【花田優一コラム】母・河野景子に顔を赤らめながら手紙を書いた日 思い出す譲れない愛情

靴職人の花田優一の連載【花田優一コラム】。第65代横綱・貴乃花と元フジテレビアナウンサー・河野景子の長男で、靴職人の活動を中心に、画家としての活動、タレント業、歌手活動などマルチに活躍する優一。最新のニュースや世相をどう感じているのか。優一の視点で伝えていく。第7回は、母の日に思ったこと。

2歳ごろの花田優一と母・河野景子【写真:本人提供】
2歳ごろの花田優一と母・河野景子【写真:本人提供】

第7回は「母の日」 改まって「ありがとう」と伝える大切な日

 靴職人の花田優一の連載【花田優一コラム】。第65代横綱・貴乃花と元フジテレビアナウンサー・河野景子の長男で、靴職人の活動を中心に、画家としての活動、タレント業、歌手活動などマルチに活躍する優一。最新のニュースや世相をどう感じているのか。優一の視点で伝えていく。第7回は、母の日に思ったこと。

 縛られることのないゴールデンウィークを久方ぶりに迎え、世間も思い出すように活気を取り戻そうとしている様に見えた。私は自営業であるがゆえに、祝日でも働かなければ生きてはいけないのだが、自分を律しつつも今年の黄金週間は友人の誘いも例年に比べて多く、息抜きをしすぎたのではないかなどと自己嫌悪に陥りそうであった。

 しかし、今回のコロナによって規制される日々がなくなったとはいえ、約2年半のコロナとの戦いの傷はすぐに癒えるわけではない。私はかろうじて生活はできているものの、今までの成功体験を模倣していてはこれから生きてはいけないと深く身に染みて感じている。それに加えて、コロナ禍で生き返る気力もなくすほど傷を負った人々の救済を忘れないで欲しいと考えるばかりである。

 2022年のゴールデンウィークは2回の平日を休めれば、最大で10日間もある大型連休であった。その最後の休日は母の日だったことは、皆さん知っていることであろう。

 世界各国に由来はあるものの、日本の母の日というのはアメリカから伝わったものであるそうだ。1905年、アメリカ・フィラデルフィアに住む少女、アンナ・ジャービスが母の死をきっかけに、「生きている間にお母さんに感謝の気持ちを伝える機会を設けるべきだ」と働きかけたのが始まりだという。この働きかけがアメリカ全土に広がり、アンナの母が好きだったカーネーションを追悼式の祭壇に飾ったことが、今の風習へとつながったのだ。

「母の日」という名目の1日の使い方は人それぞれであろう。私は、母に手紙を書くことが好きな少年であったこともあり、母の日は私たち3人兄妹にとって、顔を赤らめながら改まって「ありがとう」と伝える大切な日であった。

 中学生までは兄の私が主導になり母に寄せ書きをしていた。反抗期は激しくなかったものの、思春期の青年にとって日々母と会話が減っていく現実は、本当は寂しいものなのだ。そのジレンマを埋めるかのように、寄せ書きに母への感謝をつづっていたことを思い出す。

 もう一方で、相撲部屋のおかみさんでもあった母が「おかみさんいつもありがとうございます」というカードの付いた花束を、大切に持ち帰ってくる母の日の笑顔は、何物にも替えられないものに見えた。

 母の日、それは商業的な要素もあるのかもしれない。しかし私は、一輪のカーネーションを買いに花屋に入る、マスクをつけた男性の姿を駅で見かけたとき、立ち止まって、花を買う彼の姿を見届けてしまった。店を出て長方形のビジネスバッグに恥ずかしそうにカーネーションを隠す素振りは、その一輪の感謝を守っているようにも見えた。

 コロナ禍や戦争、人々の生活が不安定になり歪み合わざるを得ないこの世界で、やはり残るべきものは、誰にも譲ることのできない愛情なのだと気付かされる、今年の母の日であった。

 2022年6月19日、この日もまた、私の心を刺激するのだろう。

次のページへ (2/2) 【写真】「カップルみたい」「ソックリです」の声も。花田優一が公開した母・河野景子さんとの最新ツーショット
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