【週末は女子プロレス#55】スターダム鹿島沙希が“裏切り者集団のママ”と呼ばれるまで 「人生そのもの」な必殺技
スターダムの鹿島沙希は、女子プロレスに一目惚れして、この世界に飛び込んだ。島根県松江市から上京し二期生としてデビュー、5年のブランクから復帰後には岩谷麻優を裏切り2度目のヒール転向。現在は大江戸隊の一員として、6人タッグマッチの王座であるアーティスト・オブ・スターダムのベルトを巻いている。まさかのタイトル移動となった5・28大田区では、鹿島自身がベルトの移動をもたらした。決め手となったのは、「起死回生」という“必殺技”だ。これがなければ、現在のポジションにはたどり着けなかったと言っていいだろう。正直、当たり前のようにあっさり負けることもあれば、起死回生で番狂わせを起こすこともしばしば。鹿島沙希とはスターダムで、いや、女子プロ界で屈指の先が読めないレスラーなのである。では、起死回生はどうやって生まれたのか。まずは彼女自身に、プロレスとの出会いから話してもらった。
女子プロレスには「1ミリも興味はなかった」
スターダムの鹿島沙希は、女子プロレスに一目惚れして、この世界に飛び込んだ。島根県松江市から上京し二期生としてデビュー、5年のブランクから復帰後には岩谷麻優を裏切り2度目のヒール転向。現在は大江戸隊の一員として、6人タッグマッチの王座であるアーティスト・オブ・スターダムのベルトを巻いている。まさかのタイトル移動となった5・28大田区では、鹿島自身がベルトの移動をもたらした。決め手となったのは、「起死回生」という“必殺技”だ。これがなければ、現在のポジションにはたどり着けなかったと言っていいだろう。正直、当たり前のようにあっさり負けることもあれば、起死回生で番狂わせを起こすこともしばしば。鹿島沙希とはスターダムで、いや、女子プロ界で屈指の先が読めないレスラーなのである。では、起死回生はどうやって生まれたのか。まずは彼女自身に、プロレスとの出会いから話してもらった。
「お母さんがプロレス好きで、私も一緒に見に行ったりしてたんですよ。でも男子プロレスで、女子があるってことは知ってたけど、1ミリも興味はなかった。でも、16歳か17歳のときかな、たまたま(女子プロレスの)チケットをもらって、暇つぶしのつもりでなんのけなしに見に行った。ホント、暇つぶし(笑)。そしたら、見た瞬間、これやりたい!って思って。それがきっかけですね」
大会には、女子プロのレジェンド勢が参戦していた。女子プロに興味を持った鹿島は元レスラーの風香のブログをフォロー。するとしばらくして、なんと風香の方から連絡が来た。新団体の練習生を募集しているという。スターダムという団体だ。が、当時はまだ旗揚げ前。選手たちもデビュー前で、生観戦で惚れたようなレジェンド勢は皆無。リング上はおろか組織としても実績がない団体だけに、不安はなかったのだろうか。
「2010年の大晦日に地元を出たんです。確かに旗揚げ前だったけど、風香さんから『ほかのみんなも同じだから大丈夫だよ』みたいな感じで言われて。当時は(岩谷)麻優ちゃんとか世IV虎(現・世志琥=シードリング)ちゃんとかと寮に住んでました。ただ、自分はホームシックになってしまって。実家大好き人間で独りになりたくなくて、毎日寂しくて泣いてましたよ」
線も細く、これといったセールスポイントもなかった鹿島は旗揚げ戦には間に合わず、プロテスト合格は11年5月。スタートから半年遅れの6月26日にデビューを果たした。「自分だけ遅くなっちゃって、一期生と同じだけど1・5期生になった。でも、1・5から気づいたら二期生になってました(笑)」。
翌年1月には愛川ゆず季率いるユニット「全力女子」に合流も、6月にヒール転向。13年1月に王座決定トーナメントを制し初代アーティスト・オブ・スターダム王者となり初めてのベルトを獲得したが、自力で取ったとの感覚はない。防衛戦することなく返上となったため、なおさら実感には欠けていた。
そして、体調不良のため3月から欠場に入り、そのままフェードアウト。「普通に働いていた」鹿島だがプロレスへの思いは断ち切れず、5年のブランクを経て18年3・28後楽園で復帰すると、2週間後のドラフトで、「仲がいいから」との理由で岩谷から二巡指名を受け正規軍(現在のSTARS)入り。ちなみに、一位指名は「将来性」を買われたスターライト・キッドだった。
岩谷とタッグを組んでいたこの頃、復帰したのはいいものの結果を残せない自分が歯がゆかった。いくら食べても太れない体質なのか、線の細さは相変わらず。パワー不足はいかんともしがたく、ほかのレスラーから見下されることも多かった。鹿島はなんとかしたいと考え、あらゆるプロレスの映像を見て研究。その中で見つけたのが、闘龍門時代にCIMAが使っていたトケ・エスパルダスだったという。
「見た瞬間にビビッときた。これだ!って。そこから自分流にアレンジして、あの丸め込みができた。でも、実際にどうかは試合でやってみないとわからないし、どこで出そうとか、どういうタイミングでやろうとかは考えてなかった。入り方も毎回違ったりするので。ただ、闘っていてボコボコにされて半分意識がない中で気づいたらそれ(起死回生)で勝ってたことが何度かあって、これってすごいんじゃねえって自分でもビックリしたんですよ」
考えてみれば、パートナーの岩谷も、自身を「ゾンビ」と形容するほど、やられてやられてやられてから息を吹き返すタイプのレスラーだった。鹿島も岩谷のそばで研究し、自身のスタイルにめざめたのだ。巻き返す岩谷に刺激を受け、短所から長所を見つけ出すきっかけをつかんだのである。
岩谷とはタッグベルト(ゴッデス・オブ・スターダム王座)を巻いたものの、“岩谷の下”というイメージは覆せず、20年の年明けに牙をむきSTARSを離脱、ヒールの大江戸隊に移籍した。ここで鹿島は水を得た魚のように躍動。当たり前のようにコロッと負けるけれど、メインで勝ったり、ここ一番で番狂わせを起こす予測不可能なポジションにさらなる磨きをかけている。振り返ってみればアーティスト王座は5・28大田区が5度目の戴冠。これは岩谷と並ぶ歴代2位で、紫雷イオ(現WWE)の6度戴冠に、“あと1”と迫ったのである(最多タイにはもう一度落とす必要があるが)。
そして本稿掲載の翌日、6・26名古屋で初防衛戦を迎える。しかも通常の形式ではなく、ドンナ・デル・モンド(ジュリア&舞華&桜井まい組)とゴッズアイ(朱里&MIRAI&壮麗亜美組)を同時に迎え撃つ3WAYでのイリミネーション戦である。もちろん、同王座史上、初めての試みだ。それだけに、鹿島のプロレス同様、どんな結果になるか予想できない。
「自分たちが直接負けなくてもベルトの移動があるのがすごい気に食わない。だったらもう、片っ端から片付けていくしかないなって。起死回生があるから(いける)ってけっこうまわりから言われるけど、コロッと負けるかもしれないし、逆に勝つかもしれないし。あれってすごいギャンブルだから(笑)」
「いつもボロボロ。死んだふりしてる余裕なんてないですよ」
そういった意味では、いずれにしても鹿島の本領発揮となる試合になるのではなかろうか。とはいえ、一発逆転を呼び込む起死回生を出すときは、はじめから狙っていたり、あえて死んだふりをしているのではないと鹿島は苦笑する。
「いつもボロボロ。死んだふりしてる余裕なんてないですよ。でも、起死回生って自分の人生そのものだなって思う。一回落ちて、またプロレス復活して、自分の人生みたいな技。人生、起死回生(笑)」
この技によって自身はもちろん、見る者の感情を揺さぶることもできる。それこそが鹿島が望むプロレスでもあるのだ。
「自分、ファンだった頃からけっこう感情を動かされることとかあって、いまはヒールで好き勝手やってるけど、それでも沙希の試合を見て元気が出たとか、そういうの言ってもらえると自分のやってることが誰かのなにかになってるんだなとも思う。それがうれしいのもある。最初は反対していた家族とかもいまは応援してくれてるし、押し切って出ていった以上、全力で自分が楽しんで頑張ってる姿を見せるのが一番かなって思う」
自身の個性をもっとも活かせるのが大江戸隊であり、起死回生を大江戸隊で使ってこそ、良くも悪くも一発逆転劇がよりいっそう見る者の感情を揺さぶるのだろう。鹿島が大江戸隊に入ってからすでに2年半が経過した。まわりを見渡せば、すでにオリジナルメンバーの姿はなく、鹿島もリーダー刀羅ナツコ(負傷欠場中)に次ぐ古参選手となっている。
「2年半? 早い! もう、そんなに経つんだ。メンバー変わったりとか増えたりしてるけど、意外とみんな昔から一緒にやってるような感覚。ここ直してよとか、こうしてほしいとかもない。みんなそれぞれ自分のスタイルとかやり方でやってるのが、うまくはまってるのかなって。ホント昔からみんな一緒にやってる感じ。キッドや(渡辺)桃も(岩谷を裏切って)入った。ウチらは裏切り者の集まりだから(笑)。そんな中で自分は大江戸隊のママとみんなに言われてる。大江戸隊のおかん。私は、みんなの活躍(反則行為を含む)を温かい目で見守っています(笑)」