紅一点で麻雀に明け暮れた学生時代 京大→ロースクールの人気女流雀士・松嶋桃の素顔
プロ雀士としてだけでなく、Mリーグをはじめとした麻雀実況やクイズ番組への出演など、多岐にわたって活躍を続ける松嶋桃は、京都大学法学部から同志社大学ロースクールを経て、麻雀界に足を踏み入れた“インテリ”だ。そんな松嶋にプロ雀士になるまでの歩みを聞いた。
ロースクールでは泣きながら勉強
プロ雀士としてだけでなく、Mリーグをはじめとした麻雀実況やクイズ番組への出演など、多岐にわたって活躍を続ける松嶋桃は、京都大学法学部から同志社大学ロースクールを経て、麻雀界に足を踏み入れた“インテリ”だ。そんな松嶋にプロ雀士になるまでの歩みを聞いた。(取材・文=猪俣創平)
大学受験のタイミングでは将来の仕事や夢など、具体的には何も考えておらず、京都大学を目指した動機は「消去法」だった。
「地元の名古屋を出たいな~と漠然と思っていて、大学には行くんだろうなと。それで、親と相談する中で、国立大学がいいという話になり、名古屋大学よりいいところじゃないと家から出せないと言われました。それと、東京はちょっと遠いとなって、そういった条件が絞られていく中で京都大学を目指すことになりました」
無事に入学をしたものの、大学生活は「麻雀」中心だった。
「法学部に入ったし、弁護士とか目指すのかな? と、うっすらと考えるくらいで思考停止しちゃったんですよ。思考停止と言っていいのか分かんないんですけど(笑)」
当時、麻雀をする女性は松嶋のみだったというが、抵抗感はなかった。
「あとから気付いたんですよ。性別を全然気にしていなかったって。周りにいい人が多かったんだろうなと思います。嫌な目にも会わなかったし。今は“オタサーの姫”とか言うじゃないですか。でもそういう感じでもなく接してもらえたし、“みんなの弟”みたいな空気感でしたね。麻雀もいい意味で手加減してもらわなかったですし、何の違和感もなく楽しく過ごしていました」
そんな大学生活を送る一方で、「今考えてもすごく怖い」と振り返る体験も明かした。
「本当に麻雀ばかりしていて、世間と断絶していたんですよ。いろんな情報を全然知らなくて。だから、周りに就活する同級生もいなかったんです。当時の法学部は、司法試験の旧制度も残っていたので、ガチガチに勉強して旧司法試験を受ける人もいたし、ロースクールを目指して勉強する人もいました。だから、周りに就活する人がいなくて、とりあえず就活しなきゃっていう空気を感じられなかったんです。気付いたら4年生だったんですよ。怖いですよね?(笑)」
4年生になってから、ロースクールを目指した松嶋だが、その理由についても、弁護士をはじめとした法曹界になりたい職業があったわけではなく、「なんとなく」だった。
「大学を卒業はしようと思いました。親にこんなんで学費を払わせるわけにはいかないと。それで、じゃあ一応ロースクールに行くことにしようと思ったんですよ、なんとなく。ただ、そのときも『絶対、弁護士になるぞ!』という強い気持ちはなかったですね。とりあえず行ってみて、どうなるのかな? みたいな」
漠然とした思いで同志社大学のロースクールへと進んだ松嶋だが、待ち受けていたのは苦難の道だった。
「すごく大変でした。みんなものすごく勉強するし。インターンシップみたいなもので、法律事務所に行って弁護士業務を体験したんですけど、行けば行くほど『私、これを一生の仕事にできるタイプの人間じゃない』と思ってしまって……」