“カムカム”ロバート役・村雨辰剛 スウェーデンから帰化して究める庭師の道
スウェーデンから日本に帰化したタレントの村雨辰剛(むらさめ・たつまさ)は、NHK連続テレビ小説「カムカムエヴリバディ」の米軍将校ロバート役で話題を集め、鍛え上げた肉体美でも注目のイケメンだ。本業は、日本の伝統文化を守ることに力を注ぐ庭師。幼少期に日本が好きになって独学で日本語を習得、大志を抱いて来日し、和名に改名。和の文化を愛する33歳の情熱的な人生に迫った。
「カムカム」米軍将校ロバート役で人気沸騰 スウェーデンに戻ったのは約15年で2回だけ
スウェーデンから日本に帰化したタレントの村雨辰剛(むらさめ・たつまさ)は、NHK連続テレビ小説「カムカムエヴリバディ」の米軍将校ロバート役で話題を集め、鍛え上げた肉体美でも注目のイケメンだ。本業は、日本の伝統文化を守ることに力を注ぐ庭師。幼少期に日本が好きになって独学で日本語を習得、大志を抱いて来日し、和名に改名。和の文化を愛する33歳の情熱的な人生に迫った。(取材・文=吉原知也)
このほど、自らの半生をまとめたフォトエッセー「村雨辰剛と申します。」(新潮社)を刊行した。高校時代に日本でホームステイを経験。高校卒業後の19歳で来日し、語学講師として働き、23歳で造園業の道へ。26歳で帰化が実現。スウェーデンに戻ったのは2回だけといい、日本での生活を「冒険」に例えている。今回の執筆の理由は。
「僕の人生はちょっと変わっています。自分のやりたい気持ちを大事に、自由に生きることを貫いてきました。やりたいことがなかなかできない方に、この本が、一歩踏み出すことの後押しになればと思っています。自分自身のこれまでのエピソードはこんなことまでするの? と思うことばかり(笑)。例えば、スウェーデンの高校生時代に、日本の高校に留学がしたいとお願いの電話をかけまくりました。結果はうまくいきませんでしたがチャレンジをやり切りました。自分がいま置かれている環境で何ができるのかという、プラス思考で取り組んだのは自分らしいことでした。『こういう環境だからできない』とマイナスに考えるのではなく、逆に何ができるのかを考え、可能性を広げること。自分の生き方を本に書いて伝えていくことで、ひょっとしたら誰かのためになるかなという思いがありました」
日本に興味を持ち始めたのは、15歳のころ。世界史の授業で日本史の勉強をしたことが“出会い”。そこから日本語を覚えようと、英日辞書を買い、徹底的に日本語の単語を覚えることから始めた。当時は、周囲から“オタク”という見られ方をしたという。
「僕は幼い頃から、自分の今いる環境から出たいという思いが根本的にありました。それに、歴史と文化が好きで、なるべくヨーロッパとは違うところに行きたいなと思っていた時に、たまたま学校で勉強した日本史がきっかけになりました。戦国時代の歴史もそうですが、日本ならではの考え方がいっぱいあって、すごく魅了されました。
それで、とりあえず何ができるのかを考えてまずは辞書を買おうと。誰ともつるまず、どこにでも辞書を持って行って1人で勉強していたので、変人扱いされました(笑)。自分のやりたいことははっきりしていたので全然それでよかったんですけどね」
そこからインターネットのチャットを駆使して、日本語を使う実践を重ね、高校2年の時に日本での3か月のホームステイを実現させた。
「インプットとアウトプットがないと、言葉は身に付かないと思いました。スウェーデンはITの普及が世界の中でも進んでいて、田舎育ちの割にはネット環境が充実していました。パソコンを通して日本の情報がたくさん手に入り、チャットを通してコミュニケーションを図ることもでき、日本にいなくても日本語の上達は進みました。
留学はかないませんでしたが、ホームステイ先を探すことができました。僕が見つけたというより、縁です。チャットを通じて僕のやる気と情熱を感じていただき、お招きいただきました。自分が何かに対して熱くなることで、そこに人が寄ってきてくれると言いますか、助けの手を差し出してくれると言いますか。情熱さえあれば道が開ける。そう実感しました」
「すべての瞬間瞬間の一期一会を大事にして、庭作りをしていきたい」
ホームステイ先の楽しい生活に加え、近隣の高校で「部活」にも参加させてもらい、青春時代を体験したそう。スウェーデンの地元で取り組んでいたアメフットだ。
「ホームステイ先が横浜の方だったので鎌倉にもよく行きました。日本では、スウェーデンにはない部活というものを経験したいと思っていました。ご縁があって参加させていただきました。日本ならではの青春的なことの1つですよね。仲間もいっぱいできたし、部活のあとはみんなで遊んだりもして。僕の人生の中で、すごく大事にしている経験です」
造園の世界に足を踏み入れたのは、23歳の時。偶然見た求人誌だった。
「それも不思議と何かに引き寄せられていくような形でした。たまたま求人誌の中で、造園屋さんがアルバイトを募集していました。造園って何だろうから始まりましたが、伝統のある庭師という職業の中には日本ならではのことがいっぱい詰まっていることが分かりました。自然由来の美、わびさび、それに自然を相手に自然と関わることができるのが僕にとって一番の魅力です。ふたを開けると、自分のやりたかったことだったんです」
造園業のアルバイトは1年間で一区切りとなり、その後、師匠の加藤剛(ごう)さんと出会った。愛知県西尾市の加藤造園に弟子入り、5年間修業した。「背中を見て覚える」という昔かたぎの職人だ。
「僕にとってのターニングポイントです。昔から造園業と植木文化が盛んな三河地域で探し回って、ちょっと諦めようかなと思っていたところで、唯一僕を拾ってくれたのが、親方でした。見て盗めというスタイルで、教えてもらう・育ててもらうというよりは、自分から積極的につかみにいく形でした。伝統的な職業には、そのような精神面でのポイントが詰まっていると思っています」
メディア出演の仕事が徐々に増える中、環境を変えてみたいと考えて、関東移住を決意。仕事には厳しく、心は優しい親方のもとを離れる最後の日に忘れられないエピソードがあるという。別れ際の親方の男泣きだ。
「その日は、半日の現場でいつもよりは軽めな仕事でした。親方と一緒にお昼を食べて、帰るとなった時です。いつもだったら僕だけがその場を離れるのですが、親方が裏道を通ってその家を出るところまでついてきてくれたんです。内心は『あっ、送ってくれるんだ』と思いました。僕が『またお元気で』とあいさつを言ったあと、親方の泣く姿を見ました。親方がそこまでの感情を見せることがほとんどなかったので、驚きました。それと同時に、『親方は僕のことを大切に思ってくれていたんだ』と。最後の最後に分かりました」
日本国籍を取得し、和名をつける際に、尊敬する親方から「剛」の1文字をもらった。
「親方との出会いは僕の中ですごく大きかったので、ご縁を大切に、出会いを残したかったんです。『剛』という字が個人的に好きでもありました。昔の武将も仕えていた殿様から1文字をいただくことがあったと思います。それに、名字の『村雨』は、親方のお父さんが好きな作家の村雨退二郎さんからいただきました。『辰』は僕が辰年生まれだからです」
庭師として独立。今も、メディア出演との両立で造園を請け負っている。日本文化の継承を担う身として、これからどのように考えているのか。
「日本庭園を残したいということが自分の芯にある考えです。和の良さを伝えていくこと。自分自身が技術をどんどん磨いて、知識を深めていきたいです。日本ならではの美意識は、生まれてから死に至るまでのプロセスの中で、不完全で、不完璧で、非永久的であること、常に経年変化していくことを、美として捉えるのだと思います。季節感もそうですし、すべての瞬間瞬間の一期一会を大事にして、庭作りをしていきたいです」
□村雨辰剛(むらさめ・たつまさ)、1988年7月25日、スウェーデン生まれ。高校卒業後、19歳で来日。23歳の時に造園業に飛び込み、修行を経て庭師として独立。26歳の時に念願の帰化が実現し、日本国籍取得と和名改名を果たす。テレビ、CM、ファッション雑誌など、多岐にわたって活躍。YouTubeチャンネル「村雨辰剛の和暮らし」を運営している。