91歳・道場六三郎、借金からの“逆転劇” 「料理の鉄人」出演で激変した料理人人生

90年代の伝説的な人気バラエティー番組「料理の鉄人」で、「和の鉄人」として一躍全国的に有名となった料理人の道場六三郎さん。2020年12月には、YouTubeチャンネルを開設し、現在も精力的に活動を続けている。そんな道場さんに番組出演への思いや、料理人としてのこれまでの半生について話を聞いた。

道場六三郎【写真:ENCOUNT編集部】
道場六三郎【写真:ENCOUNT編集部】

現在もYouTubeで料理の魅力を伝える

 90年代の伝説的な人気バラエティー番組「料理の鉄人」で、「和の鉄人」として一躍全国的に有名となった料理人の道場六三郎さん。2020年12月には、YouTubeチャンネルを開設し、現在も精力的に活動を続けている。そんな道場さんに番組出演への思いや、料理人としてのこれまでの半生について話を聞いた。(取材・文=猪俣創平)

 料理人を目指して上京した道場さんは、数々の店で修業し、1971年に自身の店である東京・銀座に「銀座ろくさん亭」を開いた。しかし、開店に至るまでには“借金トラブル”に見舞われるなど苦労があった。

「60年ほど前ですけど、銀座8丁目で『とんぼ』という店を2人でやっていて、経営者が友人で、料理人が僕でね。あるとき、その彼からお金を貸してくれと頼まれて、僕も結構忙しかったから何の疑いもなく住んでた若林(世田谷区)の家を担保にして、信用金庫から500万円を借りて彼に貸したんだよ。そうしたら、ちょうど1年後に彼が不渡りを出して、調べてみたら何も取るものもないんですよ。困ったなあーと」

 そんな苦境に陥ったが、同じ債権者と共に新たな店を開いた。「同じビルの1つ上の階が空いていたんで、大家からも道場さんなら、と保証金なしで『新とんぼ』を開店したんです」。しかし、その店も長くは続かなかった。

「私が社長で、お金を出してくれた彼が専務で始めたんですけど、道場派と専務派で分かれてしまってね。経営にならなかったから、僕の株を倍で引き取ってもらって経営から退いたんです。そうして、今の店が入ったビルの3軒隣の9階がちょうど空いたんで、そこへ入って『銀座ろくさん亭』を開いたんです」

 現在は東京・銀座6丁目に場所を移して営業を続ける「銀座ろくさん亭」だが、71年の開店当時には、周りから心配もされた。

「昔のお店は1階から2階、それか地下1階だったんですよね。3階より上でやってるレストランなんてなかったんだよね。9階でやるって先輩に言ったら、『そんな所で大丈夫か』って言われたんだ」

 しかし、道場さんにはある考えがあった。「料理が安くておいしければ『惚れて通えば千里も一里』で、何の疑いもなくやったんですよ。いざオープンしたら、お客さんも喜んでくれてね。僕が9階でお店を始めた頃から、他のところも上の階でもやるようになったのかな」。ビルの上層階でレストランを開いた先駆けだとうれしそうに振り返った。

 さらに、開店するにあたって料理人としてのこだわりもあった。「サラリーマンの人が払える料金の中で、おいしくて満足度が高いものを出すようにいつも心がけていました。つまり、値段が中クラスを狙っていましたね。上のクラスの料理屋さんが3万円取るところを、ウチは8000円くらいでやろうと心がけていたかな」。

 現在もその思いは変わらない。「今もそんなに値段を変えずにやっていて、だからサラリーマンが食べられる値段で、かつ満足度の高いものにしています」。

YouTubeチャンネル「鉄人の台所」の撮影に臨む道場六三郎さん
YouTubeチャンネル「鉄人の台所」の撮影に臨む道場六三郎さん

人生変えた「料理の鉄人」 出演オファーは半年間の約束だった

 その後、お店も繁盛して評判となり、本や雑誌など取材を受けることも増えていった。そんなあるとき、人生を大きく変える転機が訪れた。「料理の鉄人」への出演だ。

 きっかけは、料理評論家の服部幸應氏や岸朝子さんの推薦だったそう。当時、道場さんの料理は「道場和食」と称されながらも、同じ料理人からは「道場くんの料理は日本料理じゃないんだよ」「日本料理界の異端児」などと揶揄(やゆ)されることもあった。しかし、「普通の料理人と違った」ことが番組に向いているとして、道場さんに白羽の矢が立った。

 今では伝説的な番組となったが、出演オファーを受けたときは「半年間だから」という理由で引き受けた。

 テーマの食材を使って制限時間内に料理を作るという緊張感のある番組。「和の鉄人」として名をはせることとなり、「和食の連中には一回も負けたことないからね」と目を細める。当時の“戦い”に挑む姿勢についても「無心、何も考えないでとにかく『無心に、無心に……』と心がけていたね」と明かす。自身の料理を「なんでもあり」「ほとんど即興」と評してきた道場さん。そんなスタイルもあって、難しいルールのある番組でも他の料理人を圧倒できたのだろう。

 番組への出演や「和の鉄人」として活躍を始めたことで全国的に有名にもなった。「おかげで店にお客さんがたくさん来てくれてね。『料理の鉄人』のおかげで借金を全部払えたよ。それに、他にもテレビの仕事も結構入ったし、世に出ることができたと言えるね」。

 91歳となった道場さんは現在も変わらぬスタイルで新しい料理を作り、新たな発見を続けている。「新しい料理の発見ってのが未だにあるんですよ。寝ながら、『あ、あれとあれを合わせてみるのもいいか』とかね。新しい料理を楽しんでいきたいね」。

 自身のYouTubeでは、家庭料理を意識した簡単で、早くて、おいしい料理を目指したものを紹介している。4月には著書「91歳のユーチューバー 後世に伝えたい!家庭料理と人生のコツ」を出版し、イベントも開催するほど人気だ。

 現在も精力的に活動を続ける道場さんは、料理以外にも小唄、ゴルフ、時代劇鑑賞が趣味だ。ゴルフへは今も週3回出かけており、エージシュートは8回も果たしているほどの腕前だが、かつてに比べると半分しかボールを飛ばせなくなったそうだ。しかし、「飛ばないなら飛ばないなりのゴルフがあるんだよね。90歳、91歳のゴルフをやっていこうと思う。ゴルフ場でも『道場さんは希望の星だ』と言われているからね、がんばっていこうと」と明るく前を向く。

 コロナ禍も「人生、山あり谷ありだから」と気にしていない道場さん。ひょうひょうと語りつつも発せられるその声は、昼時のにぎわう店内でも明るくハッキリと通っていた。

□道場六三郎、1931年1月3日石川県出身。1948年、料理人を志し上京。銀座、神戸、金沢などの料亭で修行を重ね、1971年に「銀座ろくさん亭」を開店。1993年にはフジテレビの伝説的料理番組「料理の鉄人」に出演し、初代「和の鉄人」として活躍。2005年に厚生労働省より卓越技能賞「現代の名工」を受賞。2007年には旭日小綬章授章(勲四等)。2020年12月よりYouTubeチャンネル「鉄人の台所」を開設。趣味は小唄、ゴルフ、時代劇鑑賞。一番好きな時代劇ドラマは中村吉右衛門版の「鬼平犯科帳」。

「91歳のユーチューバー 後世に伝えたい!家庭料理と人生のコツ」
https://www.shufu.co.jp/bookmook/detail/978-4-391-15713-0

次のページへ (2/2) 【動画】厨房で調理する道場六三郎さん
1 2
あなたの“気になる”を教えてください