【週末は女子プロレス♯59】プロレスからアロマセラピストに異例転身 2児の母になった“タムラ様”田村欣子の今

全日本女子プロレスやNEOで活躍した田村欣子は1994年9月にデビューし、2010年12月に引退、現在は東京都江戸川区でアロマトリートメントサロン「AOコーナー」を経営、2児の母としても充実した日々を過ごしている。現在もプロレスファンであり、ときおり会場に足を運んで後輩たちの熱い闘いを見守っている。

2010年に引退した田村欣子さんは、現在アロマトリートメントサロンを運営している【写真:新井宏】
2010年に引退した田村欣子さんは、現在アロマトリートメントサロンを運営している【写真:新井宏】

現在もプロレスファン、ときおり会場に足を運ぶ

 全日本女子プロレスやNEOで活躍した田村欣子は1994年9月にデビューし、2010年12月に引退、現在は東京都江戸川区でアロマトリートメントサロン「AOコーナー」を経営、2児の母としても充実した日々を過ごしている。現在もプロレスファンであり、ときおり会場に足を運んで後輩たちの熱い闘いを見守っている。

 そもそも田村は父親の影響でプロレスに興味を持ち、クラッシュ・ギャルズに憧れた。「女の人でもこんなにカッコよくて強くなれるんだと思って、ずっと見てましたね」。プロレスラーになろうと決めたのは、図書館で全女に関する本を見つけ、オーディションの内容を知ってからだ。「受かるためにはなにかしら(スポーツを)やっていた方がいいとあったので、私はなぎなたを選びました」

 レスラーを目指すための格闘技ならば、アマレス、柔道、空手などを考えるだろうが、おとなしい性格だった田村は当時、ある種の偏見を抱いていたという。

「先生が積極的な子を優先して教えると思っていたんですよ。柔道や空手はやってる子も多いので、おとなしい私は見てもらえないと思ったんですね。そんな頃にたまたま江戸川区の広報かなにかでなぎなたの教室を見つけて、『はいからさんが通る』の漫画も好きだったので、やってみようと思いました。やってる人も少なかったので(オーディションで)目立つかなって」

 なぎなたは中学1年生から高校3年生まで続けた。また、高3のときにはすでに全女の練習生として道場でトレーニングさせてもらうようになっていた。女子レスラーへの道を着々と進んでいたのである。その頃、のちのタニー・マウス、ザ・ブラディーとも全女の道場で出会っている。

 そして94年1月15日、全女オーディションの日がやってきた。この日はちょうど受験とも重なっていたのだが、彼女はプロレスを選び、なぎなた経験も目を引いたのか、無事合格。「(合格と)呼ばれなくても受かった人の列にしれっと並んでしまおう」という計画は取り越し苦労に終わり、正式にプロレスラーへの道がスタートした。

 94年9月15日、後楽園ホールで金山薫に敗れ、プロレスラーのキャリアをスタートさせた田村。初戦で負けるのは当たり前でもあるが、おとなしくても負けず嫌いの彼女には、同期からの黒星ということもあり、とてつもなく大きな屈辱を味わったという。この敗戦が糧となり、田村は同世代への対抗心をさらに大きく燃やしていく。新人王決定トーナメントで決勝戦の相手となった渡辺美佐恵(のちの元気美佐恵)には、練習時から勝手に張り合っていた。

「(目黒に)権之助坂ってあるじゃないですか。あそこを通って道場まで全力ダッシュの競争ですよ。もう試合をしているようなもので、絶対に負けたくないと思って走りました。でも美佐恵が勝ってしまって、すっごく悔しくて、次の日は絶対に勝ってやると思いました」

 翌日の新人王決定戦、田村や渡辺を破り、その年の新人王に輝いた。また、年末には新人賞も獲得。「このふたつは新人の年にしか取れないから、絶対に取りたかったんです」。渡辺とはプロレスキャリアを通じ最大のライバルとなった。また、団体対抗戦時代がやってくると、JWPの久住智子(日向あずみ)が良きライバルとなった。96年5月18日、大田区総合体育館での「第1回ジュニア・オールスター戦で久住を破り、全日本ジュニア王座防衛とともに大会ベストバウトを受賞。8・12&13日本武道館で開催された「ディスカバー・ニューヒロイン・タッグトーナメント」ではアジャ・コングとのチームでダイナマイト関西&久住組と決勝を争った。

「日向はジュニア・オールスターから意識するようになりました。当時の私たちって全女が一番と思ってるから、とにかく他団体に負けてはいけないと必死でしたね」

 全女の選手にとっては、全女が一番で、全女でやることが当たり前だった。そこに風穴を開けたのが団体対抗戦。田村にとっては“全女ではない女子プロレス”を知る初めての体験だった。

「上下関係とか練習とか巡業とか、すごく厳しい時代だったとよく言われますけど、好きなことをやっていたので、大変だと思ったことは一度もなかったんですよ。ただ、JWPとやるときは怖かったですね。だってなにも知らないじゃないですか。全女ならこれくらい厳しいとかわかってるけど、JWPやLLPWってシステムが違うから勝手がわからない。同じプロレスでも団体が違えばやり方がまるで違ったり。対抗戦は、違うところの選手と闘う緊張感がすごかったですね」

父親の影響でプロレスに興味を持ち、クラッシュ・ギャルズに憧れた【写真提供:田村欣子】
父親の影響でプロレスに興味を持ち、クラッシュ・ギャルズに憧れた【写真提供:田村欣子】

ザ・ロックにインスパイアされた“タムラ様”

 緊張感たっぷりの対抗戦時代が終焉し、しばらくして全女は分裂。田村は全女を離脱し井上京子率いるネオレディースへ移籍した。NEOレディースから移行のNEOではタムラ様のキャラクターを得て堂々トップに君臨。きっかけとなったのは、2000年8月、アメリカ初遠征での2冠王座奪取と、WWEで見たザ・ロックが放つ絶対的なオーラだった。

「最初はデビー・マレンコと試合をする予定だったんですよ。それが直前でニコル・バスに代わってしまって。サブミッションの巧いデビーということでうれしかったのに、あんなにデカい選手に代わってしまい、どうすんのって焦りました。しかもリングに上がったらベビーフェースのつもりが大ブーイング。日本人形を子どもにプレゼントしてもブーイングで……。でも、勝った瞬間にワーッとなって、その大爆発がたまらなく快感で(笑)」

 NWA認定女子パシフィック&NEO認定シングル王者となった田村は、滞在中にWWEを観戦。そこで体感したザ・ロックのカリスマ性に大きな刺激を受けた。帰国後、「せっかくアメリカ行ってきたんだから変わったことしなよ」と京子からアドバイスを受けサングラスを着用、ロック様にインスパイアされた“タムラ様”に変身したのである。

「傲慢キャラになろうと思って、自分でなんでも決めてやろうと思いました」

 そこで生まれたのが、「これは正式決定だ! いまタムラ様が決めた! ケッテー!!」の決めゼリフだ。これは現在、NEO時代の後輩でwaveのエース・野崎渚が「ノザキ様」を名乗り、引き継いでいる。タムラ様をオマージュしたいという野崎の依頼を田村は快諾。実は始める1年くらい前から許可を出していたというが、初めて目にしたのは野崎15周年記念大会の後楽園だった。

「いつ(ケッテーを)言ってくれるんだろうと思ってたんですけど、一番いいときにやってくれましたね(笑)」

 NEO解散の2010年12月31日でプロレスキャリアにもピリオドを打った田村。「NEOが大好きだったので他団体やフリーというのは考えられませんでした。そのときは34歳だったのかな、結婚も考えなきゃいけないと思ったし、いまがいいタイミングなのかなと思って引退を決めました」

 団体解散を知らされてから、田村は引退後のことを考えた。すでに針灸の勉強を初めていたタニー・マウスに「マッサージ系の仕事がしたい」と相談し、アロマセラピストの資格取得を目指した。引退時がちょうど課程修了時期と重なり、ブランクもほとんどなく11年4月23日に「AOコーナー」を地元で開業。この10年で結婚もし、2人の子どもにも恵まれた。

「AOコーナー」では男女ともOK。予約をすればタニーの鍼灸と田村のアロマセラピーを同日に受けることも可能だ。「プロレス時代って健康が当たり前で、むしろ全然気にしないじゃないですか。逆に体を痛めて健康に悪いくらい(笑)。プロレスをやっていたからこそ人の痛みが分かるようになったと思います」と言うだけに、痛みについては体験からも熟知しており、元プロレスラーならではの振り幅の広い力加減もうれしい。実際、筆者もマッサージをしてもらい、その日の晩は熱帯夜にもかかわらずいつもよりよく眠れた感覚があった。

 また、最近の彼女はSNSにも積極的で、YouTube「ウノ山本とパンチ佐藤の今日もどこかでDYNAMITE!!」出演をきっかけに「田村様とタニー。」のアカウントでTikTokを活用。アクション女優を目指す女の子をはじめ、YouTubeやTikTokでさまざまなジャンルとコラボし、「川名ロコ」名義ではイギアクラスという運動メニューを紹介している。

「いまは、いちプロレスファン。自分がプロレスやってたなんて信じられないくらいなんですよ(笑)。いま振り返ってみるとプロレスラーになって明るい世界が見れましたし、プロレスが天職だと思いましたね。それに、いまのアロマセラピストも、天職と言えるくらい好きなんですよね。それとあともうひとつ、天職と思えることをやりたいと思ってるんです。それがなにかはまだわからないし、これから追い求めていきたいなって思ってます。そもそも天職と思えることが二つもあること自体すごいと思うんですけど、いま人生の中間くらい。これからの人生も楽しみたいと思っています!」

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