大けが&コロナ禍で仕事激減 “エンタ芸人”デッカチャンの今「奥さんの稼ぎで何とか」

2000年代、毎週のように視聴率20%超えを記録したお笑い番組「エンタの神様」は若手芸人の登竜門的存在だった。そんな“エンタ芸人”の一角で、「気づいちゃったマーチ」でブレークしたデッカチャン。2年前に所属事務所の吉本興業を退所、現在は主にDJ活動に活躍の場を移している。実は「エンタの神様」出演前から音楽活動を行っていたというデッカチャンに、知られざるブレーク前と事務所退所後の今を聞いた。

「エンタの神様」でブレークしたデッカチャン、事務所退所の今に迫る【写真:ENCOUNT編集部】
「エンタの神様」でブレークしたデッカチャン、事務所退所の今に迫る【写真:ENCOUNT編集部】

「何も考えずにパッと思い浮かんだ」芸名誕生秘話

 2000年代、毎週のように視聴率20%超えを記録したお笑い番組「エンタの神様」は若手芸人の登竜門的存在だった。そんな“エンタ芸人”の一角で、「気づいちゃったマーチ」でブレークしたデッカチャン。2年前に所属事務所の吉本興業を退所、現在は主にDJ活動に活躍の場を移している。実は「エンタの神様」出演前から音楽活動を行っていたというデッカチャンに、知られざるブレーク前と事務所退所後の今を聞いた。

――芸名「デッカチャン」の由来は。

「実は僕、若手の頃プロフィールの趣味欄に『ドラァグクイーン』と書いていた時期があって、女装して街で集合して、クラブイベントで踊るっていうのを毎月やってたんです。ギャラもなく、本当に趣味というか、舞台に立つ練習みたいな感じでした。そしたら、『スカパー!』で音楽専門チャンネルの『MTVジャパン』が立ち上がるときに、オーディションに声をかけていただいて。ニックネームで受けてくださいって言うんで、何も考えずにパッと思い浮かんだのが『デッカチャン』。それをそのまま芸名にした感じです。当時はコンビでツッコミをやってたんですけど、太り過ぎて相方から『そんな体系のツッコミいない』『これじゃネタが書けない』と言われて解散。ピン芸人として活動するようになりました」

――「気づいちゃったマーチ」誕生の経緯は。

「デッカチャンとなったからにはデッカチャンっぽいことをしなきゃいけないなと思って、最初はジョーズとかターミネーターのテーマ曲に合わせて『デーデ……デーデ……デッカチャンだよ!』っていう一発ギャグをやってました。当時は波田陽区さんがギター、はなわさんがベースと楽器を使う芸人が結構いて、ドラムはいないけどさすがにセットは買えないしなあ、じゃあスネアドラムはどうだろうと、鼓笛隊であるあるネタを言うというスタイルにたどりつきました」

――エンタの神様出演の反響は。

「よく聞かれるんですけど、僕って実はエンタの出演回数は大して多くないんですよ。平均すると3か月に1回くらいで、トータルでも30回くらい。ただ、特番になってからも呼んでもらって、期間は長く出させてもらいましたね。だから、一番出てた時期でも、毎週出てた芸人と比べるとそこまで忙しくはなかったですね」

原付で転び、靭帯3本を断裂する大けがで仕事が激減

――仕事減はエンタが終わってから。

「それもありますけど、原付で二段階右折ってあるじゃないですか。あれで転んで膝に130キロの全体重が乗って、靭帯3本断裂の大けがをしちゃったんです。目の前が交番だったんですけど、一人で転けただけだからめちゃくちゃ痛がってるのに全然心配してもらえなくて、ようやく救急車呼んでもらっても担架が上がらなかったりして大変でした。病院では『ダンプでひかれないと起こらないケガだよ』『原付で転んでなんて信じられない、学会で発表していい?』とか聞かれました。3か月の入院の間、芸人は100人以上がお見舞いに来てくれたけど、仕事は減ってしまって。今も月に1度、軟骨がすり減らないように注射を打ってます」

――DJを始めたきっかけは。

「ドラァグクイーンでクラブに通ってた頃、もっというと子どもの頃から音楽は好きで、後輩の三瓶がCDを出したときにエアDJをやったりはしてました。仕事がなかった時期に本格的にDJ活動をするようになって、カラテカの入江君がやってた『J-POP NIGHT』でクラブDJを教わりました」

――吉本興業退所の理由は。

「ちょうど契約更新のタイミングで、芸人としての仕事はほとんどなくて。DJの仕事をするなら、事務所に迷惑がかかることもあるし、それなら自分のやりたいようにやってみようかなと。知り合いの保育園でクリスマスや節分にイベントDJをやってたら、卒園式にも来ませんかと誘われて人生で初めて来賓席に座らせてもらって。こういう地域密着型で人を喜ばせる仕事もいいなと思って退所したんですけど、その途端コロナになって、クラブも幼稚園もイベント全部中止になって大変でしたね(笑)。今は収入がほとんどなくて、奥さんの稼ぎで何とか暮らしてるような感じです」

――今後の目標は。

「ありがたいことに、マヂカルラブリーの野田君がゲームにしてくれたり、野性爆弾のくっきーさんとかEXITとか、いろんなとこで名前を出してもらってる。ライブ配信とかでエンタを知らない世代の子に覚えてもらったり、一部の子どもたちの間ではやってるなんて話もたまに聞きます。DJで一曲当てたいという思いもあるけど、そういう小さいコミュニティーを盛り上げる、地域に密着した活動をしていきたいですね」

■デッカチャン(でっかちゃん)、本名・重川昌弘(しげかわ・まさひろ) 1976年9月4日、広島県東広島市出身。97年、お笑いコンビ「シャイニング」のツッコミとしてデビュー。98年に上京し、吉本興業に所属。01年、コンビを解消し芸名をデッカチャンに改名。2020年3月、吉本興業を退所し現在はフリー。

次のページへ (2/3) 【写真】ドラァグクイーンの姿で踊る若手時代のデッカチャン
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