“伝説の喧嘩師”が語る人助けの歴史が規格外 火の海から生存者救出「体が蒸発するかと」
思春期になると道を外したり、やんちゃしてしまうのはどの時代にもあること。しかし、この男は異色の存在として恐れられた。ターゲットはなんと暴走族。夜な夜な、ボロボロの原付に乗って集団を追いかけ回し、暴走族はその姿を見るだけで逃げ出したという。数々の破天荒エピソードと腕っぷしが語り継がれ、やがて故安倍晋三元首相の護衛役も担当した。ナイフを持った強盗を捕まえたり、火の海に突入して生存者を救出したことも。現在は天満警察署と大阪市の要請で、北新地のパトロールも行うなど、奉仕活動に従事している。孤高の喧嘩師・アンディ南野に聞く「伝説」の真相――。全4回のうち3回目。
体にびしょ濡れのタオル巻いて…「体が蒸発するかと」
思春期になると道を外したり、やんちゃしてしまうのはどの時代にもあること。しかし、この男は異色の存在として恐れられた。ターゲットはなんと暴走族。夜な夜な、ボロボロの原付に乗って集団を追いかけ回し、暴走族はその姿を見るだけで逃げ出したという。数々の破天荒エピソードと腕っぷしが語り継がれ、やがて故安倍晋三元首相の護衛役も担当した。ナイフを持った強盗を捕まえたり、火の海に突入して生存者を救出したことも。現在は天満警察署と大阪市の要請で、北新地のパトロールも行うなど、奉仕活動に従事している。孤高の喧嘩師・アンディ南野に聞く「伝説」の真相――。全4回のうち3回目。(取材・構成=水沼一夫)
2019年、選挙の際に、大阪で安倍元首相の警護を務めました。公式のSPもいましたが、地元の情報に詳しい人を探しているということで、僕に声がかかりました。ジムの格闘家を集めてスーツを着てもらい、僕は安倍さんの選挙カーを中心に、警備員の配置決めなども担当しました。聴衆とは距離を取って柵で近づけないようにしました。
若いときから暴れる側のほうにいた僕が、なぜか今はどちらかといったら街を見守ったり、空気を良くしたりという役割が増えています。なんでこっちの側になったのか、まだ自分でも不思議でしょうがないです。
線路に落ちた女性を助けたり、倒れている方を助けたり、そういうことは昔からありました。女性のときは子どもの帽子が飛んでいったのかな。僕も子どもおるから、すぐポンと飛び降りて。本当は駅員を呼ぶのが手順で、やってはいけなかったかもしれなかったけれど、体が動いていましたね。
18年には地元の大東市で、家の向かいの家が火事になったとき、人を助けたこともあります。長屋が放火で燃えたんですよ。中に2人取り残されて、自分にとっては、生まれたときから知っている近所の兄弟でした。体にびしょびしょにしたバスタオルを巻いて、頭も水で濡らして懐中電灯を持って行ったけど、もうめっちゃ熱かった。熱すぎて、体が蒸発するかと思いました。
火事の煙っていろんなものが蒸発してるんですよ、プラスチック、鉄、木、ナイロン、ビニール……いろんなものが燃えて、塊みたいになって、水蒸気も巻いてる。湯だっている鍋の湯気ってめっちゃ熱いでしょ。あれの10倍ぐらい熱いです。煙をひと吸いすったら、死ぬっすわ。
1人は玄関を入ったところまで降りてきていたから引っ張り出せたけど、もう1人は2階におって、中に入られへん。亡くなってしまいましたね。
あとニュースになったのは、6年ぐらい前ですかね。強盗がコンビニに入って、店員にカッターナイフを出して「金を出せ」と脅したんですよ。男は現金15万5000円を持って、逃げたんですけど、コンビニから出て来たところで僕と鉢合わせた。男を倒して、落としたナイフを蹴り飛ばし、身柄を押さえて現行犯逮捕になりました。SNSには、だいたい3か月に1回ぐらい、「昔こんなんやりました」って投稿しています。
赤字のジムを立て直した手法 10数人→200人急増のワケ
8月28日の格闘技イベント「PEACE」(大阪・176BOX)でへずまりゅうさんと対戦します。試合は去年の7月22日チャクリキ以来ですね。へずまりゅうさんは迷惑系YouTuberって言われてるような、どちらかというと世間をお騒がせする、いけないことをすることが多い方。なので、制裁マッチの様相を呈するやろうなと。世直し、人直しで、今までの彼に正しい精神を注入しようと思っています。
初めは「タイヤファイトでせえへん?」って主宰の(近藤)武士正さんに言われたんですよ。タイヤに片足ずつ突っ込んで、ボクシングルールで足を抜いたり、こけたら負け。面白いルールなんですけど、総合ルールに変更になりましたね。まあいいですよって言うたんですけど、よう考えたら僕、去年引退したけどなと(笑い)まあ、打撃なしのルールで引退試合だったということで、今年は打撃ありのルールでもう1回、引退ということですね。
よくトレーニングされてるんですかって聞かれるんですけど、僕は今までトレーニングしたことはないんですよ。格闘技もしたことなくて、全部独学+古本屋+YouTubeです。元々、ウチのジムがPUREBRED(ピュアブレッド)大阪っていうエンセン井上さんがプロデュースして、太田隆司という同級生が経営するジムやったんですよ。そのころは1会員やったんですけど、ジムには、半年で2回ぐらいしか行ったことなくて、行っても太田会長とお茶を飲んで帰るだけで、練習をしたことはありませんでした。
エンセンさんが格闘技から一旦離れるというので、今のジム、大阪キックT.B.NATIONという屋号に変わったんですけど、そのときに、昔、僕が地下格闘技の「喧王」という大会に出ていて、何回かけんか自慢のまま優勝したことがあったから、太田会長から「格闘技の世界でちょっと仕事してみたら?」「ジムをそのままあげるから」と言われて、ジムを引き継いだんです。今思えばココが人生の転機となりました。
うちはプロの指導できる先生が少なかったので、才能のある子はよそに全部ふって、生徒数はせいぜい10数人。ジムは赤字でも続けようと思っていたんですけど、僕もちゃらんぽらんで遊んでばかりやったから、ホンマに大赤字で家賃も1年ぐらい滞納していました。
太田会長には、ヒトとして経営者としてのイロハを教え込んでいただきました。ただの同級生だった太田会長は僕の人生の大恩人です。今はT.B.NATIONの名誉会長に就任していただいています。
軌道に乗り出したのは、8年目ぐらいです。生徒はまだ20、30人ぐらいでした。来る生徒が少ない分、来たら逃がさんとこうと思って、試合に出すんですけど、勝てないんですよ。ほんなら、自分で大会をやって選手の実力に合わせてマッチメークすれば勝てるんじゃないかなと思って、1回やったんですよ。そしたら友達のジムとか、地下格みたいなジムとかいっぱい出てくれて、15試合ぐらい組めたんですかね。余談ですが、そのとき、MVP賞を取ったのが、RIZINで朝倉未来ともやった萩原京平。彼も友達のところの後輩なんですよ。うちの大会で初めてトロフィー取りよったんですよ。
次の年には30試合ぐらいになって、生徒も試合目線になってくれて、ちょっとずつ増えていきました。大会も初めは赤字だったんですけど、機材もそろってきて、4、5回目には120試合ぐらい組めるようなりました。もう1日がかりで12時間ぐらいやっています。一番多いときは350人ぐらい集まって、体育館にリングも2つ置きました。今は2か月に1回大会をやって、その間の月にスパーリング交流会をやるんですよ。大人も子どもも「みんな2000円持って集まれ」と声をかけて、体育館の6面コートに学年とか実力で分けて、もう好きなだけスパーリングずっとしとけと(笑い)そういうものでもだいたい、150人ぐらい集まるようになりましたね。
僕がジムをやって今、14年目ですかね。生徒たちも残るようになって、200人ぐらいになりました。WBCというベルトも取ってくれたプロの子もいるし、中学生の子はK-1アマチュアの日本チャンピオンになったり、選手もそろってきました。なんとか飯を食えるようになりましたね。
□アンディ南野(あんでぃ・みなみの)1979年2月10日、大阪・大東市出身。若い頃からけんかに明け暮れる。28歳のとき、格闘技デビュー。地下格闘技「喧王」で2度優勝。2019年の選挙では腕っぷしを買われて故安倍晋三元首相の警護を務めた。毎週木曜金曜には天満警察署と大阪市の要請で、北新地のパトロールを行い、違反者を摘発している。8月28日「PEACE」(大阪・176BOX)で、元迷惑系YouTuber・へずまりゅうと激突する。格闘技ジム「T.B.NATION」代表。172センチ、80キロ。
◆YouTube
https://youtube.com/channel/UCe8_o1xNHFru5hjI6OEue5A
◆ジム公式サイト
https://tb-na.com