“美しすぎる野球選手”と呼ばれた加藤優 現役時代の苦悩と今「女性としての幸せつかみたい」
元女子プロ野球選手の加藤優が、故郷の神奈川県秦野市で新たな道を歩み始めた。“美しすぎる”と話題を集めた選手時代。心ない言葉に、追い詰められたこともあったと吐露する。インタビュー前編では、経験した苦悩と癒しになった存在、引退後に感じた喪失感、女性としての夢などを語っている。
苦悩した選手時代 一目ぼれした“彼氏”が支えに
元女子プロ野球選手の加藤優が、故郷の神奈川県秦野市で新たな道を歩み始めた。“美しすぎる”と話題を集めた選手時代。心ない言葉に、追い詰められたこともあったと吐露する。インタビュー前編では、経験した苦悩と癒しになった存在、引退後に感じた喪失感、女性としての夢などを語っている。(取材・文=西村綾乃)
加藤は5歳で野球を始めた。地元の軟式野球チームで監督をしていた父の影響だった。男の子だけのチームで頭角を現し、硬式野球の二宮大磯リトル、秦野ボーイズへとステップアップ。高校からは女子野球の名門企業チーム「アサヒトラスト」でプレーした。
「2016年からは、昨年活動を休止した女子プロ野球リーグの『埼玉アストライア』に加入し、4年間所属しました。選手として成績を残すよりも前に、容姿を注目され、表に立つことが多かったので、私を見て女子野球を知った人に『レベルが低い』と思われたら嫌だなとプレッシャーがありました」
大きな瞳で白球を追う姿は、“美しすぎる女子プロ野球選手”ともてはやされた。同リーグが募った「美女9総選挙」では、2連覇した。
「本業で成績を残すことができなかった時期は、SNSなどに心ない書き込みをされたこともありました。早く結果を残したいと焦り、試合では空回りでした。2年目は完全に腐っていました。それでも、『これではいけない』とメンタルトレーニングに通い始めました。周りの声が気にならなくなると、集中できるようになりました。周囲を気にしすぎて、自分で自分のペースを乱していたことに気付きました」
疲弊していた心を癒してくれたのは、16年に一目ぼれした“恋人”だった。
「部屋の扉を開けると、玄関で猫の『ゆづる』が迎えてくれました。ゆづるはプロになった2016年に、ペットショップで一目ぼれしたオス猫です。落ち込んで動きたくない時、何も言わずにお腹に乗って慰めてくれました。ゆづるの温かさを感じた時、『ひとりじゃない。この子のために頑張ろう』と思えました。朝は練習、午後は仕事、遠征にも行って……。目まぐるしい日々をゆづるが支えてくれました」
プロ最後の19年シーズンは、打率3割を超える好成績をマーク。4年間の間には、新人特別賞やベストナインも獲得した。
「友だちが多い方ではない私が、一生モノの仲間に出会えたのは野球があったからです。同年代の女性よりも話し声が大きいなど、日常で体育会系なところが出てしまうのは、気を付けたいですが、礼儀作法など人間として大切なことの多くは野球を通じて教わりました」
退団後の20年からは、横浜DeNAベイスターズのスクールで指導も経験。女子クラブチームのGOOD JOBではプレーを続け、昨夏、現役を引退した。
「実家でバーベキューをしている時、プロを辞めることを家族に伝えました。野球は親友のような存在でしたが、ひじを痛めていたこともあって、両親も兄も驚かずに受け止めてくれました」
新しい扉は、秦野市で女子だけの野球塾「Sunny Catchball 女子野球塾」を立ち上げたことだ。設立に向け、多忙だった年明けは、初めて来季に向けてのトレーニングをしない冬を送った。
「野球選手として活動していましたが、実は根っこの部分は文系です。小学生の時は野球の練習とエレクトーンのレッスンも行っていました。これまでは毎冬行っていたトレーニングが今年はなくて、『冬に何もしないって、幸せ』と感じました(笑)。6月からの指導に向け、少し前から体幹を鍛え始めました。5月15日に27歳になったので、今後は女性としての幸せもつかみたいと思っています」
まさに歩み始めたセカンドキャリア。インタビュー「後編」では、「新たな挑戦」について語っている。
□加藤優(かとう・ゆう)1995年5月15日、神奈川県秦野市生まれ。実業家。少年野球チームの監督をしていた父の影響で5歳から野球を始める。2015年に女子プロ野球の合同トライアウトテストに合格。「埼玉アストライア」に入団し、16年4月の開幕戦でデビュー。18年と19年のシーズンは打率3割超をマークした。両シーズンでは日本女子プロ野球機構が開催する「美女9総選挙」で1位になるなど、その容姿も注目された。66試合に出場した19年、外野手でベストナインに選出されるも退団。その後、横浜DeNAベイスターズのスクールでコーチとなり、GOOD JOB女子硬式野球部には選手として所属。21年夏に引退した。同年7月には女性初の「はだのふるさと大使」に就任。地元に根差した活動に力を入れている。167センチ、右投げ左打ち、血液型O。