妻も入室禁止の“バイク部屋” 伝説マシンを半年かけてレストアする大鶴義丹のこだわり
最愛の妻も入出禁止の“バイク部屋”を自宅に持っている俳優の大鶴義丹(53)。自身のYouTubeチャンネル「大鶴義丹の他力本願」では、伝説のオフロードマシンXR250R(ME06)1991年式を、半年がかりでセルフレストアする様子を配信するなど、そのこだわりは筋金入りだ。「80年代バイクブーム直撃世代だった」と語る大鶴に、その魅力を聞いた。
オンロードもオフロードもこなす大鶴義丹が語るバイクの魅力
最愛の妻も入出禁止の“バイク部屋”を自宅に持っている俳優の大鶴義丹(53)。自身のYouTubeチャンネル「大鶴義丹の他力本願」では、伝説のオフロードマシンXR250R(ME06)1991年式を、半年がかりでセルフレストアする様子を配信するなど、そのこだわりは筋金入りだ。「80年代バイクブーム直撃世代だった」と語る大鶴に、その魅力を聞いた。(取材・文=西村綾乃)
俳優としてはもちろん、映画監督、小説家として多彩に活動している大鶴。バイク好きの間では、オンロードもオフロードもこなすライダーとしても知られている。
「僕は1968年生まれで、80年代バイクブーム直撃世代なんです。当時の男の子は16歳を過ぎたら、運動系のクラブかバイク、音楽をやるかの三択で。僕は4月生まれなので、すぐにバイクの免許を取りに行きました。免許を取った84年は、いまに繋がるスーパーマシンが全部そろっていた年。オンロードをやりたかったけれど、親に『危ないからダメだ』と言われて、ブームだったこともありオフロードをやることになりました」
最初に買ったバイクは、ヤマハのDT200R(1984年型)。国内オフロードバイクの革命児と言われた1台だ。
「高校1年生の時にNHKのドラマでデビューしたのですが、その時にいただいた出演料と貯めていたお金を使って、知り合いからバイクを購入しました。30万円くらいだったかな。当時は多摩川の河川敷に仮設のモトクロス場がありまして、未舗装だから滑るのですが、それが楽しくてはまってしまった。登校前は朝練、学校が終われば河川敷に直行して。大人たちに混ざって相模原(神奈川県)にあったショップにも出入りするようになり、雑誌にも取り上げられるようになりました」
めきめきと腕を上げ、高校時代にエンデューロレースにも挑戦。スズキRH250、ホンダXR250へと相棒を換え、21歳まではオフロード一辺倒だったという。
「最初は滑るスライド感に魅了されました。練習を重ねる中で逆ハン(進行方向と逆側にハンドルを切ること)やドリフトなど、マンガで見た技術が身に付き、『夢の世界だ』と思いました。河川敷から丹沢や富士山などの林道、コースへと走る場所が広がって行って。楽しくてしょうがなかったですね」
俳優始動後は二輪から離れた時期もあったが、30歳を前に奮起。大型免許を取得し、オンロード車を駆るようになった。
「免許を取る前に買ってしまってしまったのですが、ホンダのCB750FBを購入しました。でっかければ偉い!と思っていたのですが、これがあまりにも遅くて…。改造もしたのですが、当時の最新の400に真っ直ぐで負けるとか。ちょうどそこも開発機だったんですよね。20万円台で手に入れましたが、結局17万ぐらいで売ってしまいました。その後99年に、出たばかりのハヤブサを買って。まだ32歳頃でしたから、『これが世界最速か』とスピードを楽しんでいました」
活動をオンロードのサーキットに広げたのは、バイク雑誌でコラムを持つようになったことがきっかけだった。
「ハヤブサはオンロードのサーキットに向かないからと、スズキ バンディッド1200に乗り換えて、30代前半はサーキットで過ごす時間が増えました。東京から近いこともあって筑波に行くことが多かったですね。もてぎのダウンヒルとか、本当に難しかった。2007年に手に入れたGSX-Rは乗り込んでいたのですが、筑波の最終コーナーでぶつかってしまい廃車にしてしまったんです。その後もほかのバイクに乗っていましたが、40歳を前に今度はオフロードに興味が向くようになって。戻っちゃったんですよね」
YouTubeでセルフレストア公開「16歳の時から自分で直してましたね」
オフロードでの奮闘ぶりは、YouTubeでも公開されている。
「最初は古いKTMを借りていましたが、限度があって。2012年に買ったホンダのCRF250Lで林道に戻りました。林道に復活した後は、オンロードバイクは全て手放しました。サスペンションやタイヤも変えて、壊れるまで乗りましたね。2016年に140万円を出して買ったFE350は衝撃でした。全然世界が違ってしまい、そこからは止まらなくなりました。ここ1年ぐらいはハスクバーナーのTE150Iに乗っています。マニアックですよね」
YouTubeでは、オフロードマシンXR250R(ME06)1991年式を、セルフレストアする様子も配信。自宅にある夢の部屋で、伝説のマシンと向き合う様子はバイクファンを歓喜させた。
「最初88年型に乗っていたのですが、20代の時にイヤな別れ方をしてしまっていたんです。伝説のME06と出合ったことで、これを何とかレストアしようと。動画10本を配信することになりました。オンロードの人は自分でタイヤ交換をするとか聞いたことがないけれど、オフロードは基本的に壊れるので、エンジンの中以外は自分で直さないといけない。だから16歳の時から自分で直してましたね」
林道では2016年からアフリカツインを4台乗り継ぎ、現在はVストローム1050XT、ハスクバーナ 150I。オンロードはカタナの1100(90年型のアニバーサリー)での走りを楽しんでいる。
「カタナは今年勢いで買ってしまいました。いま80年代のレジェンドバイクは壺や絵のような高額で取引されていて、月を追うごとに高騰しているんです…。17万で売ったCB750FBなんていまそのままタイムスリップしてここにあったら、180万ぐらいはします…。今、古いバイクはとても人気があって、外国のマニアの方にも注目されているんです。昔はカワサキのZ1が世界最高峰と言われていてたのですが、多く流通しているZ1よりも、日本にしかないZ2の価値が上昇していて、状態が良いものだと1千万ぐらいする。D1なんて、2000年頃は“猫またぎ”と言われて、20万円ぐらいでたたき売られていたこともありましたが、いまは外国の方からは『Z2の完成系だ』とありがたがられて400万はするんです」
バイクが投機対象になることを憂う大鶴。購入したカタナ1100には、深い思い入れがある。
「監督と脚本、プロデューサーなどを務めた映画『キリン』に登場していたのがこのカタナ。半年をかけてレストアし、リビングに置いています。室内で保管できるように、自分でスロープも作って。月に1~2回。箱根あたりをぐるっと周って帰ってくるのですが、至福の時間ですね」
オフロードから、オンロード、モトクロスなど、幅広く楽しんできたバイク。手放してしまったCB750FBを再び入手出来たら……と願っているという。
□大鶴義丹(おおつる・ぎたん) 1968年4月24日、東京都生まれ。日本大学在学中の88年に映画「首都高速トライアル」で俳優として本格始動した。90年には「スプラッシュ」で第14回すばる文学賞を受賞。小説家としても活躍している。95年には映画「となりのボブ・マーリィ」で監督としての活動も開始。公式YouTubeチャンネル「大鶴義丹の他力本願」も人気だ。10年ぶりの長編小説「女優」(集英社)を1月26日に上梓。父は劇作家、芥川賞作家の唐十郎。母は女優・李麗仙。NHK Eテレ「ワルイコあつまれ」に準レギュラーとして出演中。