【週末は女子プロレス♯56】金網マッチの原点回帰と進化系…スターダムが見せた“テーマパーク化”

スターダムが6月26日、名古屋国際会議場にて「Fight in the Top2022~名古屋でら頂上決戦~」を開催。同所での大会は過去に何度も行われているが、今回はセミ&メインに団体史上初となるケージマッチ(金網マッチ)をレイアウトするビッグマッチ仕様で、名古屋における最多動員を記録した(主催者発表で1213人=満員)。

遺恨試合と3Dスペクタクルバトルの共演【写真提供:スターダム】
遺恨試合と3Dスペクタクルバトルの共演【写真提供:スターダム】

遺恨試合と3Dスペクタクルバトルの共演

 スターダムが6月26日、名古屋国際会議場にて「Fight in the Top2022~名古屋でら頂上決戦~」を開催。同所での大会は過去に何度も行われているが、今回はセミ&メインに団体史上初となるケージマッチ(金網マッチ)をレイアウトするビッグマッチ仕様で、名古屋における最多動員を記録した(主催者発表で1213人=満員)。

 セミが中野たむVSなつぽいのシングルで、メインが岩谷麻優&葉月&コグマ組VS林下詩美&上谷沙弥&AZM組によるイリミネーション6人タッグマッチ。ともに金網戦ではあるが、カラーのまったく異なる闘いとなったことが最大の成功要因と言えるだろう。前者が嫉妬から生まれた情念剥き出しの遺恨試合なら、後者はゲーム性の高い3Dスペクタクルバトル。ともに金網から出た選手が勝ちとなるエスケープルールながら、シングルがピンフォール、事実上のノックアウトを奪ってからでないとエスケープ権利は得られず、後者は他者が闘っている間に隙を見て金網から抜け出すのも有効とあって、同じ金網戦とは思えないほどの二極化が顕著になっていた。豊富な陣容を誇るスターダムだからこその、新しい時代の金網戦ということになるのだろう。

 そもそもリングが金属製の檻で囲まれるケージマッチが日本で初めて行われたのは、1970年10月8日、国際プロレス大阪府立体育会館でのラッシャー木村VSドクター・デスの金網デスマッチだった。この試合は事前のあおりもなく突然実現したのだが、勝った木村はその後、「金網の鬼」と呼ばれるようになり、金網デスマッチが国際プロの名物となるきっかけとなった。

 同年12月12日には金網デスマッチが東京初上陸。木村がオックス・ベーカーにKO勝ちを収めるも、ベーカーのイス攻撃で脚を骨折、欠場に追い込まれた。当時、金網デスマッチは残酷すぎるとのことでテレビ中継はされず。しばらくはライブでしか見ることのできない形式だったのである。

 71年3月2日、日本プロレスとの興行戦争でも木村の金網デスマッチが駆り出された。当時はミル・マスカラスが初来日を果たし、ブームに火が点いたばかり。ジャイアント馬場&アントニオ猪木組VSマスカラス&スパイロス・アリオン組のインターナショナルタッグ王座戦に間接的に挑んだのが、木村VSザ・クエッションの金網デスマッチ。興行的には日プロの圧勝に終わるも、金網戦こそが国際の切り札カードだったのだ。

 女子では、全日本女子プロレスが1990年9・1大宮スケートセンターで実現させた、ブル中野とアジャ・コングによる因縁試合が日本初。2か月後の11・4横浜文化体育館で再戦がおこなわれ、ブルが金網最上段からダイビングギロチンドロップを投下しアジャへの雪辱を果たしてみせた。拝んでから飛ぶ決死のダイブが強烈なインパクトを残し、後世に受け継がれる名シーンとなったのだ。1年後の11・21川崎市体育館ではブル&モンスター・リッパー組VSアジャ&バイソン木村組の金網タッグ戦に発展。このように金網戦とは本来、逃げ場のない状況に選手を置く、遺恨清算のための決着戦を意味していた。

 スターダムでの中野VSなつぽいも、因縁決着を意味するカードだった。発端は昨年12月にビッグサイズのラダーから飛んだコグマの発言。コグマはもともとラダーより高い金網上段から飛ぶことを前提にハイスピード王者AZMとのユニット対抗ケージマッチを提案した。すると、なつぽいからの一騎打ちをアピールされていた中野が「金網があるんだったら私たちも金網で」と“弾み”でコメント。これにより、まったく異なるタイプの金網戦が同日に実現することが決定した。大会では第1試合からリングまわりに金網の枠が設置されているとあって、通常とは異なる一種異様な雰囲気に包まれていた。

ケージマッチの様子【写真提供:スターダム】
ケージマッチの様子【写真提供:スターダム】

コグマ「ジャングルジムで遊んでる感覚」

 そして迎えたセミファイナルでは、ともにアイドルレスラーを自負する2人が試合開始からすぐに相手の肉体を金網に激突させ、顔面を金網にこすりつけて傷つけあう展開に。最後は、渾身の必殺技ヴァイオレットスクリュードライバーを食らいながらも食い下がるなつぽいを中野が金網上でのスリーパーホールドで宙吊りにし、リング内に落としてエスケープ勝利。一応の決着はついたとはいえ、両者とも肉体的、精神的ダメージを負いながらも2日後の後楽園でのシングル二番勝負第2戦に臨んだのだから2人のタフさには恐れ入るばかりだ(通常ルールでなつぽいが勝利し雪辱)。

 ドロドロの遺恨試合から一転、メインはジェットコースターに乗っているかのようなワクワクドキドキのハイスピードバトルとなった。岩谷&葉月&コグマ組のSTARSと、林下&上谷&AZM組のクイーンズクエスト。先に3人が脱出したユニットの勝ちとなるイリミネーションルールである。

 試合は岩谷、上谷、葉月、林下の順にエスケープ。最後はコグマとAZMの一騎打ちとなり、AZMが最上段からコグマの腹部に驚愕のダイビングフットスタンプを投下。悶絶のコグマはAZMを蹴落とし、お返しのダイブ技を見舞うのかと思いきや、最上段に立つなり方向転換、場外へのスーパーダイブで脱出成功。ルールに則っての堂々かつ衝撃のフィニッシュシーンだった。

 振り返ってみれば、この試合は全員が全員、金網に入りたかったわけではない。林下ばかりか空中戦を得意とするはずの岩谷も難色を示し、脱出時にはフェニックスプラッシュの使い手である上谷までもが「本当は金網イヤだった!」と泣き顔で本音を吐露。金網の高さは想像以上の恐怖であり、選手たちの気持ちが見る者に伝わったからこそ、試合はいっそうスリルを増したのである。

 なかでもこの試合で躍動したのは、発案者コグマと、タッグパートナーの葉月だった。とはいえ、当然2人は金網初体験である。不安はなかったのか、聞いてみると……。

「私はラダーから飛んでる前例があるし、高いところが好きなので不安はまったくなかったです(笑)。高いところから飛びたくて、この試合を提案しましたし、入場してきたときに金網を見て、ジャングルジムに見えましたね。金網で闘うってよりは、公園に来たなって感じで、子どもの頃遊んでたジャングルジムで遊んでる感覚でした(笑)」(コグマ)

「確かに不安はありましたけど、試合前に金網だからといってなにか特別な感じがするわけでもなく、いつも感じる不安とあまり変わらなかったですね。入場で金網が目に入ったとき、ここで試合するんだと思うとなんだかワクワクしてきました(笑)」

 試合を決めたのはコグマであり、葉月もまた、金網最上段の中央部からプランチャで舞う見せ場を作って適応力を存分に発揮した。試合中、金網戦に対するネガティブなイメージはまったくなかったのである。

「金網マッチって負けたら坊主になるとかあるじゃないですか。そういう印象があったんですけど、今回は凄惨なイメージを変えるための金網だったのかなって感じもします。こういう楽しい金網マッチもあるんだよっていう」(葉月)

 金網マッチをテーマパーク化したのが、この日のメインだったと言えるだろう。また、セミの情念対決があったからこそ、双方ともそれぞれの特色を前面に押し出せたのではなかろうか。全員が初体験ながら、一方が原点回帰で、もう一方が進化形。スターダム6・26名古屋で、金網マッチの幅が大きく広がった。

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