぐに態度を変えた。

「やばいと思ったらもう逃げちゃって、引っ込んじゃって連絡がつかなくなりました。今まで味方だったのに」

 新澤さんは孤立無援となり、開店に向けたお祭りムードは吹き飛んだ。今か今かと、オープンを待つ各テナントや従業員に、こんなトラブルを説明できるはずもない。新澤さんは開店を迎えても、誰にも悩みを打ち明けることができずに、大家に手紙を書き続けた。

 いったい、なぜこんなことが起きたのか。考えれば考えるほど、途方に暮れた。

「自分についてきてくれたり、関わる人たちが大勢いる中でどう説明すればいいのか、自分がどう責任を取ればいいのかみたいなときが全てにおいてどん底でしたね。ものすごい悩まされました。もう何をしてても面白くないというか、この問題が解決しない限りは心から笑えない。本当に消えたい、どっかにいなくなりたいと思いました」

 各店舗は何も知らないまま営業を続けていた。大家からはいつストップがかかるか分からない。新澤さんは想像を絶するストレスから、原因不明の頭痛に悩まされ、CTやMRIを受けた。診断の結果、「自律神経だろう」と告げられた。「自分なんかメンタルに強いほうだと思っていた」。出口の見えないトンネルをさまよった。

どん底を乗り越え笑顔が見られた【写真:ENCOUNT編集部】
どん底を乗り越え笑顔が見られた【写真:ENCOUNT編集部】

大勢の人生を狂わせて…“しくじり先生”に差した一筋の光

 ようやく相談相手ができたのは、開店して2年が過ぎたころだ。オープンまでの経緯を知る支援者の1人に、すべてを話した。「実際こうなんですという話を相談しに行ったら、あいつそんなふうに逃げているのか、俺らも一緒にやっていたのにずるいなと言って、味方に付いてくれた。ちょっと話せて、心が楽になった」。テナント全員を集め、事情を説明し、賠償覚悟で不届きをわびた。すると、返ってきたのは予想外の反応だった。

「それを1人で抱えてたのか」「そんなの早く相談してくれればよかったのに」。救われた思いがした。「どうしてくれるんだという思いもあったでしょうけど、体を心配してくれたり、同じ船に乗っているから運命共同体だと言ってくれた。その人たちの言葉に助けられて、そこからは随時動きを発表するようになり、一緒に乗り越えようじゃないですけど、そういう雰囲気になっていきました」

 大家への手紙は2年間、反応がなかったが、和解交渉が進み、全テナントの撤退が決まった。一方で、新澤さんは泣き寝入りしなかった。不動産屋相手に裁判を起こし、過失を認めさせた。裁判は初めての経験だった。

 夢だった初の横丁で手痛い失敗。大勢の人生も狂わせてしまった。しかし、このつまづきが思わぬ形で次につながる。新澤さんに新たな横丁の依頼が届いた。

「しくじり先生みたいなところも含めてお話をいただいて、自分じゃ絶対そんなお話が来ない一等地のお話でした。内装や出店者の誘致、用途変更など契約にあたって注意しなきゃいけない点など、もう学んだことをそこに発散するようにやらせていただいて、施設全体がにぎわいを見せた。自分の株がそこで上がるというか、新澤さんにお任せしたらこんなにいい施設になったと紹介してくれた大元の人も株が上がって、その人からすごい評価していただくことになった」

 その後、18店舗が入る横浜「アソビル」のグルメストリートを手掛けるなど、プロデューサーとしての依頼が次々と舞い込むようになった。仕事は順調で、現在まで6か所の飲食街の形成にかかわっている。

「変な話、最初からうまくいっちゃっていたら、リスクの話とかもできなかったと思いますし、すごいつらかったけどそういう経験があったからこそお話をいただいたんだなっていうところは今はポジティブに切り替えています」と受け止めている。

 横丁の魅力は、「チームプレーの競技をやっている楽しさみたいな感覚がある」と話す新澤さん。

「この経験値を生かして、ワクワクするようなことを1個でも作ったり発信したり、共有したりできる会社にしていきたい」と今後の目標を掲げた。

□新澤聖樹(にいざわ・きよき)1976年6月22日、横浜市戸塚区出身。辻調理師専門学校卒業後、プリンスホテルで中華コックとして勤務。2003年、グループ1号店となる「うまいもんや房’z」をオープン。08年、株式会社Omnibus(オムニバス)設立。飲食店のプロデュースのほか、内外装の企画・施行まで手がける。趣味は草野球、サーフィン、釣り。

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