「新日の天下り先じゃねえ」と吐き捨てた拳王 小島聡がノアのベルトを奪取した意味
プロレスはキャリアが重要。昭和の時代はよく聞いたフレーズだった。デビューから10年ほどは修行の身で、35歳から45歳がレスラーの全盛期……実際に20代の選手が天下を取ることは稀だった。
毎週金曜日午後8時更新 柴田惣一のプロレスワンダーランド【連載vol.99】
プロレスはキャリアが重要。昭和の時代はよく聞いたフレーズだった。デビューから10年ほどは修行の身で、35歳から45歳がレスラーの全盛期……実際に20代の選手が天下を取ることは稀だった。
平成、令和と時代が進むにつれ、デビュー数年にして最前線に躍り出る選手が珍しくなくなった。20代のチャンピオンも増えている。
そんな中、ノアマットではベテラン勢が踏ん張っている。GHCヘビー級王者・小島聡の初防衛戦(7月16日、東京・日本武道館)の挑戦者に名乗りを上げた拳王が「新日本プロレスの天下り先じゃねえ」と吐き捨てるという事態が起こっている。
ノアの所属するCyberFightグループの年間最大イベント「サイバーファイトフェスティバル(CFフェス)」(6月12日、さいたまスーパーアリーナ)で、ノア最高峰のベルトGHC王座を小島が潮崎豪から奪い取った。
武藤敬司の引退表明、DDTのKO-D無差別級王者・遠藤哲哉のKO負け、ノアがDDTとの対抗戦3戦全勝……様々な事件が起こった6・12CFフェス決戦を締めくくったのは、新日本プロレス・小島の剛腕だった。
小島は51歳。しかも新日マットでの小島の立ち位置は、最前線とは言えない。ここ数年はビッグマッチにはエントリーされず、タイトル戦に絡むこともマレだった。前半戦で若手選手の壁となることが多かった。正直、鬱々たる思いを隠せなかったはずだ。
そこへチャンスが舞い込んできた。ノア参戦、しかも最前線でのバトルだ。「今の(新日本プロレスでの)ポジションは嫌ではないが、やはり大舞台、表舞台こそレスラーの血が騒ぐ」と体の芯から湧き上がってくる力に、小島自身が戸惑うほどだった。
40歳と脂の乗り切った潮崎に一歩も引かず、潮崎の豪腕を耐え抜き、剛腕ラリアートで仕留めた。レジェンドたちがもれなく苦しんできた回復力の衰えを、小島も感じているようだが、それを経験値でカバーした結果である。
新日本プロレスのIWGP王座、全日本プロレスの3冠王座、そしてノアのGHC。3大メジャータイトルを腰に巻いた小島。高山善廣、佐々木健介、武藤に続く快挙となった。しかも2005年にはIWGPと3冠を同時に保持するという偉業も達成している。
まず見たことがない小島の不機嫌な顔
1991年に新日本プロレスでデビューした小島は、2002年に全日本プロレスに移り、フリーを経て11年に新日本プロレスに復帰した。団体間の交流も盛んになっている時流もあっての快挙といえるだろう。
何より小島の人間力に、プロレスの神様が味方についてくれたことも大きい。新日本プロレスと全日本プロレスという今年50周年を迎えた老舗団体間を移籍し出戻ったというのに、小島を批判する声はまず聞かれなかった。
いつもニコニコとし、気配り、心配りができる。とにかく明るく元気、そして優しい。「頑張って下さい」というファンの声に「はーい」と笑顔で応じる。人間だから、体調不良や気持ちが沈んでいる時などもあるだろうが、小島の不機嫌な顔はまず見たことがない。
試合も明るく激しい。小細工とは無縁で真っ向勝負でわかりやすい。コンディションも常にキープしている。
「いっちゃうぞ、バカヤロウ!」という決め台詞も、当初は「どこに行くんだ?」というヤジもあったが、今ではすっかり定着した。コロナ禍で合唱できないファンも心の中で叫んでいるはず。
「プロレスはキャリアが重要」の格言は今でも生きている。その明るさですべてを経験値とし、キャリアを積み上げてきた。プロレスの神様も思わず微笑んでしまうのだ。ヒジのサポーターを高々と放り投げる小島の勇姿に幸あれ。